指先の炎








その日は虎徹と飲んだ帰りだった。
明日もあるから程々で、とほろ酔い加減で店を出た。街のネオンは相変わらず明るすぎる程で、駅までの道のりは人で溢れていた。
この街は人が多い。
三層構造という土地柄か面積に対して人口が多いと言うのもあるが、何よりも賑やかなのだ。人で溢れ返っている。
世界に名だたる7大企業が拠点を構え、なおかつ連日のように『HERO』が活躍する街。絢爛豪華な光を弾く摩天楼は万人単位の会社員の暮らす街であると同時に世界的に有名な観光名所でもあるのだ。平日の夜でも寝つきが遅い。
特にこのシルバーステージの一角はシュテルンビルトの中でも有名な歓楽街だ。すれ違う人々の足取りはどれも軽い気がする。
ふと上を見ると遥か彼方に女神の頭がわずかに見えた。こんな場所からも見えるのか…と妙な事に感心していると車道から声がかかる。
「ちょっと、牛さんっ!」
聞き様によっては非常に失礼な罵倒にもとれる呼びかけ方だったが、その声が聞き慣れたものであった事、そしてその言い方が柔らかく親しみの込められたものだったので不快感は無かった。
「…ファイヤーエンブレム」
赤いスポーツカーはもう彼の代名詞と言ってもいいだろう。テレビに出る時用の特殊設計の車ではなく有名な高級社ブランドのスタンダードタイプ。優美いてどこか攻撃的なそれを従え嫌味無く似合うどころか車が引き立て役にしかならない。そんな男はこの街広しと言えど彼ぐらいだろう。
流線型のボンネットが静かに俺の横で停まる。いい車だ。昔バイクをかじっていたせいかこう言った駆動機械の類にはつい反応してしまう。
「やぁね、何のために牛さんなんて呼んだと思ってるのよ」
助手席を挟んだ向こう、ネオンの陰の中で微笑う。
…正直言って俺はこの男が苦手だ。派手なメイクに声高なリアクション、華やかで強力な能力…俺とは真逆をいくHERO。仲間意識よりライバル心の方が先立つのは俺が今期不調であったからかもしれないが。
「すまんな…珍しいな、こんな場所で会うなんて」
「そうね。飲んだ帰り?」
「あぁ、虎徹と一緒だった」
ごくありふれた世間話をぽつぽつと。歩道の端に車を止めたままするハザードをつけて話す様な事じゃない。早々に切り上げようとした所に思っても無い言葉がかかった。
「乗ってく?送るわよ」
「は?」
思わず聞き返してしまった。
その様子にファイヤーエンブレムが噴き出す様に笑った。
「何よその素っ頓狂な声!大丈夫よ、送り狼になんてならないから」
まだおかしそうにクックと喉を震わせたまま助手席のロックを外す。さぁ、と急かされる。
「い、いや、遠慮しておく。そんなに飲んでないし…」
さして親しくも無いし…、と続けそうになった言葉を押しのけるように続く声。
「そーお?だったらなおさら大丈夫じゃない。アタシに襲われたって」
軽やかに微笑んだまま全く引く気配が無い。彼の車のせいか喋り方のせいか、道行く人の目線も気になってきたので渋々頷く。装飾化したガードレールを飛び越えドアの隙間に素早く身を滑り込ます。
「あら、以外と動きが軽やかねぇ」
「…早く出してくれ」
その言葉を合図にまた静かに車は走りだす。



