たぶん人間は最終的にみんな痛くて暗くなるようになっている。わたしも人には決して言わないけれど、カニバリズムやらネクロフィリアやらの横行する痛くて暗い世界の話がとても好きだった。そういうのが格好いいと思っていた。格好いいと思ったらなんだかわたしの弱い部分が相殺されるような気がした。かゆい皮膚をひっかいた時の心地よさみたいに、痛くて暗い世界を創造することで、わたしは一種の安堵感を感じていた。

もう遅いよ。お前たちはわたしを大事にしなかったからこうなったんだよ。がたんごとんがたんごとん。

列車はゆったり揺れていた。わたしはポケットの中の切符を失くしてないか確認する。大丈夫だちゃんとある。そう思って再び切符をポケットの中に入れた。

よく晴れた午後だった。平和を体現したような淡い日差しが車内をあたため尽くしている。窓の外はひたすら木が並んでいて、その向こうには少し民家や畑が見える。田舎の鈍行列車だら、この車体も都会のおさがりらしく、カーブに差し掛かるたびに節々がよくきしんでいた。少しクラシックでレトロな内装は見ようによってはお洒落に見える。この車両にはわたし一人しかいない。

がらりと車両連結部分のドアが開いて、車掌さんがあらわれた。わたしが彼に切符を渡すと彼は優しいえみを浮かべた。

「気持ちいい天気ですね」
カチャリと切符をはさみながら、車掌さんが言った。わたしの返事を待つ前に、彼はわたしの向かいの席に座った。優しそうな黒髪の、かなり若い車掌さんだった。柑橘系のいい匂いがする。素朴感じの人だ。
「終点までですか」
「はい」

彼の胸ポケットから見える切符にはすべて、行き先の部分に、死、と書いてある。私の切符にも、もちろん同じ文字が書いてある。わたしがそれをあえてよく見せるようにかかげると、彼は、はははそうですねと白い歯を見せて笑った。

「どこからお乗りですか」
「東京の方からです」
「じゃあ、ここに来るまで、ずい分乗り換えがあったことでしょう」
「まぁ、はい」
「よくここまで来ましたね。途中で行き先をかえたり、やっぱり引き返したりす
る人も多くおりますから」

彼は長い足をゆっくりと組んだ。素朴でやさしい笑みを浮かべている。わたしは特に返事をしなかった。

列車は順調に木々の間を抜けていった。淡い日差しが明るく車内を照らしていた。線路と車輪の重なる音と古い車両の軋む音とつき刺さるような直射日光と車掌さんのほほえみとがすべてがひとつのノイズとなってわたしの脳髄を突き刺していたぶる。

がたんごとんがたんごとん。

頭の中でなら人を何べんも殺したことがある。本当にそういう物質的な欲望に侵されていた訳ではないが、しかし頭の中では鮮明に、私はしばしば気に入らない人に銃を向け容赦なく引き金を引く。ばうんと銃声が唸って、周りの人がこちらに一斉に視線を向ける。撃たれた相手が倒れる。とても驚いた顔をしている、そして後悔している。でももう遅いのだ。お前は私を大事にしなかったからこうなったのだよ。胸からは真っ赤な血がどくどくと流れている。私はそれを冷たい憐れみの目で見下ろす。彼ないし彼女の精神はそこで死ぬ。妄想ここまで。

「思うのですが、あなたは若すぎる」

彼は私を真っ直ぐ見つめながら言った。わたしはあえて返事をしなかった。お説教臭い言いぐさに少々煩わしくなったのだ。わたしが顔をそらすと、電車がトンネルに入って、窓の向こうが暗くなった。

「一つ、提案があるのですが、貴女の記憶を、ぼくにくださいませんか」

彼はこどもを優しくたしなめるようにわたしに問いかけた。
「バクって知ってますか」
「……あの、夢を食べるという動物だか怪物だかの」
「そうです。ぼくもあんな感じで、記憶を食べるんでしてね。まぁ、ナリこそ人間なのですが。そもそも、夢って記憶のかたまりなので、同じ話です。実際、無意識に組み立てられてすぐ消える夢などよりも、その人の根底にある記憶そのものの方が、よりおいしいんです」
「はぁ」
「そしてやはり、若者の記憶というのは、新鮮で質がいい。まぁやっぱり倫理的な面から、そうそう頂けやしないのですがね。そこで是非、貴女の記憶を頂きたいのですが」

