ケイイロ10



「あらまぁ雨竜ちゃん、一先ずニッコリしてごらんなさいよ」

そう言って俺に私物のカメラを向けた人は、片山というカメラマンだった。
仕事を終え帰宅するか別の現場に行くのだろう。付き人だかアシスタントだかが、身軽な片山さんとは対照的に大荷物で隣を通り過ぎ車に乗り込んだ。

肩につく位の天然パーマと話し方、シルエットの細さを見れば女性と見紛うような見た目をしているが、片山さんはれっきとした男性である。そして、慶に連れられて何度か撮影を見学していた俺を撮りたいと宣う変人でもある。

「こんにちは、急いでるんでこれで」
「AZUMA君が何かしてるらしいわね。行かない方がいいんじゃない?」
「なら尚更行かないと」
「イロハ! あれ!」

唇に人差し指を当てて、どこかなまめかしい表情で俺を見下ろす片山さんから、俺の後ろでどこかを指差しているリクへ視線を向ける。
予定通り仕事を終え、そのまま先生に局へ送ってもらった為不本意ながら着いて来たリクは、わーわーとフロア一階の休憩所にあるテレビを見て慌てている。
俺と片山さんは同時にそっちを見、冷や汗を流した。

「シノ先輩と浮気相手じゃん! え、何! ライブ? 録画? どーゆーこと!?」

喧しいリクを殴って黙らせ、俺はフロアを見渡した。
見学に来たのだろう一般人だけでなく、局側の人間までもが驚いたように画面を見つめている。という事は、慶は大勢に向けて真実を晒す気でいるのだろう。

「嫌な予感がするわ……あの子、何するのかしら」
「ぶち壊すつもりだ……」
「え?」

薄暗い場所からひっそりと撮っている隠しカメラのような画面。机を挟むように見つめ合う男女は、和やかな会話をしている。

けれど、慶の顔が笑えていないのを、俺はしっかり理解していた。
ただ口角を上げただけ、ただ目を細くしただけ、ただ見本のような言葉遣いをしているだけ。
こんなにも作り物めいて気分の悪くなる笑顔を、俺は今まで一度も見た事がない。

女に脅されていた事を、バラすつもりだ。そうしたらきっと、慶の恋人が男であるのを女は口走るだろう。
局にはたくさんの人が居る。俺にはよくわからないが、偉い立場の人だって居て、その人がこれを見ていたとしたら。

女は華々しい脚本家人生から転落するだろう。でも。

「片山さん! この映像流してる所連れてってください!」
「え?」
「これじゃ共倒れだ! お願いします!」

あくまで被害者という立場をとらなければ、同情を買った上で恋人が男だという事実を公表しなければ、慶が芸能界での立ち位置を死守出来る可能性は格段に低くなる。
俺は後ろ指さされてもいいと言ったが、慶に芸能界を辞めろとは言っていない。
ドラマを続けてほしいし、歌だって歌ってほしい。慶の好きな事をしてほしい。

だからこの映像を早く止めないとと焦る俺に、片山さんは深くを聞かず、器用に片目をつむって見せた。

「何でも言う事聞くなら、ね」
「いくらでも」
「よし! いい度胸よ! 来なさい雨竜ちゃん。そこの爽やか君も!」
「えぇ!? 俺部外者……!」
「煩い俺も一応部外者だ」

振り向かず颯爽と、長い足を使って片山さんが駆けて行く。
うろたえるリクの腕を引っつかみ、俺もその後を追った。

+++

片山さんの行動は全てにおいて的確だった。
たくさんのモニターと見た事もない機械の並ぶ部屋の一つに飛び込み、勝手にレバーを弄っていく。
有名だとはいえさすがに一カメラマンのする事ではないそれに、室内に居た数人は慌てふためいた。
だがそれも、顔見知りの男性によって静まり返る。

「いいいい依路葉君!」
「、今井さん!」
「よ、よ、よ、よ、よ……よかっだぁぁぁぁっ」

青い顔のままモニターを見つめていた弱気な表情が、俺の姿を見留めて更に弱々しくなる。
早口で吃りながらの言い分では、慶の命令だから止めるに止められず、しかも慶の立場が危うくなるかもしれないとの打ち合わせは一切なかったらしい。

「依路葉君が止めたなら怒られません……っ」
「怒られたら言って下さい。俺が慶を叱っておきますから」
「あああありがとう……!」

慶の事だけでなく、マネージャーとして事務所や仕事やらで考えなければいけない事はたくさんあるのだろう。
今井さんは頻りに滲んだ涙をスーツの袖で拭いながら、ありがとうと繰り返した。