道端では絶えず続いた会話も車が走り出すとぴたりと止んだ。なんなんだ、いったい。
街に張り巡らされた高速道路を法定速度をやや超えた速度で走り抜ける。
耳にはラジオ。どれも聞きなれない曲ばかりで、送って貰っておいてなんだが居心地が悪くてしょうがない。理解不能な苛立ちが積もる。
他に見る物も無いので腕を組んだまま窓の外の風景を睨みつける。防音性の高い壁の上から遠くのビルの先端がのぞく位でこちらも大して楽しい風景ではない。硝子に反射したファイヤーエンブレムの横顔だけが唯一目に刺激的だ。
その横顔が歌を口ずさみ始めた。どうやらラジオから流れている曲の様だ。
「…好きな歌なのか」
気がつくと、そう声をかけていた。一瞬驚いた様なファイヤーエンブレムと硝子の向こうで目があった。
「あら、口ずさんでた?」
「あぁ…楽しそうにな」
そのまま黙殺してもよかったが自分から声をかけた手前反応しない訳にもいかず愛想の無い返事を返す。
「ふふっ、実はね今日一ついい商談がまとまってね。上機嫌なのよ」
兼業社長という彼のユニークな経歴を思い出す。
「それで声をかけたのか」
「それもあるけど…」
大きなカーブに一度双方口を閉じる。曲がりきる寸前視界に下層の街並みが広がった。生活の灯りは見慣れたブロンズステージのもの。
その街並みに一瞬目を奪われた所で素早くハンドルを切り返したファイヤーエンブレムが言葉を続ける。
「幸運ついでに仲良くなれるかと思って」
仲良く、とは意外だな。そう軽口で返す。視線は未だ窓の外だ。
「貴方、あたしのこと嫌いでしょう?」
あまりに軽く言われたのでその言葉の意味を掴むのに時間がかかった。数秒の間を置き、硝子の中の彼の表情をうかがう。先程までと特に変わった様子は無い。笑ってすらいない。
絶句した俺に気付いたのか一瞬だけちりと道路から俺に視線を向ける。すぐに戻ったがその一瞬で俺の考えている事を見抜いたんだろう。訳知り顔に苦笑が浮かぶ。
「あぁ、言い方が悪かったわね。嫌いと言うか、苦手?」
何でそう思う、と否定はせずに聞き返す。質問に質問で返すのは嫌な男よ、と軽くたしなめる声。
「こういう格好してるとそう言う態度には嫌でも慣れちゃうのよ。興味の無い相手なら気にも留めないんだけど…貴方の場合は、ね?」
ハンドルを握る指先が軽くタップする。
「同じHEROだし…か?」
予想していた答えを返す。
彼らHEROは番組上テレビ局の設定したポイントを奪い合うと言う形を取っているが、実際の現場ではそう単純にはいかない。何よりも優先されるのは現場の鎮静化であり被害者の救出、そして犯人逮捕だ。『街の平和を守る』。彼らはその共通の目的を持って活動している。
「もちろんそれもあるわ。HEROである以上僅かな苦手意識は時に命取りの判断ミスを招く。でもそれ以上にね。頼まれたのよ」
「頼まれた?」
「タイガ―に」
「虎徹にっ!?」
予想外の人物名の登場に思わず顔をファイヤーエンブレムの方に向ける。彼は進行方向から目を逸らしはしなかったが軽くスピードは緩めた。
あのお節介めっ、と毒づくと隣で溜息。
「お節介焼かれる方が問題なのよ」
やれやれと言った口調に、反感の気持ちが一気に溢れる。
「なんだとっ!?」
近くで聞くには大きすぎるであろう自分の声に眉一つ動かさず。その冷静な表情が僅かではあるが俺の気持ちを逆に煽る。
「やーね、怒んないでよ。…なんだかんだで不安なんでしょう?新しい職場に新しい環境、それも命がけのね?貴方…ずっと彼の背中ばっか見てるのよ。現場で」
自覚ない?
そう聞き返す瞳はどこか冷酷で。射抜かれる様だった。カッとなった頭を一気に冷やす程度には鋭かった。
「不安なのは判るけどね、仲良しこよしのお遊びじゃ困るのよ、こっちも」
厳しい口調は母のようで父のようで、反感の前に首根っこを掴まれた様な感覚を与える。こいつは…こんな人間だったのか?
恐怖にも近い威圧感に苛まれながらごくりと唾を飲み込む。
「貴方は一人のHERO。それは絶対変わらない。仲間が助けてくれるって信頼する事と期待する事って全然違うのよ?」
威圧感から逃れるために、縋る様に頭入ってくる言葉を反芻する。仲間が助けてくれるから………それはそのまま、『虎徹が助けてくれるから』と脳内に響いた。
