誘った、受け入れろ







白で統一された部屋は圧迫感があるから、とアイボリーを基調にした床と壁。来客用の椅子は安っぽいパイプ椅子ではなく上等な木製で背には木の繊維を織った背凭れも付いている。備え付けのクローゼットに大型テレビ。広い室内はベッドをもう二つ置いても余裕そうだ。
本来なら一生お目にかかる事すらなかったであろうホテル並みの設備の中、鏑木・T・虎徹は居心地悪そうに身じろぎをした。そして、傍らでリンゴをむき続ける僕に落ち着かない様子で視線を向ける。
「別に、そんなに心配しなくてもリンゴの皮ぐらいちゃんと剥けますよ。子供じゃないんだから…」
「いや、ほら、心配なんだって。バニーちゃんの台所って閑散としてるだろ?包丁握ったことあるのかなー、って」
「僕の事『信頼』してください」
早々に切り札を抜いた僕の言葉にオジサンが口をつぐむ。
例の一件以来対オジサン用に最強の呪文を手に入れた。『信頼』だ。そう軽々しく使う物じゃないと心に決めていたのだが、感情に任せで時折暴走機関車並みに制御の難しいこのオジサン相手にそんな決心は5分で崩れた。使い所を選ぶ言葉ではあるがこの一言を口にすると大抵の僕の意見は通る。少なくても耳を貸してはくれる。使いすぎればその分効力が薄れていくのは目に見えているので程々にしないといけないと言う事は判っているが、大層気分がいいのもまた事実だ。
「それに、ナイフの使い方は慣れてます。一時期訓練しましたので」
「訓練…って、仇討か?」
一瞬悲しそうな顔をしたその口に剥いたばかりのリンゴを押し込む。
事実は事実なので否定はしないが、今はそれがきちんと役に立っているのでそんな顔をして欲しくは無かった。それに今の僕はHEROだ。ナイフを武器になんかしない。
次は…ナイフではなくこの手で捕まえる、ぶん殴る。
もふもふと不格好に口を動かすオジサンを見ながらそう心に誓う。






例の事件から早一週間。
それこそ嵐のように早く、激しく過ぎ去って行った日々を思い返す。
冷静に的確に、まるで決められた場所にパズルのピースを置く様に素早く、街のトップと司法局、そして各企業の上層部によって事件の事後処理は行われた。かつて無い規模のテロは街に数多くの爪痕を、人々に恐怖を植え付けていったが、同時に首謀者の意図に反しHEROに対する希望を落としても行った。
医者も驚愕するスピードで回復を見せたオジサンはつい先日集中治療室からこの特別病棟の個室に移された。事件に対するHEROへのバッシングも考慮され入院中のHEROは全員この特別病棟に収容されている。あまりにも衝撃的な映像が、世間には流れた。すぐに世間に顔を出すのは危険だ。
しかし、その予想に反し社会全体はHEROを賛辞する意見は主だった。メディアの誘導があったとも思うし、押し込められた意見が爆発する危険性も無くは無かったが、バーナビー自身は現状の風向きに安堵した思いが大きかった。
一番の重傷を負った虎徹は同時に一番の『ダメージ』の象徴だった。そんな彼にこれ以上冷たい風当たりなど、受けて欲しくなかったからだ。
入院中のワイルドタイガーは外部には絶対にその姿を見せてはならない。その判断により彼は特別病棟の中でも一番厳重なセキュリティを持つ部屋へと移された。いわゆるVIPルームだ。
目が覚めて数日、医師や看護師のいきかうICUから急に一人、こんなだだっ広く豪華な部屋に放り込まれた虎徹は不安だったのだろうか。バーナビーの見舞いを心から喜んでくれた。






