SM 5



馬鹿なミチは気付かない。

誰よりも俺を見て、誰よりも俺の事だけを考えて、誰よりも傍に置いてやっているにも関わらず、ミチの中に俺の頭を悩ませる選択肢がある事を、ミチ自身は想像すら出来ない。

いや、出来ないんじゃない。
しないんだ。

彼はどんな偉人の言葉より、常識という名の法律より、ただ俺の存在を言葉を信じている。
俺が傍に居るという今が変わる事を、小指の爪程も疑わない。

とても可愛くて、憎らしい。
俺のミチ。


―希望の足跡―


わかってはいたが、ミチの学力レベルは酷いの一言も出ない程壊滅的だった。

まず数学だが、第一に九々が六の段で躓いている。つまり割り算も出来ない。試しにと小学校二年生のドリルを与えてみたところ、どうやら足し算にしろ引き算にしろ、繰り上がり繰り下がりの時点からがちんぷんかんぷんらしい。
356+179=、という問題で電卓が欲しいと言われた時は一瞬犯罪者になる覚悟を決めた。

古典はレ点を初めて見たとぬかすし、漢字は緑と縁の違いがわからず、歴史は出来ると思ったら戦国武将を操作するゲームで得た知識、理科に至っては酸素、二酸化炭素、水の化学記号を全て間違えた。
英語? ……上記から想像してくれれば事足りると思う。

「ダイキ……ダイキ?」
「ん? ああ、何?」
「ごめ、疲れた……?」
「そんな今更聞かなくても最初から疲れてるよ」

何度か俺を呼んでいたらしいミチは、酷い学力を回想していた俺が漸く反応を返した事に息を吐き、伺うように上目遣いで見上げて来た。
ドライアイなのかどうなのか、ぱちぱちと忙しなく瞬きするのと同時に睫毛が揺れる。濃いそれと大きめの黒目がやはり可愛いなと思った自分に苦笑いするしかなかった。

「うん……で、でも、俺ちゃんと出来たよ」
「へぇ。見せてよ」
「うん!」

だがしかし、教えてと請われて了承した限りはと低レベルな頭脳に持てる全てを詰め込んだ。その追試が昨日で、早くも今日結果が知らされたらしい。
珍しく朝から登校し常に傍に居たが、帰りのHRの後呼ばれていたからその時担任から解答用紙を返してもらったのだろう。

ダイキが促すとミチは目を輝かせ、ポケットから綺麗に畳まれた5枚の紙を取り出しはい、と差し出した。

普段が普段なのだから、出来たとは言え微々たるものだろう。担任も何も言っていなかったから、恐らくは赤点ギリギリ、30点あれば涙を飲もう。

ダイキは内心ほくそ笑みながらその紙を一枚開き、右斜め上にでかでかと書かれた赤い数字を見て、目を瞬いた。

「……はぁ?」
「ど、どう? どう?」

2枚目数学。3枚目理科。4枚目社会。5枚目英語。
その全てを開き、何度も何度も繰り返し数字を見る。

尻尾があるなら確実に振り切れる程振っているであろうミチは、期待に満ちた瞳で瞬きを繰り返した。

「80点…以上……?」
「ダイキのおかげだよ、ね、頑張った? 俺頑張ったよね?」

褒めて。たくさん褒めて。
そう言いたげなミチを見遣る余裕もなく、ダイキは自分の計画が崩れた事を思い知った。

馬鹿なミチ。こんな時ばかり、思い通りにならない。

「……よかったね。留年しなくて済むじゃない」
「うん! ダイキと居られないなら、学校に来る意味なんてないもん」
「そう」

満面の笑顔を咲かせるミチの目の前で、解答用紙をびりびりと破り捨てたい衝動に駆られた。
通りすがる女子生徒がミチの笑顔を見て僅かに頬を染める。

ああもう、ホントに憎らしい。

「……ダイキ……?」
「なぁに?」
「最近……元気ない……。いい点取っても元気にならない?」
「俺は元気だよ。ミチなんかに心配されるなんて心外だ」

肩を竦めて見せる。
疑わしそうなミチの視線は、すぐさまその嘘に騙された。

ダイキは荒れた心情を隠すように背を向けて歩き出す。
少し遅れて着いて来る足音を聞きながら、己の浅はかさを恨んだ。

いっそミチが学校を辞めてくれたらと、望んだ事が間違いだったのだ。

そうしたら一緒に居られる。
一緒に、連れて行けるなどと。

「ダイキ、何かあったなら、言って。俺言ってくれなきゃわかんないから……」

ダイキは振り返らず、笑い声を上げてみせた。

「ミチの頭はお飾りだもんね」

(主人の憂いに気付け、駄犬)
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