「おやかたさぶああ!」
「幸村ぁ!」
遠くで、父上と幸村の互いを呼び合う声がする。…なんだろう、いつもはこのやり取りを聞くと呆れるんだけどなんか安心出来るのに、今日はなんだか不安になる。
…変なの。
「…十六夜様、はしたないですわ。」
「…ごめんなさい」
知らないうちにため息が出ていたらしく、椛に注意された。
「…お館様方は今から今川を攻めるらしいです」
「…そう」
「お館様と真田殿に会いに行かなくてよいのですか?もうすぐ発つとおっしゃっておりましたが。」
「…いいの、別に。」
いい加減戦の度にこう機嫌が悪くなるのはやめなきゃ、と思ってはいるけれど体は正直。すぐにため息が出てしまう。
「…ねぇ、椛。」
「なんでございましょう、十六夜様。」
「奥州の伊達政宗という方を知ってる?」
伊達政宗、という言葉を聞いて椛の顔色が微かに変わった。だけど、私はその事に触れなかった(聞いてはいけないような気がしたの)。
「名前なら、猿飛殿から聞いたことがございますわ。六爪流の若武者…だそうで。」
「…ふぅん」
「その伊達政宗が如何しました?」
「…川中島でね、幸村が自分の好敵手を見つけたって言っていたの。それが伊達政宗という方で、それで、その…ゆ、幸村の好敵手がどんな方か気になった、の…。」
椛が聞いたことに素直に答えたけど、答えるうちに段々恥ずかしくなった。最後の方は自分でも聞き取れないくらい小さい声だった。
そんな私を見て椛はくすくすと笑う。
「わ、笑わないでよ!」
「すみませぬ、十六夜様。十六夜様が可愛らしくて…!」
「椛…!」
「…でも、十六夜様は本当に真田殿がお好きなのですね。」
「…えっ」
椛の一言に、体中の熱が顔に集まる。
「十六夜様が真田殿のお話をなさる時とても幸せそうですし、いつも真田殿の事をお考えのようですし。」
椛の言葉に、また体温が上がっていく。
「…べ、別にいつも幸村の事考えてるわけじゃないわよっ!それに私が…」
そこまで言って、続きを言うのをためらう。急に黙った私を見て、椛は不思議そうな顔をする。
「十六夜様?どうなさいました?」
「…ううん、なんでもないわ。」
私は笑顔で答える。その顔に椛は安心したようで同じように笑った。そして椛は、他の女中に呼ばれて部屋を出た。ぽつりと私は広い部屋に一人のこされた。…なんだかじっとしていられなくて、私も部屋を出た。
意味もなく廊下を歩いていると、雄々しい声が何処からか聞こえてきた。それは今川攻めへ向かう父上や幸村や兵たちの声だということはすぐにわかった。
「…ご武運を」
私は面と向かって言えたことのないいつもの言葉をひっそり呟いた。