悪人の恋・後





「ねぇ先輩、今日は僕の部屋で飲み明かしませんか?」



しばらく無難な会話を続けているとバニーから誘いがあった。
先の話題が話題なせいだろうか。上手く酔えなかった俺は思考回路だけ鈍いまま、素直にうなずいた。
足取りは確か、手足の感覚も鈍いだけで動かないって程じゃない。
店を出て、タクシーを呼ぶ。
待ってる間も車の中も部屋に入っても、何か話した気はしたがまともな回答が出来たかどうかは自信が無い。
「もう、酔っちゃいましたか?」
「へ?あ、あぁ、いや…むしろ酔いが覚めてきたところだ。なんか作ってくれよ」
そう言うとやれやれと言った態度でキッチンへ向かう。こいつの家は碌な調理器具がそろってないのでつまみはきっとインスタントだろう。
先に居間に通される。バーナビーの部屋は簡素で椅子すらない。人を呼ぶ事を想定していない部屋だ。
虎徹がここに来たのは初めてではないので勝手に隣の寝室からクッションや枕を持ってきて即席のソファーをバーナビーの椅子の隣に作る。
カチャカチャと食器の擦れる音が響く中、テレビでもつけようかとチャンネルを探す。
壁一面の液晶。何でわざわざここまででっかいテレビをつけたんだか…限度があんだろうが、限度が。ブルジョアの考える事は判らん。
もう一方の壁にはめこまれた窓も足元まで広がる位巨大だし。怖くねーのか。
しかし、流石一等地の高級マンション。
そこから見えるビルの光と星の瞬きは以前見たポートレスタワービルのレストランでの夜景といい勝負だ。高さは多少低いがその分迫力のある街並みが拝める。
―――こんな所で口説いたら、女の子なんてイチコロだろーなぁ…
そう考えてしまうと胸がチクリと痛んだ。どこの乙女だ俺は。
「窓の外にがどうかしましたか」
「いや。いい夜景だと思ってな」
白い皿片手のバーナビーが後ろに立っていた。
「んで、つまみは何だ?」
「ツナとオニオンのオリーブあえですよ。こんな時間ですから、簡単なので文句言わないでくださいよ」
「よし、マヨネーズかけようっ!」
「却下です」
太りますから、とキャビネットからグラスとワインを取り出す。おや、と思った。
「お前、家でも飲むようになったのか?」
「どっかのオジサンが前回、酒が無い酒が無いと騒がしかったですから」
そう言われればこないだ来た時は家で酒を飲まないというバニーに散々文句言ったけ…
部屋に入る前に酒を購入するそぶりもなかったのを今更ながらに思い出す。本当に、注意力散漫だ。
ほらどうぞ、と白ワインの入ったグラスが目の前に差し出される。
このチョイスがバニーちゃんだよなぁ…細身のワイングラスに気泡の浮かぶ冷えた白ワイン。
普段焼酎をちびちびやってるおっさんとしては少々居心地が悪くもあるが、わざわざ準備してあったバ―ナビーの心遣いに嬉しくもなった。
「ほい、乾杯」
「何にですか」
文句は忘れずに、でも軽くグラスの端を合わせてくれた。それが嬉しい。
本当に、嬉しい。
ここ数週間大きな意見の対立が無かった。俺が何か反対する意見を言うと『オジサンならそう言うと思ってましたよ』と笑うのだ。毒気が抜かれる。
突っかかる気さえ削がれてしまえばお互いの意見の妥協点を見つけるのも容易になった。
いつの間にか仕返しみたいに『バニーちゃんならそう言うと思ってたぜ』と返す俺の頬は緩んでいだ。
今更思い返すと若者に譲歩されてたんだよなぁ、俺。年かな…
人に言われるよりもこうして不意に自覚した瞬間の方がショックが大きい。
「しょぼくれた顔してますよ、オジサン」
バーナビーが顔を覗きこむ。普段は白い肌が今日はほんのり桜色だ。可愛いじゃないか。
「部屋が暗いからだろ。電気、つけないのか?」
「あぁ…普段はテレビをつけてるから、この時間は照明消してるんですよ」
「お前、そんなんだから目が悪くなるんだぞ?」
そういいつつもバニーが電気をつけるそぶりを見せなかった事に安心した。明るいと隠し通せる自信が無い。この、しょぼくれたオジサンの顔を。
窓辺の間接照明と外の夜景の光は虎徹には届かない。
ちょうど境界線の様に、虎徹が手を伸ばすと届くか届かないかギリギリの所で光が闇になる。手を、伸ばして確かめてみようかと馬鹿な事を考える。
今の心境にあまりに近すぎる。届かなかったら、悲しい。
「…やっぱ、なんか変ですよ。今日のオジサンは。らしくない」
既にグラス一杯を空にしたバーナビーが眉間にしわを寄せてこちらを見下ろす。
普通客を床に座らせて自分は椅子を選ぶか…と前回文句を言った事を思い出す。普段は並ぶ目線が、こうあからさまに上からくると流石に居心地が悪い。
「何がだよ、一体」
軽く肩を寄せて酒を口に運ぶ。甘い匂いがする酒だ。
上から目線に文字通り態度も加わり少し苛立った。苛立ちは、少しのつもりだった。
「妙に辛気臭いというか。普段のオジサンと違うから」
「……っオジサンって、呼ぶなよ…」
蚊の鳴くような声を絞り出す。水を打った様に互いが息をのんだ。
あぁ、今のは八つ当たりだな。俺の。
「悪いな、なんかバニーちゃんの恋愛話聞いたら感傷的になっちまって」
苦笑を浮かべて見上げる。驚いたようなバニーちゃんの顔に罪悪感だけが募る。
「俺ももう、年だからなぁ…って」
やっぱり妙な酒の飲み方をしてしまったようだ。酔い方がおかしい。これなら前後不覚になって酔い潰れた方が幾分ましだ。
年下に当たるなんて、格好悪い…そう思いもう帰ろうと膝に力を入れる。ちょっと不安だったが問題なく立ち上がる事が出来た。
俺はもう帰るわ、と声をかけようと顔を向けるとバーナビーのあの目と目があった。
「年だから、なんだって言うんですか」
バーで妙な質問をぶつけてきたときの、あの目だ。鋭い、射竦める目。
声は、怒ってる様に感じる。
だが俺の八つ当たりに対して怒ってるのとは何か様子が違う。
「年だからって何が変わるんですかって言ってるんです。貴方が」
そこで息を止める。一瞬だけ言おうか、言うまいかの迷いがその目に浮かんだ。
必死そうな声だった。必死そうな目だった。何をそんなに…
「貴方が恋に臆病なのは、そのせいですか?」
「なっ…」
「僕の事、好きでしょう?」



