「父上、お帰りなさいませ!」

十六夜様は嬉しそうに先程川中島からご帰還されたお館様の腕の中に飛び込んだ。

「おお十六夜、変わりはないか?」

「はい、十六夜は元気です!」

お館様の大きな手が、姫様の頭を撫で、十六夜様は微笑んだ。

そんなお二人を見て、まわりにいる者達も微笑む。

「それにしても、今回は随分とお早いお戻りでしたね?」

「うむ。色々とあってな。…結局勝負は付かず終いじゃ。」

「そうでございましたか。」


そうおっしゃったお館様は、決着が付かなかったことを喜んでいらっしゃるように生き生きとした顔をなされていました。

「…父上、幸村は?」

いつもなら真っ先に来てくれるのに、と十六夜様は真田殿をお探しになりながらお館様に尋ねた。


「幸村なら庭で鍛練でもしとるのだろう。十六夜、会いに行ってやるがよい。」

「はい!」

十六夜様は元気よく返事をなさると、庭の方へ行ってしまわれた。
「…珍しいですね。真田殿が姫様に会いに来ないなんて。」

「…実はな椛。幸村も儂と同じく…好敵手を見つけたのじゃ。」

「…そうだったのですか。やはり上杉の武将の方ですか?」

「それが違うんだよねー。」

「…猿飛殿?」

お館様と話していると、いつの間にか私の後ろに猿飛殿が立っていた。

「…上杉の方でないのなら、一体…?武田の方ではないのでしょう?」

川中島に他の軍がいたと言うのでしょうか。だからまた決着が付かなかった…のか。


「なんと…奥州の独眼竜!」


「…おう…しゅう…独眼竜…?」

奥州…?

「あれ?椛聞いた事ないっけ?」

「奥州筆頭…伊達政宗」

静かにお館様がおっしゃった言葉が頭の中を駆け巡る。



奥州伊達、それは間違いなく。



「…椛?どうしたのじゃ。」

「…いいえ、なんでもございませぬ。」

お館様と猿飛殿に何も悟られぬよう、私は咄嗟に作り笑顔を向けた。

「そうか?」

「ええ、大丈夫ですわ。」


「…ならばよいが。」

そうおっしゃるとお館様は一瞬不思議そうなお顔をなさりましたが屋敷の中へお入りになった。

それを見届けると、武田の兵達も自分の持ち場へと戻っていった。
「…」

「椛、顔色悪いけど?」

「え、」

いきなり心配そうに私に声をかけて猿飛殿が私の顔を覗きこんできた。

「どっか具合でも悪い?」

「い、いいえ。本当に大丈夫です。猿飛殿、お気遣いありがとうございます。」

「…無理しちゃ駄目だよ椛。じゃ、俺様仕事あるから。」

猿飛殿は私の頭をポンと撫で、困ったように笑った後、何処かへ行ってしまわれた。…猿飛殿には失礼ですけれど、誰かを心配するお姿は本当に母親のようだと思いました。


大丈夫、きっと。聞いたのは名前だけ。会う事などないのです。

「…梵…。小十郎…」

そう思ったけれど、私の唇は懐かしい名前を呟いていた。

(その名の響きに、何故か泣きたくなった)


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