「イロハ……」
「雨竜ちゃん、見とかないと損するわよ、これ」

リクと片山さんの唖然とした声が聞こえ、今はこのモニターにしか流れていない映像を見る。
さっきと寸分変わらぬ映像のまま、音声が酷く甘ったるく変化していた。

ゆるりと慶の視線が漂って、女を通り越す。
まるでそこに俺が居て、見つめられているような錯覚に陥るくらい、見慣れた表情で慶は言った。

『男だから何だよ。人間終わんのか? 愛してんだ、あいつを。初めて会った時からあいつだけが、俺の全てだ。そのせいで居場所が無くなんだったら俺はあいつ連れてどこにでも行くし、てめぇみたいな腐った女が居るなら芸能界だって捨ててやるよ』

心臓虐めだ。
昔から、慶の一挙手一投足、何気ない言葉一つで、俺の世界を形作るもの全てが停止するのを慶は知らない。
全神経の向かう先は慶。噴き出しそうな愛しさに、自分を見失いそうになる。

思わず今井さんを引っ張って、その部屋に走った俺を誰も咎めなかった。

何て事を言うんだ。
馬鹿じゃないか、そんなの。
たかが人間一人の為に人生棒に振ってもいいだなんて、盲目に溺れ過ぎている。
俺に、全てを捨てさせてまで愛される資格があるとも到底思えない。

だけど俺は、慶がそう言う事を望んでいたし、きっと知っていた。

「依路葉君、こっち……あ、ああそこ!」

言われた部屋を捉え、今井さんの手を離す。運動不足気味だからか、そこに到着するまでがやけに長くて。

ドアノブに触れる直前で扉が開くから、俺は勢いのままそこに居た恋人を押し倒した。

「っはー、はー、はっ……慶っ……」
「イロ……っ!?」

呼吸の仕方を思い出せない。けど、久方ぶりにちゃんと言葉を交わした薄い色の瞳は変わらず綺麗で、吸い込まれるように唇を重ねた。
セットされた金髪をぐしゃぐしゃに掻き乱しながら、歯がぶつかるくらい頭を強く引き寄せる。
餓えた獣みたいだ。そう思っても、止まらなかった。

「けい、ばか……っ」
「わりぃ……一人にしてごめんな、」

慶の瞳に、苦しそうな顔の俺が映りこむ。
じゃあきっと俺の瞳には、俺以上に苦しそうな顔をした慶が居るに違いない。

「な……何、やってんのよ……っカメラ回ってるのよ! あなたたち馬鹿なの!?」

ふと、金切り声が耳に届いた。
唾液で濡れた唇を慶が親指で拭ってくれたから、その頭を胸に抱き込む。膝立ちの俺の背中は、慶の両腕が潰すように抱きしめた。

女は立ち上がっていて、信じられないものを見るような目で俺と視線を交わす。
そうして漸く本来の用件を思い出した俺は、ジャケットのポケットから小さな封筒を取り出し女に投げた。

「な、何よこれ……」
「心配いりません。カメラは俺が止めてもらってきました。モニターには流れてましたけど、人も殆ど居なかったし、多分録画もされてない」

ビクリ。背中を抱いた逞しい腕が震える。
大丈夫だからと金髪に指を通すと、ゆっくりと力を抜く肩が愛おしくて泣きそうだった。

「それ、あなたに差し上げます。あなたの後ろめたい部分が詰まったテープです。それの他にも書類に起こしたものをこちらで保管させていただいてます。……慶と俺の写真、曝せるものなら、どうぞ。盗作に代理執筆……色々弱味はあるみたいですし」
「嘘……どうして……」

積み上げて来たものが壊れる瞬間。賢い女はそれだけで理解し力無く膝をつき、手の中の封筒を握りしめた。
少しばかり、可哀相だと思わなくもない。ただそれ以上に腹が立つだけで。
慶に手を出さなければ、どこにも露呈する事なく墓まで持って行けた秘密だろうに。

「野茂探偵事務所の雨竜と申します。俺は慶みたいに優しくないので、もしまだ慶に被害を与えるようでしたら、覚悟してください」

女がどうなろうが、あの代理執筆をしていた男がどうなろうが、知ったこっちゃない。

腕の中で恨めしげに見上げてくる愛しい男を、守れるのなら。

「後で説明しろよ」
「わかってる。……でもその前に、」

二週間分愛してくれ。


(あなたが足りなくて狂いそうだ!)

 

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