本日二度目の呼吸停止。
受けた衝撃は先の告白よりさらに重い。なんせ自分すらつい今しがた自覚した事を当然の様に言い当てられたのだから。
怯えが顔に走った。いつから、どこまで、なんで。疑問で頭の中を支配される。
俯いて目線をそらす。きっと、あの目だ。あの目に見透かされたんだ。
「ここ最近自分がどんな顔していたか自覚がありますか」
ねぇよ、そんなの。
自分の顔なんて朝夕とトイレの鏡ぐらいでしか見ねぇ。
座ったまま、バニーが俺の腕を掴む。掴まれても無機物の様に何の反応もできなかった。
「僕が好きな人がいると言った瞬間、どんな表情だったか」
判るかよ。あの時は息することで精いっぱいだったんだ。お前はあっち向いてたじゃないか。
立ち上がる。引き寄せられる。近い距離。
「この部屋に来てからずっと、貴方がどんな瞳で僕を見ていたかっ…!」
焦るような上ずった声の上がりかたにビクンと自分の肩が震え、顔をあげてしまった。
しまった、と思うがもう遅い。目が合ったらそらせない。
ぐっと掴む腕に力が籠る。痛い。お前自分の握力舐めてんだろう。
「知ってましたよ。無自覚かとは思ってましたが、オジサンの気持ち」
「俺が気付いたのは。今しがただ」
よく気づいたな、と苦笑する。
何だよこのシチュエーション。年下に腕掴まれて捕まって。自分の気持見透かされて、今自白させられようとしてる。
現実味なさ過ぎて頭の中がショートしそうだ。
最悪の自覚直後に最悪の告白をしろって言うのか?ちょっとハードすぎるぜ。
「あぁ、だったら作戦は成功ですね」
もういっそ気絶でもしてしてやろうかと自嘲を浮かべた所でバニーがふっ、と笑った。
一瞬、優しい顔をした。今日のお前は表情豊かだな。まるで見知らぬ他人みたいだ。
遠くから見下ろすような感覚をバーナビーの声が引き寄せる。
「ずっと見てました」
それじゃ、まるで愛の告白だぜ、バニーちゃん。
期待しちまう。
俺が逃げたかった、その期待から。
「オジサンには僕の事、意識して欲しかったんです」
跳ねる心音。枯れる喉。霞みそうな目を必死に開けてその視線を受け止める。
バニーの目は綺麗だ。綺麗な分普段は表情をなかなか映してくれない。その瞳の中に感情の起伏を見る事が出来た時、どんなに嬉しかったか。
見つめた瞳に揺らぎは無い。嘘じゃないと判ってしまった。
「なんで…何でお前はそんな目で俺を見るんだよ」
止めてくれ。心臓がつぶれそうだ。
天国か地獄か。
差し出された希望を捨てきれなくて問いかける。
俺は今、必死だ。自分では言えない言葉が脳内をぐるぐると回る。



