日常を重ねよう











最近バニーが優しい…と思う。いや、あいつの上から目線で冷ややかな態度に俺が慣れ切ってしまったからそう感じるのかもしれないが…いや、確実に優しくなったという事にしておこう。じゃないと俺変な方向に目覚めちゃうかも。
きっかけはたぶん先日バニーを庇う形で負った怪我だろう。あれ以来包帯の取り換えや雑用などを率先して申し出るようになった。これじゃまるで可愛い後輩だ。罪悪感で殊勝な態度取られてもなぁ…と苦笑しつつも嬉しいと思ってしまう俺がいる。
「…よかったら、どうぞ」
ほら今も、廊下を抜けたエレベーター脇に設置されているディスペンサーから持ってきたであろうコーヒーを差し出された。
「サンキュ」
「…いえ」
そう言って自分の席に座りキーボードを叩きだす。
眺める先の横顔はいつも通りいたってクールで感情の欠片さえ見せない。こいつが冷静さを失うのはきっと自分の大事な物を奪った奴の前だけなんだろう。
まだ熱く湯気の出ているコーヒーに息を吹きかけて冷ましながら、見つめ続ける。
「…何ですか、オジサン。穴でもあける気ですか?」
流石に見つめすぎたか、熱視線を鬱陶しがるように眉間に軽く皺を寄せて振り返る。テンプルを指で押し上げて胡散臭い物をみる様な眼は最初にあった時以上の破壊力で俺を射止める。
怒っちゃ嫌。
なんてしな作って言ったら蹴り殺されるな確実に。
「ぇ。あー、いや…」
頬をかいていい訳を探す。本心は、自分でも上手く言葉にできる自信が無い。
ふと、手元のコーヒーに目をやり、その視線をバニーのデスクに移す。無い。
「そういやバニーちゃん。自分の分のコーヒーは持ってこなかったのか?」
彼が持ってきた紙コップは一つ。それは今俺の手の中。バニーがお茶を取りに席に立ったのは物の一分ほどだから先に自分の分を入れて飲んできた、なんてのは時間的に無理だろう。何より基本的に育ちのいいこいつは滅多な事では立ったままで飲み食いをしない。
「…」
ふと笑いがこみ上げる。
その笑いに反応するようにキッと睨みをきかせる後輩の顔。
「…別にっ…オジサンに隣で寝られると勤労意欲がそがれるのでっ…!」
焦るバニーの横顔に僅かに朱がささっているのを見てとった俺は思わず噴き出しそうになった口元を慌てて紙コップで隠した。
少しだけ熱い、飲みごろのコーヒーはミルク2に砂糖1の俺の味。びっくりした。なんだよ。
俺、口で説明した事なんて無かったよな?わざわざこんな細かい事。いつの間に見て覚えたんだよ、こいつは。
あぁ、もう、本当に可愛い後輩になっちゃって。
どうしよう、俺。



