「バニーちゃんさ、その髪鬱陶しくない?」
トレーニングルームの一角。
いつものようにランニングマシンを走らせるバーナビーの隣のベンチで虎徹がポツリとつぶやいた。今日は珍しくダンベル片手だ。もう一方の手は雑誌のページをめくっているが。
またお節介か…と呆れ気味ながらもマシンの設定速度を二段階程下げる。緩やかになった速度に合わせ重心を移動させ、安定した所で上半身を捻じるように虎徹の方を見る。
「別に」
「別にって事はないだろうが。なんかさっきから走るたんびにぴょんぴょん揺れて気になんだよ」
ウサギのお耳みたいによ、とじっとバーナビーの頭部を見つめる。
バーナビーの金髪は癖が強い。顔を縁取るような金髪は豪奢で貴族的にも見えるが、その一方激しい運動や強い風にはうねる様に暴れる。
本人は気にしていないようだが、今も汗で頬や喉に前髪の一部が張り付いてる。
「気になりませんよ。先輩と違って毎日セットしてますし」
「でも結構伸びてるぞ。前髪とか。目にかかると視力落ちちまうんだぞー?」
まるで母親の様な言い草だ、と虎徹自身も口にしてから気付いた。しかし改めて考えると首が長いので判りにくいがバーナビーの後ろ髪は結構長い。風呂上がりで癖の取れた髪の長さは肩を余裕でこえる。
別にヒーローが髪を伸ばすな!とか無茶を言うつもりはない。ヒーロースーツを着れば全く問題ないし、今の髪型が似合ってるとも思う。だが…一度口に出した手前主張を簡単に取り下げる気にはならないのも事実だ。
「なんなら俺が切ってやろうか?」
「………」
形容しがたい程嫌そうな顔をされた。
ファッションはともかく、普段から外見には気を使い常に清潔な身なりを心がけているバーナビーだ。最近では雑誌の取材や撮影でプロにカットされている事も少なくは無い。通称『TIGER&BUNNYのクールでかっこいい方』バーナビー。そんな男がこのいかにも不器用そうなオジサンに髪を弄られるのを良しとする訳がなかった。
「却下します。嫌な予感しかしません」
「俺こう見えても得意なんだぜ。そう言うの。楓が幼稚園の頃は毎朝俺が髪を結ってだな…」
「信用できません」
取り付く島もない。
バーナビーとしては商売道具でもある自分の外見の商品価値を下げられるのは断固拒否したかった。
さらに現在虎徹の手の中になる雑誌の記事のあおり文句があからさまに警戒させる。
『貴方にもできる!簡単カリスマ美容師が教えるプロの技30』
虎徹がこれに触発されて髪がどうのと口に出したのは明白。実験材料はごめんだ。
さっさと諦めるように、一片の希望も持たさぬように切り捨てた。だが、諦める前に虎徹は拗ねはじめてしまった。
「なんだよ。バニーちゃんのケチ―!」
小学生みたいに舌まで出して。
虎徹からすれば好意で言った言葉だ。上から目線で一刀両断される事は既に日常とかしてきたが、だからと言って悲しくないわけじゃない。拒絶されてもへこたれない虎徹、だがむっとして意固地になる事も偶にはある。
「先輩こそ、髪長いんじゃないですか?前はともかく後ろは結構長いですよ」
「…俺はいいんだよ」
「あぁ、下手に髪切ると目立ちますもんね、後退が」
「禿げてねぇよ俺はっ!!」
これは話題をそらそうとして余計なひと言を言ったバーナビーが悪い。
雑誌を閉じてロッカーへと歩き出す虎徹。
風船のようなふくれっ面で拗ねるオジサンは可愛いが、意外と繊細な三十路男の傷口を抉ったのには流石に多少の罪悪感が生まれた。
「先輩、言いすぎました。すみません」
珍しく素直な、そして真摯な謝罪の言葉に虎徹が振り向く。振り向きざまの見開いた顔がその驚きを如実に表してる。
さっき虎徹が放り出した雑誌をぱらぱらとめくる。予想通りお目当ての記事はさっき虎徹が開いたページのすぐ後に載っていた。
「流石にカットは困りますが、これならいいですよ。器用なんでしょう?先輩」
開かれたページはカット特集のおまけ的なメンズヘアアレンジの紹介文だった。



鼻歌交じりにバーナビーの髪を虎徹が櫛で梳く。
どのアレンジが似合うかと雑誌の上で頭を突き合わせて考えていると、タイミング良く通りかかったネイサンからワックスを、カリーナからヘアゴムとピン、歯が欠けたお古の櫛を貰う事が出来た。
ネイサンのあの髪形でワックスをどう使うのかという疑問も生まれたが…まぁ、おしゃれは奥が深いんだな、と深く考えない事にした。
『あらぁ、ハンサム君の髪型?そうねぇ、サイドの髪を後ろに持ってくるのはどうかしら。きっと印象変わるわよ』
『三つ編みよ、三つ編み。今流行ってるんだから。あ、できたら写真送ってよね』
ヒーローきってのおしゃれ二人のアドバイスにより、虎徹の挑戦は編み込みの一つ括りに決った。
「結構難しそうですよ、これ。大丈夫ですか?」
「オジサンにまっかせなさーい!カッコよくしてやるからな」
美容院のように背の高い椅子にバーナビーを座らせ、意味があるのか首にタオルを巻く。びしっと櫛を構え早速左の前髪に手を伸ばす。
後頭部から目前へと突然現れた虎徹の浅黒い手に少し驚いたが、自分が言いだした事だ。少し楽しむ事にしようと前向きに考え直し、バーナビーは虎徹の手に身を任せた。
きっちりと頭部に添わせるように編んでいくには、髪はかなりきつく結っていかないと変に膨れて形が悪くなる。
3度目のやり直しになってようやくコツをつかんだ虎徹がギュッとこめかみあたりで髪を引っ張り上げるのに、バーナビーは眉をひそめた。
「…器用、といった割には手間取りますね」
「いやほら、久しぶりだから?そういや最後にやってから5年ぐらいたってんだよな…大丈夫、もう思い出したから」
「そうですか」
正式な美容院とは違い鏡が無いのが少し悔やまれる。じっとして無駄な時間を耐えなければならないいなければならないのは性分に合わないのもあってひどく退屈だ。思いを巡らせるのにも飽きてきた。せめて先輩の悪戦苦闘してる姿でも拝めればよかったのに。
「よし、左完成!」
ようやく納得が出来たようだ。これでようやく半分、とバーナビー軽くため息をついた所で首に何かが這う感覚がしてゾクリと背筋が震えた。
「あ、悪い。くすぐったかったか?」
「…いえ」
どうやら後れ毛をワックスで整えていた虎徹の小指が当たったらしい。意図的ではないようなので文句は言わずにおいた。
「にしてもバニーちゃんの髪の毛結構やわらけーな。くるくるふわっふわの羽毛みてぇ」
まだ編んでいない右側の毛を指に絡ませ弄ぶ。
虎徹の髪は固めの直毛だし、血の繋がった娘もそうなのかもしれない。珍しい感覚を楽しむようにわしゃわしゃと大きく撫でる。
その感覚は、バーナビーにとって居心地がよいと同時に多少気恥ずかしかった。髪を弄られるのも、頭を撫でられるのもずいぶんと久しぶりの感覚だったから。
心地よい感覚にずっとこのままでいたいという思いが気泡のように心に浮かんだが、流石に口にはできず叩き割る。
「そんな乱暴に弄るとせっかくの完成品が崩れますよ。ほら、早くやっちゃってください」
「へいへい」
渋々というようにまた指を動かし始める。ただやはり触り足りないのか時折指先で髪を撫でる。
「先輩」
軽く手をやり虎徹の行動をいさめる。放っておくと延々と遊び続けているかもしれない。
「わーったよ。もう真面目にやるから」
名残惜しそうにそう言って生際に指を通す。
また黙々と作業の時間が続いた。慣れてきただけあって編むのは早くなったが今度は左右のバランスがうまくとれないらしい。満足するまで遊ばせたらさっさと元の髪型に戻す気だったのだが、ここまで熱心にされると言いにくい。
―――少なくても終業まではこのままにしておくかな…
ここまで思考を巡らせた段階でバーナビーの意識に霞がかかってきた。



「よし、完成…って、あれ、寝ちまった?」
ようやく左右のバランスに納得のいった虎徹が顔を覗きこむとバーナビーは瞳を閉じて静かに規則的な呼吸を繰り返していた。
そう言えば熱中しすぎて途中から一言も声をかけていなかった。眼鏡越しに改めてまじまじと見る瞼は長く密集した睫毛に覆われていてついまじまじと見つめてしまう。
この下の眼球は明るいエメラルドグリーン。思い出すと途端にそれが見たくてたまらなくなる。
「〜っ!?」
「起きたか?」
がたんと椅子を大きく揺らしてバーナビーが目を見開き、状況を確認しようとグルリと首を回す。
眼前にはニッ、歯を見せて笑う虎徹。ちょうど自分の顎の位置に中途半端に開いた掌。今自分が感じた感覚の原因はまるわかりだ。首を撫でやがった。
「…今度はわざとですね」
「いや―まさかバニーちゃんが首が弱いなんてなー♪」
何がそんなに嬉しいのかと思うほど嬉々とした表情で顔を覗きこんでくる虎徹に、このオジサンは…、と最悪の方法で目覚めさせられたバーナビーが毒づく。
「まったく…満足のいく出来にはなりましたか?」
「おう、自信作!今鏡見せてやるからな」
がさごそと私物のを漁る。
ずいぶん以前にロッカーに詰め込んだ手鏡の曇りを袖で拭きとり、バーナビーを振り返る。
まだ眠いのか半開きの目で足元をぼーっと見つめているその姿が一瞬別人に見えて虎徹の心臓が跳ねた。イケメンヒーローとはほど遠い眠たげでやや間抜けな表情のせいだろうか、外した眼鏡のせいだろうか、それとも変えた髪型のせいだろうか。
確かめるように、誘われるように、いつもは見えない耳に手が伸びる。
パシッ。
「あ」
「そう何度もやられる訳無いでしょう」
低められた声と共に無意識に伸ばした手が掴まれてようやく正気に戻る。
「もう二度と髪はいじらせませんからね」
「いやいや、今のは悪戯しようとしたわけじゃなくて、無意識だって。つい」
掴まれたのとは逆の手をあわてて横に振る。しかし握られた手が離される気配はない。
「触りたくなっちまって」

妙な間があった。あれ、バニーちゃんってばまだ寝ぼけてるの?と恐る恐る声をかけてみる。
「バニー…ちゃん?」
「まったく…しょうがないオジサンなんですから」
小さなリップ音。指先に熱。キス、と呼んでいいのかも判らないような軽いものだったが。
「っ!?」
今度は虎徹に動揺が走る。
別にキスが照れくさいわけでも珍しいわけでもない。何がきっかけかは分からないが最近のバーナビーは妙に濃厚なスキンシップを仕掛けてくる。唐突に。軽いキスぐらい無駄に慣れてしまった。
驚いた理由はその表情。
刺々しさの欠片も無い声、やや厚い唇は口角が上がり、眩しいものを見るような目じりの下がった瞳。
その見た事無いような穏やかで優しい表情に心臓が跳ねあがるどころか止まりそうになった。
「…オジサン?顔が真っ赤ですよ」
「な、なんだよ唐突に。ほら、鏡!俺カメラ持ってくるからっ!」
乱暴に手を振り払うと鏡を押し付け一目散に部屋を出て行ってしまった虎徹をバーナビーは茫然と見送る。
カメラなら携帯でも十分に事足りるだろうし、カリーナ達に送るのならそっちの方が便利だろうし。
一人ポツンと取り残されたバーナビーは気だるげに首に巻かれたタオルを外す。
―――どうやら少し寝ぼけてしまったか…
自分にしては珍しいうたたねの中、妙に心地よい夢を見てしまった。
頭を撫でるむずがゆい様な優しげな感覚。温かな手から染みるように自分の注がれる愛情。
もう何年も見たこと無い様な穏やかな、やさしげな夢。夢の中、その手の先にいたのは父だったか、母だったか、それとも…
ただただ夢からあふれる幸福感が自然と行動に出た。触りたい、だなんて言うから。
―――いつの間に、こんな顔ができるようになったんだろうか。
押し付けられた鏡の中には普段と違う髪型の、普段と違う表情の男がいた。
自分に一瞬でも目的も憎悪も忘れられる瞬間がくるとは思ってもみなかった。気を引き締めなければ、とも思ったが悪くは無い気分だ。
さて、そろそろ写真を取って仕事に戻らないと。
椅子から立ち上がると入口に手ぶらの虎徹が立っていた。
「よく考えたら…俺カメラなんか持ってきてなかった」
「まったく…馬鹿なんですから」
居心地悪そうなその姿に嘲笑ではなく苦笑を向ける。







(あふれる愛しさを今現在、唯一受け止めてくれる彼の人よ)













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