「ヘレン、これやっといてくれー」
「はーい、後でやります!」
「ヘレン、先これやってくれね?」
「あ、わかりましたー!」

忙しい船内。久々に海底から太陽が見えるところまで浮上した所為か、みんな走り回っている。
私も例に漏れずあっちへこっちへ呼ばれるがままにそこまで飛んでいく。
洗濯物を渡されて、干してる途中で違うことを頼まれて、そう思ったらまた違うことが出てきて。

その間にずきずき痛む下腹部。
それでもみんなに任せて自分だけ休んでるなんて嫌で、あまり効いてくれない薬を恨みながらも、わざとちょっと返事の声を大きくして誤魔化した。


「ヘレン」
「はい、キャプテン!」
「コーヒー入れてこい」
「わかりました!」

キャプテンが甲板に出てくるなんて珍しい、と思ったけど、きっとみんな外に出払ってて、中にいなかったんだろう。
…でもここまでくるくらいなら自分でコーヒー入れたらいいのに。

「あ、あの、これお願いしていいですか?」
「おう、船長優先だしな」
「行って来い行って来い」
「はーい」

一瞬酷くなった痛みを、笑顔で誤魔化した。





コンコン。ノックは、二回。
返事が無いのは知ってる。逆にそれが入っていい合図。

「コーヒー持ってきましたー」
「そこに置いとけ」

キャプテンは相変わらずソファーに優雅に腰かけて、難しそうな本を読んでいた。
乱雑だけど少しは整頓されてる机にマグカップを置き、キャプテンをちらっと見る。
何とも反応なし。
…ちょっとくらい、何か言ってくれたいいのに。
そうしたらこのお腹の痛みも、ちょっとの嬉しさで軽減されるかもしれない。
それこそ、勝手な期待だけど。

「じゃあキャプテン、失礼し、」
「ヘレン」
「はい?」
「こっち来い」

何だろうか。
もしかして本を探せとか。
……やだな、いつもならそんなことでも頼られてるって嬉しいのに、今日は少し、卑屈だ。

「どうしました?」
「こっちだっつってんだろ」
「…へ?」
「……ったく、鈍臭ぇな」

心底人を馬鹿にしたような目を向けられてもですね、キャプテン、言ってる意味がわかりません。
なんてそう思ってたら、腕を引かれて。

「……え、あ、あの、きゃぷてん」
「何だ」
「なんだ、って、あの、えっと、」

どうして、こんな、ことに。
気付いたらソファーに座ってるキャプテンの長い脚の間に座らされて、お、烏滸がましいようだけど、軽く、後ろから抱きしめられ、ちゃったりなんか、して。

「顔色悪ぃんだよ」
「え」
「……生理か?」
「…どどどどうしてそれを」
「先月も同じ位に同じ顔色してたからな」

ああ、そうだっけ?
自分じゃいまいち気付かないけど、キャプテンにはお見通しと言う…どうしよう恥ずかしい。

「痛ぇのか」
「いいえ、大丈夫です」
「薬は」
「…2時間前に、飲みました」
「そうか」

あと3時間は飲めない。
あと3時間、この痛みの、もしかしたらそれ以上のものが襲ってくるのかもしれないと思うと、ものすごく憂鬱だ。

「で、あの、キャプテン、この格好は、何、ですか」
「別に」
「べ、べつにって、」
「黙ってろ」

大丈夫だって言ったのに、やっぱりお見通しだ。
…あれ、もしかして。
もしかして、コーヒー入れて来いって、言って……いや、考え過ぎだよね、うん、そんな。

じわじわと耳まで熱くなる中、腹部を、大きな彼の手が覆った。

「ひぇ!?」
「…は、何だその声」

耳元から笑い声が聞こえて、どっちの恥ずかしいやらがわからないくらい、全身が熱い。
なんで、なんでそんな、頭が破裂しそう。

訳がわからなくて顔が俯いて、身体が自然に曲がっていく。
すると何故かキャプテンが体重をかけてきて、……あ、あれ、まって、潰されるこれ。

「きゃぷ、てん」
「なあ」
「は、はい」
「このまま俺に潰されるのと、寄り掛かるの、どっちがいい」
「……え、っと」

寄り掛かるなんて恐れ多い、でも、潰されたら苦しいし、……ああもう、お腹痛いし、よくわかんないし、考えたくない、よくわからないから。

「…うう……」
「頑固だな」

段々視界がくらくらして、押し潰されて酸欠なのかもしれない。
思ってたらぐっと、逆らえない、でも妙に優しい力で腹部を押されて、キャプテンが背もたれの方へ倒れていくのと同時に、私はキャプテンへと寄り掛かってしまった。

「……キャプテン」
「あ?」
「………おなか、いたい」
「そうか」

寄り掛かった背中も、手に覆われた下腹部もあったかくて、それなのにどうしてこんなにずきずき痛むのか、涙が出そうになる。

「うー…」
「鼻水つけんなよ」
「つけませんー」

寄り掛かったままもぞもぞ動いて、身体を少し横にして、身体を丸めた。
こんなわがままなことしてるのにも関わらず、キャプテンはずっと手を放したりはしなかった。

耳に聞こえる、キャプテンの、音。

「……ローさん、ありがとうございます」
「お前だけだ」
「そういうの、気障って言うんですよ」
「いいからさっさと寝ろ、ヘレン」

そんな女誑しみたいな言葉、似合うようで似合ってなくて、やっぱり似合っちゃってる。ずるいなあ。
だから、私みたいな女、引っ掛けちゃうんですよ、キャプテン。

ずっと変わらない、ずっと同じ音。
するりと頭を撫でられ、その心地よさに、私はすぐに夢の中に落ちていった。



高鳴りもしない



(船長、入りま、……)
(……うっわあ…)
(………ふたりともぐっすりだな)
(どうするよ、これ)
(何も見なかったことにするしかないだろ)
(だな)

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