「そういや今日、あれの発売日じゃなかったけ?」
電池が欲しい。という斎藤さんの一言により路上に停められたポーターから足早にコンビニへと走り込んだ。深夜に近い街外れのコンビニは品ぞろえこそ他の店と変わらないが、店員の数も客の数も圧倒的に中心街より少なく、閑散とした印象を受けた。
さっさと目当ての物だけを買って行こうとするバーナビーとは対照的にさっきまでの仕事で小腹の空いた虎徹は籠まで持参で店内を一周する気満々だ。籠の中には既にチョコバーと菓子パン。
そんな彼にやれやれと言った様子で付き合うバーナビーはコンビニブランドの雑貨を眺めながら虎徹の発言に反応を示す。
「なんですか唐突に」
「えーっと、あれだよあれ。アレアレアレ………」
顎ひげをなでながら中に視線をさまよわせる。何かを思い起こそうとする人の典型的なポーズだ。
「既に痴呆でも始まりましたか」
「って、酷っでぇなぁそれ!…あ、思い出した。あれはあれだよ、ほらバニーちゃんがいつも買ってる…」
なぜここで自分の名前が出てくるのか。虎徹の言いたい事が掴み切れずに間抜けな声で返事をしてしまう。
「は」
普段ならからかうような気の抜けた返事も今の虎徹にとっては気にするべきことではない。何よりも自分がいま思い出した事を実行しなければ、再び忘れる前に。
「ほらこれこれ。この雑誌!今日も買ってくんだろう?」
窓際に置かれた雑誌の棚のへと駆け寄ったかと思うと中から一冊の経済誌を取り出し、自信満々に眼前に掲げる。
確かにこれはバーナビーが毎回発売日に必ず買っている雑誌だ。経済面に社長のコラムが載っているので欠かさず読まなければという使命感すら持って毎週購入している。
堅い文面にグラビアなど一枚も入っていない、真面目な真面目な経済誌。
オジサン、こんなもの興味もないのによく覚えてましたね?、そう言おうと口を開けたが自信満々にこちらを見る目が『お前の事なら何でも知ってるぜ!』と言わんばかりだったので、余計な事を言う前にと別の言葉を口にする。
「ちょ、勝手に人の籠に物入れないで下さいよ…」
「いーじゃん。買い忘れるとバニーちゃんすげー不機嫌になるんだからさ」
「…まったく」
良く見てますよね、このオジサンは。
「たまには勉強がてら、オジサンも読んだらどうですか?」
「あー、俺はいいや。うん」
そっけない返事も嬉しく感じるのは『雑誌』よりも『それを買う己』に重きを置いてくれてるからではないか、と。甘く甘く期待する。




足音もなく傍らに立った髪の長い女性店員は、営業用とは判っていても気を許してしまいそうな笑みを浮かべて一礼の後話を続ける。
「今日はどのようなお品をお探しですか?」
「あ、いや…ちょっとぶらぶらよっただけなんだわ。ありがとね」
そう言ってお姉さんに申し訳なさそうに手を振る。懇切丁寧な接客態度は最後まで崩さずに。にっこりと笑みを浮かべながら、さようでしたか。何かございましたら遠慮なくお声をおかけください…とまた見本の様なお辞儀をして立ち去る。
ここは大型駅ビルの地下にある酒屋。
普段なら横目に見る事はあっても店内に入ろうとは思わない酒の種類も値段もピンキリ揃うこの店で、虎徹はバーナビーの部屋への手土産を探していた。
「何にすっかなぁ…」
安い発泡酒か特売のウイスキーか、それともちょっと奮発して普段買わないちょっと高めの焼酎でも買って行こうか。
先日は調子に乗ってあいつの家の酒を飲みつくしてしまいかけた。うっかり潰れるまで飲み続けたバーナビーも同罪だがその日飲んだお酒はすべてバーナビーが用意したもので、自分は一銭も払っていない。
そのお詫びも兼ねて今日は少し高いお酒を、と思ったがもう既に家でも外でも飲む酒の種類が定着してしまった虎徹では何がいいかさっぱり分からない。あいつは、酒は飲めればいい、ってタイプではないしもしかしたら自分の知らないこだわりを持っているかもしれない。
どうせ贈るなら、喜ぶ物を。
そう思いを巡らせながら店内の散策は3週目になろうとしていた。
―――あいつの好きな酒、買って帰ろうって決めてたんだが…何だったかな
たった一つだけ覚えていたはずのバニーの好きな酒の種類を、突発的健忘症にでもかかったかのように思い出せず、何とか現物を見てピンとこないかと歩き回り続けた。
バニーに似合う、バニーの好きな酒は…ともう喉元まで出かかった言葉を吐き出せず飲み込む。
バニー、バニーと心に彼を思い浮かべる。それで彼の思考が読めるわけではないのだが、思い出せそうな気はしたのだ。
―――バニー。生意気な後輩。バニー、時々優しい。バニー、手先は器用だが家事はあんまりした事が無い。バニー、バニー、バニー
ふと思考の中の彼の顔が笑った気がした。
その瞬間彼の好きだった酒を思い出す。
あいつが好きなのはワイン、それも赤が。服といいスーツといい、あいつ、赤好きなんだよな。機嫌がいい時開ける酒は全部ロゼワインだった。
沢山並ぶワインの中で安い物を二つ。少し高い物を一つ。
さっきの笑顔の素敵なお姉さんにレジを打ってもらい。すぐ開けるだろうとは判っていたが無料なのでと綺麗なリボンをつけてもらって。
さぁ行こうかあいつの元に。お土産もってさ。