キンッ、と金属音にも似たスリップ音。気づけば車は急勾配を下っており自宅はすぐそこだ。
「…ごめんなさいね。言い方がきつくって。こんなんじゃまた嫌われちゃうわね」
街頭もまばらになった頃、いつも通り、あのどこか明るい喋りでファイヤーエンブレムが口を開いた。距離にすれば数キロで、この速い車の中ではものの数分も時間は経っていなかったがその間に俺の頭も冷えた。そして、この男が俺をわざわざ車に乗せてまで、こんな最下層まで足を運んでまで何を言いたいかを理解した。
「いや…そんなこと無い」
HEROの先輩としての助言を確かに俺は受け取った。虎徹からなら、何生意気言ってんだと笑い飛ばしただろう。あいつは俺に近すぎる。
他のHEROだったなら…あるいはやり方によっては納得したかもしれないが社交辞令として聞き流していた可能性も無くは無い。
HEROは…一人で戦ってはいけないのだ。どこかでこの男にライバル心を持っていた俺では、その気持ちにいつか足元をすくわれる。そう言う事をこの男は俺に伝えようとしていたのだろう。恐怖交じりのやや衝撃的な方法で。
「今居るHEROの中では私が一番アクが強いからね。私に慣れれば他のHEROなんて怖くなくなるわ」
なんならスキンシップでもしてあげましょうか?なんてウインクしながら。
ギョッとしたがこの場でそれを断るのはなんだか失礼な気がして苦笑いで誤魔化しておいた。
「悪いな。その注意、受け止めさせてもらうよ」
「あら、思ったより素直ね。ふふ、まぁHEROの麻疹みたいなものよ。みんな最初は不安なの。でも、それを乗り越えたHEROは強いわよ」
軽く歌うようにいう。一歩間違えれば嫌われ役。損な役回りを買って出る所は友人によく似ていて、好感を持った。これが初めての彼に対しての好印象かもしれない。
流れる街並みが見慣れたものになる。
「あぁ…此処でいいよ」
スッと理想的な場所に吸い込まれるように車が停まる。いい腕だ。こっち関係の話題なら、もしかしたら気が合うかもしれない。
降りた後車内では吸うのを控えた煙草をジャケットの胸ポケットから取り出す。
「貴方、煙草吸うのね。なんか意外だわ」
助手席に片手をついて窓から顔を覗かせながらそんな事を呟く。
「学生の頃から抜けない悪い癖でな。今じゃこんな仕事だし、滅多な事じゃ吸わねぇよ」
「ふーん…」
体力勝負だ。きっとこれが最後の一本になるだろう。
しばらく吸って無かったせいか箱はぐしゃぐしゃに潰れていて、湿気ってないか心配だったがそれ以前に重要な物が無い。入れっぱなしにしていたからな。どっかに落としたか。
「そういやファイヤーエンブレム、火、持ってるか?」
「誰に聞いてるのよ。そうね…ネイサンって呼んでくれたらいいわ。ネイサン・シーモアよ、私」
呆れたように呟いて、そのあと思わせぶりに微笑んで。
「……アントニオ・ロペスだ。ネイサン」
煙草を銜えたまま顔を寄せる。
立てた小指の先にふっと息を吹きかけると、手品のようにあっさりとその先に火が灯る。
赤々と燃える小さな炎は青い燐光を纏ったネイサンの瞳に反射する。
揺らめく赤と青の輝きに心臓を、心を揺さぶられる。
美しい、そう思わせずにはいられないこの輝きを
俺は美しいとしか表現できなかった。




END







(煙草越しの指先と唇の握手を見つめながら、そんなロマンチックな事を柄にもなく思っていた夜だった。)







END





炎牛。バーナビーがくる前、HEROではない、素での二人のファーストコンタクト。牛は虎よりも数年遅れてHEROになった気がします。こう、スーツのデザインから時代の差を感じる。
補足を少々入れると炎姐さんは何となく社長と言う立場からも新人HEROと既にいるHEROの架け橋になる存在だといい。炎姐サンとの逃げ場のない密室車デートは新米HEROの登竜門!ウサギは虎がいるから免除で。(炎姐サンはそこん所がちょっと不満)
CPだと牛さんはあくまで炎姐さんを『一人の男』として見てる。それは最後まで貫く、そんな男だといいなと思う。だからきっとこのまま話続けていったら牛がとことん乙女化するんだろうなぁ………書けねぇよ、きっと。
牛好きの妹に(勝手に)捧げます。







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