いつか貴方に






深い深い水の底

私の瞳が見上げる空は水面の裏

朝が来れば太陽の光が、夜が来れば月の光が

夕焼けが、星の光が、雨粒の雫が、空を揺らす事があるけれど

本当の空を見つめる事はたぶんもう二度と無い








この時代のアンドロイド技術の粋を集めた彼女の名前は『シス』と言う。
研究チームの一員であった女性が『すべての人類の姉妹に』といった意味合いの願いを込めてつけられた仮称。正式な研究機関から外され、独自の研究施設でそれから何世代にもわたって改編を行って尚、その名前は受け継がれてきた。

[…si…S…s]

鼓膜の役割をする電子部品が振動ではなく信号で不明瞭に彼女の名前を呼ぶ。
だが、呼ばれていると認識はしていてもその信号に反応をする機能は先日のオーバーヒートによって大半を失われている。本来なら呼びかけに対し現在位置を知らせるべきなのだが、今の彼女には断続的で微弱な電波に交じりノイズの様にしか返事と呼べるものを送る事が出来ない。彼女の自己回復機能は他の機械とは比較にならないほど優秀ではあったが、それでも無機物の回復は有機物に比べ格段に時間がかかるうえに限界がある。
目的の喪失。
それが最大の問題であった。優先するべき機能の回復が判らない。
存在意義の喪失。
今の彼女は周囲数百メートルの情報を受動的に受け入れ貯蓄することしかできない。
時折側行く人の音声から彼女のオペレーションシステムを刺激する単語を拾い上げる事があったが、その情報を何度繰り返し演算し直してもあからさまに足りないデータからでは何の回答もはじき出す事は無く、今日もただ淡々と移り変わる人の日常を見つめ続ける。



そんな彼女を見つけ、殊勝にも興味を持った人間がいた。
治安のよく、美しい公園のベンチに若い女性が座る事は珍しくは無かったが、それでも毎日のように遠くを見つめる、真っ白な、雪の様な姿の彼女は目を惹いたのだろう。

一人は少年だった。転がったボールを取ってくれと言われたが関節駆動の修正が上手くいかず、そのボールはコロコロと手を離れ全く別の方向へ転がってしまった。足早にかけてきた少年は足元からボールを拾い上げ『お姉ちゃんへたくそ―』と言って八重歯を見せて笑った。

一人は老婆だった。道に迷ったらしく、歩き疲れた様子で彼女の隣に座る。孫が今度結婚するので遠くの街から会いに来た、と隣に座っただけの彼女につらつらと思い出話を聞かせた。相槌と言うには一言も返事は出来なかったが『話を聞いてくれてありがとうよ』と静かにうなずき笑みを見せた。

一人は若い青年だった。正直、素行の悪さが見た目に現れる様なタイプで、レトロタイプの口説き文句で彼女の隣に座りその肩を組んできた。そして、その肌の弾力と温度の不自然さに気付いた唯一の人間となった。『○○○!』無言で見つめ返す彼女の瞳に恐怖の表情を映し走り去った。



大抵の接触は一度きりだった。
話しかければ見返してきたりと反応は示すのだが、一切の返事をしない彼女。隣に座る人は常に移り変わり、その人の興味も常に移り変わり。
だが、彼女はそんな事を気にも留めない。今日もまた、新たな情報を忠実に忠実に記憶し、ゆっくりとゆっくりと己の中の故障部位を修正していく。



そんな中一人の男が隣に座った。
何故だろうか。彼女が此処に座ってから初めて『返事』をした。声帯機能がここにきてようやく回復したのか。
「だいじょうぶ」
散歩と買い物の途中と言った風貌で彼女に向かって叫ぶ犬を制した後隣に座り、何を話すでもなく彼女が顔を向ける空を眺めた。
たどたどしい会話は他のどの人よりも短く、寡黙と言っていい程少ない情報提供だけで彼は去って行った。

翌日も、その翌日もほぼ変わらぬ時間に彼は隣に座った。

二日目は挨拶以外に己が初めてNEXTを発動した時事を話した。失敗もしたが、あの経験があったから僕はこの能力を好きになれた、誇りに思えた。そう言って白い歯を見せて笑う。
だから…君もきっと大丈夫。いつかその力を誇りに思える日が来る、と。心配する事なんか何も無い、と。
「だいじょうぶ」
彼の言葉を繰り返す様にそう返した。

三日目は挨拶の後何点か質問をしてきた。
どこに住んでいるのか、とかいつからこの街に居るのか、とか。
対人関係の初歩ともいえる肝心の名前を聞いてこなかったが、聞かれた所で自身にその記憶が欠如しているので応える事は出来なかった。
「ごめんなさい」
己の事は、何も答える事が出来なかった事が不具合だったが、今日もまた、日が暮れるまで空を見て過ごした。

四日目は少し様子が違った。
「はい」
「いいえ」
会話と言える会話も無く。
過ぎ去る彼の背中を、彼女は初めて見送った。

五日目。これが最後になった。
夜間の公園に人は無く、捉えるべき情報は彼の声以外なかった。
「なぜ」
理解できない質問に対しもう一度説明を要求する為に、発した言葉。
「なぜ」
己の中の情報は基本的な事しか与えられておらず『人の相談に乗る』という機能は実用性を持つにはまだまだ時間を要した。本来なら数年単位で実地訓練を行いAIの成長が伴わねば役には立たない。
それでも製作者がこの機能を完全に停止しなかったのは、いや出来なかったのは恐らく彼女の存在意義に深く関わっていたからだろう。
『全ての人類の姉妹に』
そう、それは人に寄り添う為に作られた機能。
人と生きる為に備わった能力。
強い力も美しい外見もおまけでしかなかった。
人の為。
それだけの為に彼女は作られたのだから。

「ありがとう。そして、あり…」

躊躇う男の眼球に映る己の姿。
彼女のレンズの中に反射する男の姿。

それは本当に数秒だけだたけれど。
彼女が生まれて初めてその本来の存在意義を全うできた瞬間だった。
最初で最後の瞬間だった。



「また明日…明日、また」
そう言って彼は去っていく。
彼女は今日も空を見つめる。見つめ続けるはずだった。
だが今日は…彼の背中が見えなくなるまで見つめ続けていただろう。
彼女の名を呼ぶ声が間近で響くまでは。









それは爆散した欠片の一つ
かろうじて機能を止める事が無かった通信機器の一つに眼球型のレンズが張り付いた物。既にガラクタに近い。
ただそれでも技術の粋を集めたという性能の一端は保持していた。


瞳に映る映像は記録されず消え失せるが
送られる信号はもう誰に届く事も無く、霧散していくしかないが
水面を見つめるレンズの光はまだかすかに灯っている


船の船尾が時折飛行機雲を作る

そのシュプールに

あの人を重ね


ただ一言、届けばいいと

信じるべき神も
重ねるべき掌も
伏せるべき瞼も無かったけれど
彼女は生まれて初めて最初で最後の祈りを送る
















『ありがとう』、と…



End



シスの本来の製造目的はベビーシッターロボ、と言う一説を聞いて妄想たぎりました。

15話が衝撃的過ぎたので…脳内消化の為に。
悲しい恋の物語。最後の花束とEDの薔薇もこのつながりなのかなぁ、と。
妄想炸裂ですみません。幸せになって貰いたかった二人です。






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