絶対離さない。一人であんたを逝かせない。
だからずっと手を握ったままで居た。
救急車に乗る時も、搬送される時も。それが俺に出来る唯一だと想ったから。

手術中と書かれた赤いランプが灯る。
緊張が抜けないまま、暖かさの残る手のひらを胸に抱いた。

「おねがい、」

なぁ神様、あんた居るんだろ?
お願いだ、何でもする。何でもやるよ。
今すぐこの場で俺が死んだっていい。むしろ俺なんかで事足りるんなら、どんな惨めたらしい死に方でもいい。好きなだけ俺を殺していい。
だから、だから、司を助けて。

あの暖かい腕を、この世界から取り払わないで。愛される事を、教えてあげて。

エゴでも何でも、俺は司に生きていてほしい。
そうじゃなきゃ、恨むよ、神様。

椅子に座って膝に顔を埋めたまま動かない俺の肩を誰かが優しく叩く。誰かは確認しなくてもわかってる。通報して救急車を呼んでくれたサラリーマンらしきおじさんだ。

「…とても、彼の事が好きなんだね」

隣の座席が軋んだ音を立てた。
返事をするだけの元気はない。だから黙ったまま、頷いた。

「周りにたくさん居た人も、祈るように指を組んでいた。彼が助かるようにと」

同じ動作をもう一度。

「あんなにも願われる人を、神様はきっと殺したりしないよ。おじさんも祈ってる。君たちに笑顔が戻る事を」

もう頷けなかった。
静かな足音と共に、おじさんの気配が遠ざかる。
膝辺りのジーンズを重く濡らしていく涙はどこから出てきてるのかと、意味のない事が溢れる頭を軽く振って歪みそうな顔を無理矢理笑顔にしてみた。


聞いてんの?
皆、司の無事を祈ってくれてんだよ

お父さんも、なぁ、あんたを愛してた
ちょっと形は違えど、道を間違えど、ちゃんと愛されてた

「はやく、かえってこい」

そしたら息が出来なくなるくらい抱きしめてほしい
早くしてくんねぇとさ、

俺の心臓が赤旗上げちまうよ



その時、何やら騒がしい声が聞こえて顔を上げた。一人分のその声は段々と近づいて来る。

「今は会議どころではないだろう!私の息子だぞ、たった一人の!」

階段を駆け上がって来たらしいその人は、耳に宛てた携帯に向かって声を荒げた。そしてプチリと電源を切る。

あぁ、司。

「司の、お父さんですね…?」

その人が頷いた。顔がまた涙に濡れていく。それはその人も、同じようだった。

「君は…」
「水上、光と言います」
「水上…そうか、君が…。私は司の父…と名乗っていいものか…」
「いいに決まってるじゃないですか!」

驚いた表情を見せた後薄く笑ったその人は、小さくありがとうと呟いた。
力無く下がった肩のせいで、スーツがくたびれて見える。

「水上君…君が司の大切な人、だね」
「っ!ど、どうして…」
「一度ね。見た事がある。あの司が、楽しそうに幸せそうに、君と歩いているのを。あの時は後ろ姿しか見られなかったけれど……とても、幸せそうだったから」

俺を真っ直ぐに見る瞳は、とても司に似ていた。正しくは司がお父さんに似たのだろうけど、今の俺には司が俺を見ているようで。

「司を刺したのは私の妻だ。…被害妄想が激しい令嬢でね…隠していた司の写真を、見つけられてしまった」
「………っ……」
「あの子に何もしてやれなかった上に、こんな事に………私は…私はどうしたら…!」

隣に腰掛けた金城さんは、消え入りそうな声で司、と呼んだ。
顔を隠すように覆った手のひらから、涙が一つ零れ落ちる。