買ったまま箱から出していなかった調理器具を無理やり開けられたのがつい先日の様な気がする。
加熱終了を知らせる高音の合図に切れ味抜群のナイフをまな板に置き、振り返る。
一番よく使っていた電子レンジの中から透明な耐熱皿を取り出し中身をざるにあげる。良く加熱された皿は酷く熱く、一番最初に作った時はあまりの熱さに皿ごと取り落としてしまった。
細かく切った人参と手で小さく裂いた椎茸はフライパンの中で程良く色づいている。一度別の皿に取り出し、洗わずに香りの強い油を少し加えざるの中身を勢いよく入れる。火が強すぎたのか、勢いをつけすぎたのか多少手元に油がはねたが、この料理を作る時はよくある事なので気にせず強火で一気に炒める。
―――味付けは砂糖が1、味噌が3…だけど塩分が心配なので2と少しにしておきましょう。
表面に焦げ色が付いてきた所で先ほどの人参と椎茸、調味料を加え仕上げにミルから黒コショウを少し削り入れる。
この味噌と言う東方の調味料は大型スーパーに行けば手に入るが、今までの生活上バーナビーには全く縁のない味だった。独特の風味は初めて食べた時こそ衝撃的だったが慣れると塩加減とほのかな甘みが心地良く感じる。チーズやヨーグルトと同じ発酵食品と言う事だが、昔匂いをかいだだけでリタイアしたスシバーの納豆と比べるとかなり食べやすし、何より虎徹が『おふくろの味!』と豪語して置き土産に一袋丸々キッチンに置いてしまったのだ。腐らない、なんて言ってるが早く片付けてしまいたい。
―――じゃないと、僕もこの味に慣れ親しんでしまう…
味覚や嗅覚の記憶はふとした瞬間によみがえる。
サマンサのケーキの味で両親の愛情あふれた瞳を思い出してしまった様に。この匂いを、記憶に刻みつけてしまってはいけない気がする。きっと無くした時…
「おーい、バニーちゃん。そろそろできた?」
全自動のドアが開く空気音と共に虎徹がキッチンに顔を出す。ふわりと香る酒の匂い。全くこの人は、人の部屋に押し掛けた上に料理までさせておいて。おかげで思考が途切れてしまった。
お腹すいた―と、子供みたいな口調で言いながら隣に立ち手元のフライパンの中を覗きこむ。
「お、うまそー。俺これ大好きなんだよな」
「知ってます。ほら、お皿ぐらい出して下さいよ」
「へーい」
気の無い返事と共に慣れた様子で足元にしゃがみこみ、戸棚の奥から大皿を一枚と小皿を二つ取り出した虎徹はそのままひょいっと流れるような動作でフライパンの中で一番小ぶりなものを口に放り込む。
「熱ぃっ…!」
「まだ火を止めてないんですから、当然ですよ」
「あぁ、でも美味い」
呆れた声と共に舌の様子を窺うように虎徹口元を見つめるとニッと楽しげに口角をあげた。
「料理の腕上げたな。バニーちゃん」
くしゃりと頭を撫でる手は先ほどつまみ食いした手ではないだろうか?髪に調味料がつくのは絶対に遠慮したかったのに…手を振り払う事は出来なかった。そして『あなたの好きな料理だからですよ』と言いきってやることも。
一口サイズ、ちび新じゃがの味噌炒め。
いつの間にか定番になってしまったこの料理を今日も貴方はおいしいと言って食べてくれるのだろう。




ふとした瞬間を集めよう。
例えば
いれてくれたコーヒーがドンピシャ俺の味だった時。
いつも買ってる雑誌の発売日を貴方が覚えていた時。
酒売り場で手に取った酒がロゼだった時。
あなた好みのおつまみの味が上達した時。




愛しいおまえ
愛しい貴方
どうかこのふとした瞬間を永遠に忘れずにすむように。









(日常を重ねよう。幸せを、重ねよう。)







END











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