バーナビーが口を開く。
開かれた口から出るであろう言葉に、期待。
掴んでいた手を、離された。
少し身を引いて距離を取られる。
あ、と後悔。
冷静さを取り戻したバーナビーの態度に虎徹の身が凍る。

「好きだからです」

当然の様に、言うなよ。
縋りたくなるじゃないか。
向かい合うバーナビーの顔は普段と全く変わらない様に見えるから、虎徹は自分がどんな顔をすればいいのか判らなかった。
ただただ、両手を伸ばした。不自然に力が入った指は無様に曲がっている。
歪んだ指がバーナビーのシャツの襟にかかる。皺が寄っちまうな。でも、許してくれ。
きつくきつく握りしめ、引き寄せてキスをした。
あまりに衝動的で唇を押し付け合っただけのような酷く幼稚で乱暴なキスだった。幼稚で乱暴だが、キスだった。
腕の力を抜くと名残惜しいが顔が離れる。
祈る様にバーナビーの顔を見る。拒絶しないでくれ。そう願う様に。
バーナビーは憎らしい程にいつもと変わらない顔をしていた。普段と変わらない顔で
「僕の好きな人は、オジサンですよ」
一番、欲しい言葉をくれた。

瞬きの度に涙があふれる。ここまで自分の感情をコントロールできなくなったのは何時以来だろう。
震える指を今度は背中に回す。
最初は恐る恐る。自分の腕が相手の胸を一周した所で放すものかと力を込めた。バーナビーのシャツはあっちこっち皺くちゃだ。胸は涙と鼻水でぐしょぐしょだし

。明日は洗濯しないと。俺の責任だし、俺が洗濯してやるよ。ただその前に、一言だけ言わせてくれ。
明日明後日ご近所さんから苦情を聞かされようと、どうでもいい。
有らん限りの大声を虎徹はバーナビーに叩きつけた。



このっ、悪党っ!!



(最悪の悪人に、恋をした)

















バーナビーの罠にみごとに引っ掛かって、ひっかきまわされた虎徹。
代償としていまだにバーナビー虎徹から好きといってもらっていません。







人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -