父上と幸村達が川中島へと発って数日が経った。
いつもの様に躑躅ヶ崎に残った私は暇を持て余していた。
お稽古も全部終わってしまったし、毬つきなんてする歳でもないし、ただぼんやり空を眺めて時間を潰すだけだった。
「…十六夜様?」
後ろから私を呼ぶ声がして振り返る。
「…椛。」
そこに立っていたのは私付きの女中の椛。(椛は女中だけど、戦に赴くこともあるの。今回の戦には呼ばれなかったみたい。)
「…どうなされました?」
「暇なの。…ねぇ椛、せっかく父上も幸村もいないんだから城下に…!「それはいけませんわ。」
はっきりとした声で椛は言う。
「いいじゃない、少しくらい!」
「駄目なものは駄目ですわ、十六夜様。城下には武田と敵対する者が紛れているかも知れませんし。」
また何者かに連れ去られるやも知れぬのですから。
「…もう子供じゃないわ、私だって自分の身くらい守れます!」私は幼い頃に一度、父上を敵視する者に連れ去られたことがある。(その時椛が助けてくれて、椛はそれ以来私の付き女中なの。)その事件があってから、父上は私を屋敷の外に出してくれなくなった。…そういえばこの頃かしら、幸村が私の事を姫様と呼ぶようになったのは。
「お館様は十六夜様を大事にしておられるのですよ。勿論真田殿も私も。もう二度とあのような事がないように…と。」
「父上や幸村が私の事を心配してくださってる事はわかってるわ。…だけど、毎日毎日同じ事の繰り返しなんだもの。」
幼い頃に遊んだ野原も町の風景もほとんど思い出せない。
今の私なら世界にはこの躑躅ヶ崎しかないって言われても信じてしまうくらい。
「もうしばらくの辛抱ですわ。お館様と真田殿が天下をお取りになれば、平和な世になるでしょう。そうすればきっと。」
そう椛は優しい笑顔で言ってくれる。
「また、城下へ行ける?幸村がいる上田にも遊びに行けるのかしら。」
「ええ、勿論。」
また椛はにこりと笑う。それは姉のような母のような笑顔。
いつも私はその笑顔に安心させられてしまう。
「…わかった、城下はまた今度にするわ。…でも、また暇になるわ。」
わざとらしい声でそう言って、椛をちらりと見る。椛はやれやれ、と言うように肩を竦める。
「指南ですね。…お館様に止められてますから、少しだけですよ?」
「わかってるわ!」
私は椛の言葉を聞いて笑顔で庭へと降りた。