「昨日はドラゴンキットやファイヤーエンブレムがお見舞いに来てくれたんでしょう?」
「いやー、お見舞いって言うかあれは冷やかしに近かったぞ。棚の中とか冷蔵庫の中とか、片っ端から開けていったからな」
賑やかで、好奇心旺盛な彼女たちの姿を思い出しなるほどと納得する。
「暇なんだよなー、一人だと。窓も開けちゃいけないんだぜ?週刊誌のカメラマンが張ってたらー、とか言ってさ。ここ何階だと思ってんだよ。スカイハイでもなきゃ撮れねぇよ」
今は高性能な望遠レンズもありますから、と最後のリンゴを剥き終わりナイフをサイドテーブルに静かに置く。目を向けた窓にはきっちりと閉められた象牙色のカーテンが夕焼けの赤に染まっていた。
ボロボロの、本当に壊れかけの状態で運ばれてきたオジサンはもう既に起き上って自分で食事がとれるまでに回復した。食欲が半端無いからな、と本人は嘯いていたが元気そうに物を食べる姿と言うのは見ている側の心の負担をずいぶんと軽くしてくれるようだ。
「こんな風に動かない生活してると退院する頃にはヒーロースーツが着れなくなっているかも知れませんね」
剥き終わった途端に最後の一つを平らげてしまった虎徹に向かってそう軽口をかける。
「今俺の体は絶賛修復中なの。いくら食べたって足りない位なんだからな。山ほど食って山ほど寝て、一日も早く戻らなきゃ」
「…はいはい、判りましたよ。だから、無茶しないで下さいね」
気の早いセリフに苦笑して、もう戻ってこないで下さいと、早く帰ってきてくださいを飲み込んで、リンゴの果汁に濡れた手をティッシュで拭う。
「無茶って何だよ、無茶って」
「看護師に隠れて能力発動して、自己回復力も100倍にしている事とかですよ」
見透かしたように言ってやるとギョッとした後、ふっと笑った。
「やっぱ、バニーちゃんが俺でもそうする?」
「さぁ、どうでしょうね」
「バニーちゃんもやると思うな―。何だかんだでせっかちだし」
何が嬉しいのかにやにやと笑いっぱなしで小さく体を揺する姿は子供の様だった。
「どんな副作用が後から返ってくるかも判らないんです。やりませんよ」
「いーや、絶対やるね。だって自分がやろうと思わないとそんなこと考えもしないだろう」
ん?どうだ?、と自信満々に覗きこむ目は猫の様に丸く。そういう事にしておきましょうか、とリンゴの皮とティッシュの入ったゴミ箱を持って立ち上がる。
「なんだ、もう帰るのか?」
「えぇ、ゴミを捨ててから。もう面会時間終了まで3分も無いですから」
VIPルームだけあってセキュリティも厳しい。正確な時間にやってきた見周りの看護師は柔らかな口調で退室を促す。昨日も一昨日も経験したその様子を思い出し今日こそは早めに退出しなければ、と思っていたのだ。
座っていた椅子を元の位置に戻しナイフを備え付けの洗面台で洗って元の場所に仕舞っておく。他に捨て忘れた物は無いかと確認したあと少し離れた廊下の奥のダストシュートまでゴミ箱の中身を捨てに行く。もう数日繰り返せば日課になりそうな作業を終えて病室に戻ると、彼は風景の見えない窓に顔を向けていた。
「…明日も来てあげますから」
「何その上から目線」
「寂しいんでしょう?こんな広い部屋で一人なんて」
「別にー。だってバニーちゃんの家の方が広いし天上高いし、テレビおっきいし、物少ないし…」
ぶつぶつと不満げに僕の家の特徴を並べあげるオジサンの頭に手を置く。何時もと逆の立場だけれど軽くその堅い髪質の頭を撫でる。拗ねてるようにしか見えないこのオジサンが可愛くて仕方ない。早く帰れるように今は体を治すことだけ考えましょうね。そう言って戸口へ向かう僕の片手をオジサンが掴んだ。
「何か必要な物でもありましたか?」
今から走って本館の販売所に行けば…いや3分で往復は無茶か。だが直接は渡せなくても品物だけは彼の手に渡るだろう。
オジサンが今必要そうな物の予想を立てようと思考を巡らすと廊下の奥からペタペタと軽い足音が聞こえてきた。あぁ、やっぱり時間切れ。今日もまたあの笑顔に追い出されてしまうのだろうか、と顔をオジサンからそらした瞬間世界が反転した。
部屋の床とも壁とも違う白い色の波。
柔らかな手触りは上等な寝具の物である事を、頬に掌に、肌に直接訴えかける。
波の狭間に一瞬開かれるドアと白衣の姿が見えたが、それも次の瞬間には波の奥。
