2015〜16/年末年始タキ十



興味もないバラエティーのかかったテレビをぼんやり見つめ、心の中でつまらないなあと呟いた。
学園を抜け出して大晦日の街をバイクで駆け、今俺がいるのは三浦さんの住むマンションの一室。後三十分程で年が変わるというに、家主は隣でずっとパソコンと睨めっこだ。それでも構えよと言えないのは、彼の作業がレポート作成だからに他ならない。高校生の俺に邪魔出来ない領分なのだから、大人しく作業終了を待つしかなかった。

「十夜」
「終わりました?」

久方ぶりに声をかけられたせいか、自覚するくらい弾んだ反応をしてしまった。しかし三浦さんは少し笑っただけで、いいやと首を横に振る。

「まだかかりそうだ。先に休んでいていい」
「眠くないんで」
「ならいいが。つまらないだろう」

別に、と言えば拗ねているように届きそうで、俺は精一杯の平常心で彼の懸念を否定した。何がしたいのかもわからない番組を見ているフリで、全然暇じゃないよのアピールだ。

「俺の事はいいですから、それやっちゃった方がいいですよ。急ぎなんでしょう」
「まあな」
「気にしなくても眠くなったら寝ますから」
「すまんな」

無意味な背伸びは自分の首をどんどん絞める。同じ学園にいる間はそう思わなかったが、彼が大学生になってからは「理解のある恋人」らしさばかり追いかけてしまっていた。だってそうだ。元より縮められない一歳の差プラス、世間の広がる大学生を今まで通り自分に引き留めておく方法なんて俺にはこれくらいしか思い付かない。僅かな窮屈さや面倒さが足を引っ張らぬよう、傍に居ない間のこの人を想像しないように努めている。

「……」

勧めのまま再びパソコンに向かう横顔は、真剣だがどこか眠そうな雰囲気が漂っている。俺が部屋に来る前から作業を続けていたようだから、疲れ目なのかもしれない。気付いたら飲み物を淹れてあげたくなるけれど、珈琲でいいかと聞けば集中を途切れさせそうで、慣れない戸惑いを感じていた。

前はこんなんじゃなかったのにな、と落ち込めば、自分らしさがわからなくなる。遠慮のない三浦さんとの心地よい関係に戻るのは、どうすればいいのだろうか。
結局聞けずに残った迷いをそのまま、手持ち無沙汰に膝を抱く。バラエティー番組はいつしか感動ドキュメンタリーに変わっていたけれど、楽しめるような精神状態じゃなかった。

「すいません、俺用事思い出したので帰ります」
「用事?」

このままここに居ても何の役にも立たないと答えを出した俺は、思い切って立ち上がった。一緒に年を越せたらそれでよかったが、邪魔をしたい訳じゃない。忙しい時他人が近くにいる苛立たしさは俺も知っている。幸い三浦さんがこの状態だったお陰で酒は飲まされていないし、バイクに乗っても問題はない。

「勝手に来ておいてなんですけど、明日生徒会で集まりがあるの忘れてました。ホントすいません。じゃあ、あんまり根詰めないでくださいよ。一人暮らしだからって」

矢継ぎ早に言い上着に腕を通す。ポカンと俺を見上げる三浦さんに今一度謝罪を告げ玄関へと踏み出した。今度ここへ来る時はきちんと連絡をするべきだなと決意する。大学生と高校生はスケジュールが噛み合わない事を、俺もそろそろ理解するべきだった。

「お邪魔しました。よいお年を」
「ああ」

反省しつつ廊下を踏みしめた時、冷えた指先に恐ろしい程温もった手が絡み付いた。寒い日、湯船に浸かった時のような心地よさだ。驚いて振り向いた俺は、音もなく俺の手を取っていた恋人のうすら寒い笑顔に肌を粟立たせた。

「よいお年を。……なんて、帰すはずないだろう」

無遠慮に引き戻された腕の付け根がか細く悲鳴を上げる。抗議のつもりで開いた口は、抱き寄せられ行き着いた胸に押さえ込まれて中途半端な形のまま固まった。

「出来の悪い嘘をつくなら、もっと我が儘な方がやりやすい。構って、の一言が言えないか」

核心を突かれて顔に血が集まり、俺は否定も紡げないまま押し黙った。三浦さんのこういうあざとさは今でもあんまり好きじゃない。わかっていて俺を泳がせる余裕も、最後の最後で暴く意地の悪さもだ。
仕方なく唸る俺の背を抱いたまま、彼は後ろ歩きで元いた場所にゆっくり腰を落ち着けた。ご丁寧に俺用のクッションを下に敷いてくれる優しさが今はただ恥ずかしい。

「確かに用事は嘘ですけど。俺は結構我が儘ですよ」
「どこが? 俺の邪魔をしないよう帰るのが?」
「邪魔……っていうか、面倒だって思われたくないだけなんで」

気遣いや遠慮という感情は、どうしても奥底に利己的意識が存在している。三浦さんの為と言いながら、最終的には全て俺自身の為の行動だ。そこには「いい恋人」と思ってくれないかな、という下心すら含まれている。
だから三浦さんが思うより、ずっと俺は自己中心的なのだと思う。憮然と白状する俺を少しばかり離し、彼は探るように顔を覗きこんできた。

