「る」 ケイ×イロ



息も出来ないくれぇお前が好きだっつったら、お前は馬鹿ですかと笑うんだろうか。

でも願わくば、照れ隠しで馬鹿にした笑いを浮かべてても構わねぇから、知ってますよと俺を幸せで出来た底無し沼に遠慮なく突き落として欲しい。
酸素の代わりにお前の愛情だけを器官に流し込んで、その甘苦しい快感に自ら溺れて。

それでも俺は水面に未練一つ馳せずに笑ってやるから。


【愛中自殺】


夜にこの道を歩く人間がいる事を想定しなかったのか、はたまた歩くなという言外の訴えか。
確実に後者であろう、学園へと帰る山道を一人歩く。
外灯一つない道を延々と、朧げに顔を出す月に示されるように。

送迎の車を途中で降りたのは、くだらない気まぐれだった。
治まらない興奮と熱を少しでも冷ますように、やっとこさ冷たくなった夜風に顔を晒す。申し訳程度にしか吹いていないそれも、今の俺には心地好かった。

後10分程歩けばあの馬鹿デカイ門が出迎えてくれるだろう。
そうしたら一番に彼の部屋へ行って、言葉を交わすより先に抱きしめよう。きっときっと、彼も嬉しそうに抱きしめ返してくれる。

「…んだよ、こんな時間に」

ブー、ブー、とポケットの中で機械が振るえ出す。
煩わしい振動はけれど、もしかしたら愛しい彼からのラブコールかもしれないとすぐに気分は浮上した。
なのに。

「チッ……木津かよ」

無機質な液晶が紡いだのは現在一番のお邪魔虫で、彼のルームメイトの名前。
自分勝手な腹立たしさに一瞬無視という単語が頭を掠めたが、彼に関する急用だったらと思い止まり通話ボタンを押した。

「なんだよ」
『うわ、普通もしもし、じゃないんスか』
「何の用だ、ないなら切るぞ」
『ありますあります! ったくシノ先輩イロハと俺の態度違いすぎ!』
「常識だろ」
『ひどっ!』

猿みたいにキーキーとがなる木津を流してもう一度用件を尋ねる。すると木津は我に返ったように息まいてまくし立てた。

『そう! シノ先輩今どこ!? 後どれくらいで学園に戻るんスか!?』
「今現在は山道。後10分も歩けば着く。それがどうした?」
『歩き?何でまた!』
「うっせぇ気分だっつーの。だからそれが何だっつってんだろ」

中々要点を言い出さない木津に焦れる。苛々と続きを促すと、やっと落ち着いて一つ息を吐き、静かに話し出した。

『イロハが先輩の出待ち? お迎え? するって言って、校門のとこまで行っちゃったんですよ』
「馬鹿かてめぇそういう事はさっさ言え!」
『あいつ携帯置いてっちゃったし…可愛いから何かあったらと心配で。先輩がまだかかるんなら連れ戻しに行こうと思って電話したんスけど……』

ばったり二人で居るところに出くわしたくないし、と続いて告げる木津の声色はどこか疲弊感を感じさせる。
遠慮かいたたまれなさか嫉妬かは計りかねたが、中々失礼な奴だ。

だが今はそれよりも、こんな夜も更けた時間に一人外に居るイロの事が心配で、俺は鞄を肩にしっかりかけ直して電話口に一言呟いた。

「お前はいい。三分で行く」
『三分!? んな無茶なこ』

ブチリと話し途中の回線を閉じて仕舞う。
後はただ、きっと今か今かと暗い道を見つめる彼の綻ぶ笑顔が見たいが為に走り出した。


イロは知らないんだろうなと思う。俺がどれ程イロの事を愛してて、例えばそう。10分の道程を三分で走り抜ける程度には溺れちまってるって事。

伝われ。理解して。それから受け止めて。
もどかしさにそう口をついて出そうな時がないとは嘘でも言えないけれど。
一々、自分が世界で一番幸せだって言いたげな顔で笑うのを見たら、そんな高望みくらいすぐに白旗を上げてしまう。

こんな風に情けない自分と俺をそうさせてしまうお前が好きだと言えば、嬉しさを隠すように仏頂面を作って気のない返事をしてくれるだろうか。

そしたら俺は、そのちぐはぐなあまのじゃくを後生大事にポケットの中で飼い殺すのに。

「……っイロ、」
「あ。先輩」

道が拓けてすぐに広がった場所に聳える高等部の校門。その端、遠慮がちにしゃがむイロを見つけて思わず安堵の息を吐いた。
真顔でピラピラと手を振る彼には何も危ない事は起きなかったようだ。
心配しすぎかとも思うが、これだけ可愛いくて素直な彼の事。過剰なくらいで調度いい。