咄嗟にしては上手く探し当てる事が出来たオジサンの目に『黙れ』と言われた気がした。
「鏑木さん、そろそろ面会時間の…あら?」
何度か聞いた事がある声はこの部屋にいるはずの面会者を探した後、いつの間にお帰りになったのかしらと不思議がる。
「バーナビーさんはもうお帰りになったんですね…どうかされました?」
「あー、すいません。ちょっと着替えてて」
ドアに向けた方だけ閉められたベッドカーテンの奥で僕の体をガッチリと固定しながら、明るい声で看護師に平然と嘘をつく。夕日に歪んだシルエットから僕が未だ此処に居る事がばれない様に肩を抱きこみ、僅かに揺れる白いカーテンの奥で身ぶり手ぶりでいい訳をする。
なんだこれ、と未だ混乱から抜け出せない僕はと言えば押し付けられた彼の胸の心臓が平常通りの鼓動を刻んでいる事に腹を立てていた。僕はと言えば目を閉じれば瞼までピクリと動いてしまいそうなほど心臓は早鐘を打っていると言うのに。
「そうですか。お手伝いしましょうか?」
「いやー、嬉しいですけど遠慮します。ほら、先生にもリハビリで出来る事はやった方がいいって言われてたでしょ?」
見周りご苦労様です。
その言葉に看護師は何の疑問を持たずドアを閉めた。流石にベッドの上に男を隠しているなんて、想像もできなかったのだろう。
足音が十分に遠ざかったのを確認し肩に置かれた腕の力が緩んだところで、傷口に触らぬよう十分注意して身を起こす。
「何やってるんですか、いきなりっ!」
声を潜めてはいるが至近距離での僕の非難に眉をひそめ、しょうがねーだろ、とオジサン。
「バニーちゃん」
その響きは名前を呼んでいるものと違って…そう、物の固有名詞を口にする時のイントネーションに近い。
「は?」
聞きなれた呼び名が聞き慣れない単語に聞こえて、己の耳を疑うを半分、オジサンの正気を疑うのを半分で聞き返す。ニッと効果音がつきそうな満面の笑顔が返ってきた。
「だから、俺の欲しい物。バニーちゃん」
甘い口説き文句をサラっと言ってのけ、そのまま顔を寄せる。元々至近距離、密着状態であったのだからその距離はあっという間にゼロになる。
見開いた眼に映るのは閉じられたオジサンの濡れた黒い睫毛で。
唇より先に触れた舌が前歯をザラリと撫であげ顎の力を緩めさせる。歯列に沿うように奥へ奥へと入り込み舌の根に絡みつく。強く抑え込まれてはふっと力が抜けて、沈み込むのは僕の舌か彼の舌か。動きは繰り返し同じようでいてその都度微妙に角度を変えてくる。
久し振りの濃厚なキスに思考はあっという間に奪い取られ、本能が取って代わった。
「しょうがねぇよな、帰したくなくなっちまったんだから」
やっと離れた時は自分から離したのかオジサンから離したのか互いに判別不可能。荒い息が互いの顔にかかるほどの距離の中、白い唾液がオジサンの病室着に染みを作る。
「どういう理屈ですか…どうするんです?ナースステーションの前を通らないと出られないんですよ」
こうなった以上後に引く気なんかさらさら無いが文句だけは欠かさず言っておく。そんなの大した問題では無いとお互い判っていたけれど。
「何、いざとなったらNEXT使えって」
案の定適当な答えが返ってくる。
そしてそのままどうしようもなく魅惑的な笑みを浮かべて僕を誘うわけだ。どこの小悪魔だ、このオジサンは。
「まぁ、朝まで居ても俺は全然構わないけどな?それに、俺の回復力だと明日にでも大部屋に移動かもしれねーんだわ」
耳元に寄せた低い声で新情報。体を支える手に己の掌を重ねて確信めいた誘い文句。
「折り紙やロックバイソンと一緒…なぁ、そんな部屋でしたいか?」
疑問形でありながらも既に確認ですらない問い掛け。ブレーキなんか木端微塵に壊したくせに。
驚きの早さで緩めたベルトの中にオジサンの冷たい指が入り込む。
「なぁ、泊ってけよ」
まるで自宅の様に誘わないで下さいよ。
「…まったく」
反論の意味を込めてあえて傷の残る肩に手を置いて、軽く体重をかけるように上から、また唇を重ねる。今度は僕の唾液、全部飲み込んでください。













(どこのビッチだ、クソッたれ…!)


…to be NEXT…








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