「なら、俺の都合を無視して甘えてほしいと思っている俺は、我が儘を通り越して相当な傍若無人という事になるな?」
「……今夜中に仕上げたいって言ってたじゃないですか、レポート」
「正月にお前と出歩きたかったからな。だがそのお前が帰ってしまえば必死で片付ける意味もない」

あっけらかんと宣った男は身を離し、開いたままのパソコンをパタンと閉じた。思わず額を押さえた俺が溜め息を吐いたのは致し方ない事だ。こうも優先順位を明白にされれば、照れる以前に大敗した気分になる。

「なんですか、それ……」
「意地の悪い教授に睨まれていてな。無駄にレポートを出されたが、お前を帰してまでする程の事じゃない」
「やらないとまた睨まれますよ」
「十夜が慰めてくれればいい。そんな事より、正月は行きたい所あるか?」

完全にレポートを捨てる気らしい三浦さんは、改めて俺を抱き寄せてベッドの下から収納ケースを引っ張り出した。向かい合わせで膝に乗せられた俺はケースから旅行雑誌が出てくるのを見つめ、脱力感のまま目の前の肩に頭を置いた。

「バイクか電車で行き先は変わるが……たまには電車で遠出もいいと思わないか?」
「はあ」
「なんだ、気が乗らないみたいだな」

展開が突飛過ぎて俺は着いていけてない。何故にレポートの話しから旅行へと話題転換されたのか、全くもって整理出来なかった。
だが少なくとも、彼が一心不乱にパソコンへ向かっていたのが俺と出掛ける為で、俺が帰ると言い出したから作りかけのレポートを捨てたのだという事はわかった。馬鹿馬鹿しくて笑ってしまいそうだ。三浦さんが、ではなく、男の意識を自身に引き留めておきたくて無意味な背伸びをしていた俺が。

「レポートの続きしてください」

どうしてか色々な懸念が吹き飛んで、俺はずるりと膝の上から降りた。目を丸くする恋人を置いてノートパソコンを開き、勝手にパスワードを入力する。そもそも俺は彼の携帯とパソコン、そして通帳の暗証番号まで教えられているのに、何故下手な小細工をしないと離れていくと思ったのだろう。物理的な距離がありもしない不安を掻き立てると、今日覚えた事は恐らくずっと忘れない。

「いいのか?」
「いいです。帰りませんしここに居ますけどいいですよね」
「勿論」
「後旅行は行きたくないです」
「何故?」

分厚い肩を押してパソコンに向き直させ、許可も取らずに三浦さんの太股へ頭を置いた。閉じた瞼の上をさわさわ撫でる男の指は、少し固いが暖かくて眠気を誘う。

「せっかくの正月なのに、家に缶詰になるぞ」
「それでいいです。三浦さんとまったりします。だからさっさとそれ終わらせて、教授とやらにドヤ顔で出して来てください」

どんな事情があるのか定かではないが、恋人に意地悪する教授へ憤慨する俺を三浦さんは満足そうに撫でた。気分は膝に乗る猫だ。そんな小さく可愛らしいものではないけれど。

「わかった。今夜中に終わらせて、明日提出しに行ってから買い物に行くぞ。正月休み、外に一歩も出なくて済むように」
「終わったら起こしてください」
「起こしたら抱くぞ」
「その頃には足が痺れて動けないでしょうね」

笑い声を立て、三浦さんはイエスもノーも言わないままベッドから毛布をひっぺがして俺にかけた。三浦さんの匂いと暖かさに包まれて目を閉じれば眠気がやってくる。うつらうつらとする中、子守唄代わりのキーボードを打つ音。そこに混ざるのはテレビ番組のキャストが新年を祝う声だった。

「あけましておめでとうございます」
「ああ、おめでとう」
「今年もよろしく。女子大生にちょっかいかけたら殺しますよ」
「男子大生は?」
「心中コースでいいですか」

それはいい、と喉を鳴らす音が遠ざかっていく。ゆっくりと眠りの淵をさ迷う俺は、やがて足を痺れさせる恋人の為に後で珈琲を淹れてやろうと決めた。それから、たまには襲ってやるのも悪くない。

手のひらが頭をクシャクシャと撫でていき、潜めた声が僅かに鼓膜を震わせる。俺は彼の言葉をバッチリ拾いあげ、閉じた口許に隠れた笑みを刻んだ。

「十夜。と、その他。俺の見ているものはその二種類だけだ」

年始の強烈な告白に、俺は何を返そうか。
一先ずは短い睡眠の間に、富士山よりも枕役の男が夢に現れてくれるといい。細やかな願いを胸に、俺は意識を深部へ投げ入れたのだった。


今年もどうか、あなたの傍で


END

 

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