「お帰りなさい」
「あぁ……たでーま」

少しはにかんで、珍しく勢いよく俺に飛びついてくる体を抱きしめる。
入浴を済ませた後なのかまだ湿りのある髪からは清潔なシャンプーの香りが漂って鼻孔を擽った。

「どうして走ってたんですか?」
「早くイロに会いたかったんだよ。汗くせぇだろ、ごめんな」
「いえ、臭くないですよ。むしろ……」

薄く汗で張り付く俺の前髪を分けて、見通しのよくなった視界でイロが笑う。
それから首許に顔を埋めて、汗臭いはずの場所に関わらず大きく息を吸い込んだ。

「イロ?」
「はぁ……なんか、先輩の匂いがします。俺好きですよ」

すりすりと。
俺が息を飲んだのも手の平に爪を立てて衝動を押さえ込んだのにも気付かずに、殺人的な鈍感さでイロはひたすらに理性を追い込む。
ここが俺の部屋ならばと沸き上がる邪まな欲望を何とか隅に追いやって、頼むからこの溜め息と共に出掛けてくれと息を吐いた。

「先輩?」
「……なんでもねぇよ。それよりイロ、何でこんなとこに居んだよ。危ねぇだろ」
「何がどう危ないんですか……ここ学校ですよ」
「その台詞イロからだけは聞きたくねぇな」

う、と詰まるイロ。
木津の親衛隊にされた暴行事件を思い出して反論出来ない事を悟ると、コホンとわざとらしい咳ばらいをして俺から離れ、腰に手をついて見上げてきた。

「俺が一番先輩の事好きなんです。……って、言いたかっただけですすいませんもう帰りま、」
「言い逃げはよくねぇぜ?」

びしっと指差してそれだけを言い切り、すぐさま踵を返して逃げ出そうとしたイロをまた腕の中に収める。
大体こうなった経緯は何となく理解出来たが、イロが思いの外嫉妬深い事を知れたのは大きすぎる収穫と言えた。

あまり口にしない告白が大層恥ずかしかったのか、先程の威勢はどこへやら。
ちんまりと大人しくなったイロの耳はこの暗がりでも通常の肌色でない事が伺える。

またまた浮かび上がった噛み付きたい衝動を無視して、小さくキスを落とすに留めた。

「んな可愛い事言いやがって。このまま帰すとでも思ったか?」
「だ、だって、ですね……」
「だって、何?」
「……悔しいん、ですもん……」

さらりとした感触のイロの指先が、腹に回した俺の腕を弱々しく掴む。
俯いて晒された首筋に鼻を押し当てると、シャンプーの匂いに混ざって愛しい匂いが一段と濃くなり、あぁこれは自殺行為だったと気付いた。

「あの人達は先輩に大声で好きって言ってるじゃないですか」
「言われてる俺はお前にしか好きなんて言わねぇけど?」
「それじゃダメなんです!」
「足りねぇ?」
「そ、……そうでもなくて!」

割と物静かなイロがもどかしそうに、焦れるようにやっとこちらへ首だけを向ける。
情けなく眉を垂れて、目尻までを赤くしたその表情のまま、何かを決心したように口を開いた。

「世界中の誰よりも俺が先輩の事好きで、誰よりも近くて、誰よりも知ってるって先輩にわかっててほしかったんです! 確かに俺こんなんだけ、ど……あの人達より先輩の事愛し、」
「もういい」
「せん、」
「んなの、常識だろ」

俺の一番はイロで、イロの一番は俺じゃねぇとこの世界はぶっ壊れるんだぜ。

言い逃げはよくねぇと言いながら、すぐにキスで口を塞ぐ俺の勝手さをどうか、許してほしい。
大きな地球の小さな二人でも、烏滸がましさを吹き飛ばして世界規模の恋愛をしてみるのもいいとは思わないか。

離れる時なんて来るはずがないし、まかり間違って来てしまったらその時は、二人分の涙で地球を深く深く沈めてしまおう。

それから一緒に、くだらないとこの世を馬鹿にしながら酸素不足で死に急ごう。

苦しくっても、きっとお互いの愛情だけで魚のように生きて行けるはずだから。


END

(けいちでふたりきりもすてがたい)

 

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