悪人の恋・前

(注・虎徹の過去について捏造あり。現状ラブ無しシリアス)




「好きな人がいるんですよ」
薄暗い店内の一角、少し遠くからはブルーローズの柔らかな歌声とピアノが響いている。
一瞬、確実に息が止まった。
そのあとゆっくりと、これ以上ないほど意識して息をする。一口、二口、食べるように空気をのみ込む。
きっと人から見たら鯉を連想させただろうな。あいつらはいつもこんなに息苦しいのか。
「意外ですか?」
想い人の存在を告げた直後に自分とは逆方向を見ていたバーナビーに安心した。
何とか口を閉じたあたりでバーバビーは軽く笑みを浮かべこちらへと視線を戻す。
軽く持ち上げられた彼のグラスの中で氷が揺れる。カラカラとまだ大きな氷が鳴く。
それを合図に慌てて居住まいを正す。動揺を、見せてはいけない。
「い、いや、ヒーローも人間だしし自然な事じゃないか、な?」
自分は今、ちゃんと声が出ただろうか?何重にも張った膜の向こう側で自分の声がした気がした。
顔を見ない様に喉の渇きを潤す為の酒を口に含む。
「ほら、俺も結婚してた訳だし、娘もいるし」
視線を、合わせられない。バーナビーが今どこを見てるのかを確かめる事すらできない。ただじっと自分のグラスだけを見る。情けない顔した中年オヤジの顔が映った。
「バニーちゃん、モテるんだし、さ…」
目頭が熱くなって、胸が苦しくなった。駄目だ、今は絶対に泣けない。泣いたらいけない。
「まぁ、オジサンの恋愛経験じゃ心もとないですけれど、一応既婚者なので。参考になるかと思って相談したんですよ」
そっけない口調にいつもの調子を思い出す事が出来た。こういう時、普段の俺は何て言う?
辛辣な上から目線に対しては不満そうな顔をして、軽く、軽く言うんだ。いつものように不平不満を。
「心もとないって…結婚までこぎつけるって、大変なんだぞ?」
今度の声は膜のこちら側から聞こえた。
気が緩んで出そうになった溜息を慌てて飲み込む。
「判ってます。まぁ、僕の場合結婚はできませんが」
「ぇ、なんで…」
さらりと言われた一声に、慌てる。何で、その恋はバニーちゃんを幸せにしてくれるんじゃないのか?
「色々あるんですよ。先輩なら、多少予想がつくでしょう」
途端に自分の失言を恥じる。俺は何のためにこいつよりも年食ってるんだ。
結婚できない理由なんて探し始めれば思い当たる事はきりがない。俺たちはヒーローだ。普通とは違う。
史上初の素顔をさらすヒーローはそこいらの芸能人よりも注目を浴びる。しかもこの外見。鍛え上げられた肉体に甘いマスク。まさしく絵にかいたようなヒーローの出現と便乗したテレビの演出によって人気は鰻登り。そんな彼の数多のファンの中にはまともな人間もいればいかれた人間もいるだろう。
ファンだけではない。敵対する人間にとって素顔を晒すバーナビーには逃げ場が無いのも同然だ。守るべき大事な人間は途端に弱みに変わる。
それに、バーナビーが殺された両親の復讐を生きる糧にしてる事を俺は知ってる。その意思は彼に冷静さを、場合によっては正気すら奪いかねない程に強い。
他にもNEXTの能力が怖がられたら、もし現場で自分の身に何かあったら…不安は尽きない。
目を伏せて酒を口に運ぶその横顔は普段のクールさとは似て非なるものだった。無機質な冷たさに、寂しさがにじみ出てるように感じた。
「…まぁな」
居心地悪そうに正面を向いて帽子の位置を直す。情けない。
「…」
バーナビーは口を開かない。じっと自分の手元を見てる。
「あー、大変だよな、ヒーロの恋愛ってっ!で、どういう子なの?」
沈黙に耐えきれなくなり両手を広げたオーバーアクションで話題を変える。頬がひきつってる自覚はある。この大根め、と自分を罵る。
だが彼は変えた話題に少し困ったような、でも僅かな笑顔を見せてくれた。そうだ、お前は笑ってくれ。
「別に、普通の子ですよ。普通に優しくて、普通に可愛くて…まぁそう思ってるのは僕だけかもしれませんけれど」
愛しい相手には誰もが思うような、誰にでも当てはまるような特徴。あぁ、彼は平凡な恋をしたんだ。
平凡な恋。
それはとてもとても当たり前に何時降って湧いてくるか分からない、平凡な幸せ。最上の幸せ。
自身も以前はその幸せを掴んだ事があった。掴めたと思い込んでいた事があった。
あの頃は何もかもが上手くいくと思っていた。無理や無茶は全部成功、勧善懲悪、永遠に続く幸せ。
今でも自分はそれがすべて夢だったと割り切る事は出来ない。欠片を放さなければ、きっといつか全ての欠片が元の位置に戻るだろう、なんて。
夢物語と自覚しつつ理想を抱く。抱きしめる。指輪は未だに外せない。
それを思い起こすと途端にバーナビーの未来が広く明るいという事を感じ、同時に自身の道の先が細く暗いものに思えた。
こいつには、未来があるんだ…単純に若さだけじゃない。今彼の心の有り様が復讐によって暗く孤独であっても、彼は変わるんだ。これから先他人を求め、愛する人を求め、幸せを求め。
一瞬自分の影が彼に重なったが、すぐに剥ぎ取る。
駄目だぜ、バ二ー。お前は俺になっちゃ。
「惚気るねぇ。もうそこまでいうならバシッと告っちゃえばいいんだよ」
目を細めて見つめると呆れたような声が返ってくる。
「別に。あと告っちゃうって、もう死語ですよ」
「何!?やっぱ古いか?…まぁでも」
頬杖を外して一息に酒を煽る。ちびちびと口をつけていた焼酎が一気に体内に流し込まれ、途端に熱に代わる。
一度きゅっと唇を引き締めた後、酒に肩を叩かれて素直な気持ちを口にする。
「自分の気持ちを伝えるのは、大事だよ。機会逃して一生言えねぇ事になる前に、さ」
いったい誰に向けて言ってるのか、自分の失笑してしまいそうだ。いや呆れか?軽蔑か?どっちでもいい。本音を言うのは、これが最後だ。
何かを断ち切る様にカンッ、とグラスをカウンターに置く。
後はただ虚空を見つめ続ける。





さっきの本音は、後輩に言っているのか、相棒に言っているのか。今の自分に言っているのか、過去の自分に言っているのか。





「…逃がしたくないんですよ」
「え?」
唐突な声に弾かれるように顔をあげる。
迎えるバーナビーの口元には笑みが浮かんでいた。
「どんな卑怯な手を使ってでも、罵られようと、その人を手に入れるためならどんな手段だってしてやる自信があるんです。それに」
視界が揺れる。誰だよこいつ。俺の知ってるバニーちゃんは、さ。もっと冷静で、クールで、現実的で…
向かい合う男の瞳が笑っていない事を、射竦める様に己から目をそらさない事を、今ようやく気付いた。
「一度手に入れたら絶対に逃がす気はありません。だから簡単には自分からは動けないんですよ」
声は穏やかなのに、口調はいつも通りなのに、まるで魔法。いや、呪いか。身がすくむ。気圧される。
「意外と情熱的、なんだな」
喉がからからだがもう酒は無い。グラスの氷はまだ解けない。
「ただの執着心ですよ」
そっけなく、当然ように、怖い事を言う。
ごくりと息をのむとバーナビーの表情が変わる。笑顔だ。優しい笑顔。威圧感は消えた、でもまだ何かが残ってる…
「先輩ならどうします?こんな風に偏執的に…あるいは情熱的に求められたとしたら」
優しい顔なのに。
優しい声なのに。
優しい優しい優しい…
「偏執的ってのは怖いなぁ。…ただ」
そうだよな、優しいんだよバニーちゃんは。つっけんどんな態度が多かったり、仕事に熱心すぎて情が薄いように見える事もあるけれど。
最近は上手くいってた。喧嘩は軽口の言い合いになった。アレやソレで話が通じるようになった。アイコンタクトで事件解決なんて楽勝だ。
なのに、なのに、なのに
こんな怖いバニーちゃんは知らない。こんなに欲望を露わにするバニーちゃんは知らない。知らない。
「羨ましいよ、お前にそんなに想われる相手が」
知らない。恋に浮かされるバニーちゃんなんて。
知らない。こんなに動揺する自分なんて。

頭の中で心音の警告音。
俺、バニーちゃんの事、こんなに好きだったんだな。
胸が苦しくて潰れちまいそうだよ。

そう言いたくて開いた口を、大人だからと飲みこんだ。







(彼の掴もうとする幸せの価値を、俺は、知っていたから)













最悪な恋の自覚。
続きます。
念のために言っときますがこれは兎虎です。







人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -