pinch kicker
1
「ありがとな、豪炎寺。今日の話、スッゲー良かった!俺も熱くなったぜ!」
飛鷹の働く雷雷軒に入って席につくなり、円堂は満面の笑顔で俺の背中をバンバン叩く。
今日は雷門中の入学希望者対象の説明会が開かれ、その中の特別授業の講師として俺が呼ばれたのだ。
「子どもたちのあんなキラキラした顔見れて、俺もすげーテンション上がった。でさ、思い出したんだよな〜!お前のキック初めて見た時、俺――――」
その話はことあるごとに、もう何十回も聞いた。
円堂はいつまで経っても、あの頃のままなのだ。
怪我の療養でプロの戦列を離れても、新婚の妻が理事をつとめる学校経営をサッカーで支えている。
「すいませーん、中ジョッキ生二つ!」
「いや、俺はウーロン茶でいい」
「おい、そんなつれないこというなよ〜。今日のお礼だ。一杯やろうぜ!」
「いや、夕香の迎えが必要になるかも知れないんだ。それにお前も別の約束があるんじゃなかったのか?」
「え?約束ったって吹雪と飲むだけだからさ。先に出来上がっても構わねーだろ」
「―――」
お前も一人暮らしだろ?妹さんの送迎なんて近くにいる父ちゃんに任せとけばいいじゃねーか………
円堂の話し声が急激に遠ざかる。
“吹雪”という名前に、俺の意識がすべてもっていかれたからだ。
「吹雪は……札幌でホームゲームだろう」
「そうだけど昼間だろ?終わってからCM撮影で東京に飛んで来てんだよ。アイツ昔からタフだろ」
てか結構こっちに来ることあるんだぜ?と円堂は屈託なく笑う。
俺の眉間の深い皺をものともしないのは、コイツで、それが気楽でもあり煩わしさでもある。
「そーだ!よかったらお前も会わねーか?」
誘われて悪い気はしなかった。
正直、心動かされていた。
「何時に約束してるんだ?」
「さあ……決めてないな。いつも用事が終わったらあっちから電話が来るからさ」
『いつも』という言葉も、時間を決めない気軽なやりとりも……すべてが親密さの裏返しに感じて、ふと冷静になる。
「なら、俺は遠慮する」
「えー!何でだよ?」
「予定が立たないのは困るからだ」
冷たく返す裏側には、すっかり打ち解け合ってる二人を蚊帳の外から見せつけられるのは嫌だ―――という大人げない本音があった。
「おいおい、ダチ同士だせ?そんなカタいこと言うなよ〜」
口を尖らせる円堂の上着のポケットで電話が鳴り、その瞬間、俺の胸に鈍い痛みが疼く。
どうしたっていうんだ―――全く。
ハタチも過ぎたのに“このこと”となると、中学高校の頃とちっとも変わりやしない。
電話を終えた円堂の顔色はすこぶる悪くなっていた。
「……吹雪からか?」
「……いや……」
俺はさっきとテンションが明らかに違う円堂の顔を訝しんで覗き込む。
「どうしたんだ?」
「理事長からだった。夏未が熱出したって……」
「そうか。それこそ彼女の家族が近くにいるだろう」
夕香のことの仕返しではないが、今度は俺が呆れて訊ねる方だ。
すでに心ここにあらずの円堂は、全く聞こえない様子で「帰らなきゃ」と腰を浮かす。
「ごめんな、豪炎寺」
「おい、俺はいいが吹雪はどうするんだ?」
「ん〜そうだな。お前が代わりに行ってくれるとすげー助かるんだけど」
「はぁ?」
円堂の、急に来る押しの強い上目遣い。
「焼肉の“爆熱苑”ってとこだ。お前に今日のお礼もしてやれなかったし、コレで吹雪とたらふくウマイ肉食ってくれよ、な」
返事も待たず物事を決定事項に変える、ニカッとした爽快な笑い。
コイツの戦法にどれだけ巻き込まれてきたかわからない。
「おい、金なんていい。それより……」
「いいや、貰ってくれ。お前には世話になりまくりなんだから。じゃ、よろしくなっ!」
「吹雪への連絡は―――」
「俺がしとく!吹雪、喜ぶぞ!」
「…………」
喜ぶはずがないだろう………
俺は円堂に押し付けられたテーブルの上の金を仕方なく財布に入れる。
もちろん預かっただけのつもりだが、これでたらふく食える店なら、輩同士のざっくばらんなやりとりでなんとかしのげるだろうか?
気ままに会える親友二人の飲みの場に、突然俺が現れるのは気がひけた。だがついでとはいえ、遠方からきている旧友に会うのも悪くはない選択だ。
吹雪には、円堂の状況を伝えるだけでもいいのだから……。
それにドタキャンされたら気の毒……というよりも、何かの行き違いで吹雪を一人きり夜の街で長く待たせておくのが、妙に心配だったのだ。
俺は飛鷹に軽く目礼して店を出た。
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