暗いトンネルの壁に反射して、電車の走行音が轟々轟々と響く(そのせいで、彼の声は不自然により大きくなった)。

「別に、いいですけど」

私がそう即答すると、彼は少し驚いた顔をした。もう少し、悩んだり思いとどまったりすると予測していたらしい。彼の指が行き場をなくしてぴくりと跳ねたのを見てわたしは勝ち誇った気分になった。しばしの沈黙の後、彼は嬉しそうなほほえみに表情を変え、立ち上がってわたしの前にたたずんだ。

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて、いただきます。ハイ目をつぶって――」

彼はそう言って、少しかがんでわたしの頭部に顔を寄せた。私は深呼吸をする。そして目を閉じる。まぶたが開かないようしっかりと力を込める。前髪をやさしくかきあげられ、露わになったおでこにキスをされる。その唇の感触はすぐになくなって、かわりにそこから何かが抜けていくような、冷たい感覚が全身を貫く。

「……そんなにあっさり認めちゃって、後悔しないといいんですけどね」いくぶん冷たい声で、彼が囁くのが聞こえた。
うっすらと目を開けると、彼のにやりとした笑みが見えた。

「所詮あなたも、ただのよくいる死にたがりなようですね。死が一番怖ろしいものだと思っていらっしゃる。そんな痛みで全てを知ったつもりになるなんてね。愚鈍だ」

……返事をする間もなく、わたしは眠気を感じて再びまぶたを閉じた。

列車がトンネルから抜けて、車内が一気に太陽光の眩さで埋まる。たくさんの光がまぶたを通してわたしの目に侵入する。血潮の透けた赤色から、一気に視界が真っ白になる。

たぶん、自己中だったのだとおもう。構われたいがため。それだけ。それだけ。彼の言うとおり。

脳裏にふつふつと情景が浮かぶ。手元に電話の受話器、企画書のファイル、パソコンのマウス。目の前にエクセルの映るモニター。会社の中だ。いつものわたしだった。サイズの合わないパンプスにかかとが痛んで辛い。先輩に書類の整理を頼まれて、そういえば明日までの企画書はどこへやったかな、とがさがさと探していると気づいたら手元が小さな木の机に変わっていた。私は学校の制服を着ていた。周りもそうだ。見渡すとどうやらテスト中のようで、黒板の前には、試験監督役の教師が眉間にシワを寄せて突っ立っている。私は窓際に居た。よく晴れていて、カーテンから入る風と日光が気持ち良かった。そうだ思い出した。ここからグラウンドを見下ろすと、体育の授業が丸々見える。好きな人を探し出すくらいなんてことない。テスト用紙からいい匂いがする。給食が置いてある。ああ今は給食の時間か。今日のデザートはレモンシャーベットだ。わたしはこれが食べられないので、友人のおかずと交換をする。友人の笑顔が好きだ。昨日見たテレビの話が弾む。玉子焼き美味しいねと笑うと、お母さんはにこりと笑う。今度は家のキッチンにいた。まだ出来たばかりの新築の匂いがする。ご馳走さまでした、と大きな声で言って、ランドセル担いで外へ駆けていく。買ったばかりのスカートでひらひらと駆ける、隣で笑うお母さんとお父さんの大きな手は温かい。初めて訪れたデパートで走り回るわたしを、見失わないよう遠くから眺めててくれている。ああお母さんの腕の中は温かいな。いい匂いだ。ゆらゆら揺らされ、眠くなる。小さな小さなベッドの上で、シャンデリアのおもちゃがからからと回っている。からからからから、くるくるくるくる。ねむい。あつい。ねむい。こわい。おなかがへった。すき。きらい。ねむい。
快。不快。快。不快。快。

がたんごとんがたんごとん。

列車はゆったりと揺れていた。ポケットの中で、切符を失くしてないか確認する。大丈夫だちゃんとある。でも行き先が書いていない。真っ白なただの紙だ。
わたしは再びそれをポケットの中にしまった。

列車がゆっくりと駅に着いて、到着のアナウンスが鳴った。ドアが開いた。わたしは降りようとしたけれど、ひとり、わたしの横にいた見知らぬ女の子が、椅子にもたれてぐっすりと眠ったままであることに気が付いた。起こしてあげようと思ったけれど、あまりにも気持ち良さそうに眠っているので何だか起こすのをやめた。どうせここが終着なのだから、駅員がやって来るまでゆっくり眠っていればいい。
わたしは彼女の頭を撫でて、ひとり列車を出た。それから人混みの流れに紛れて、改札へと向かった。

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