「吹雪殿は何処にいる?」
才花院に着くなり詰め寄るように訊いてくる親友の勢いに、引き気味に鬼道は肩を竦める。
吹雪皇子の元には常に式を使わし、気配を監視しているにも関わらず、この剣幕なのだから。
「今は湯浴み中だ。午後に庭園で蹴球をたしなまれてな」
「蹴球?体は大丈夫なのか?」
「…………」
鬼道は呆れて一瞬黙った。皇子の体を気にする原因は自分のくせして、さも心配げに眉をひそめる豪炎寺が白々しすぎて。
「お体はもとより……相変わらず身の回りが騒がしいお方だ。特にお前の居ない日はな」
「どういうことだ?」
「“鋭利亜石”が、向こうから訪ねてきたんだぞ」
お前もあるていど気を読んでいるだろうが……
鬼道が意味深げに口角を歪ませ話しはじめたのは、昼間に吹雪を訪ねてきた“基山ヒロト”という男のことだった。
親しげな語り口で、災厄の続く吹雪の身の上を案じつつ、さりげなく石の話もちらつかせてきて――――
「おい、聞いてるのか?お前が知りたがっていた話だぞ」
「ああ。聞いている」
吹雪の顔を一目見ないと落ち着かないのだろう。
見ているこっちが擽ったくなるような浮わついた空気に、呑まれないよう鬼道は難しい表情で腕組みをし直す。
「基山とは……初めて聞く姓だが、吉良家の筋で間違いないのか」
「ああ。血縁というより“石”で繋がる関係だろう。まあ皇子に取り入るのが向こうの目的だとするなら“それに相応しい男”ではあったが、な」
含みの多い振りに、豪炎寺は鋭い目で鬼道を見返した。
「…………それはまた、やけに話が出来すぎてるな」
「ククッ、お前もやはりそう思うか?」
「ああ。どこまでが仕組まれていることなのか。もしや………」
吹雪殿が才花院に移ったこと自体が“陰謀”なのかも知れない………と口にしようとしたところで、御簾の向こうからふわりと甘い空気が流れてきて、会話が途切れた。
獲物の匂いを嗅ぎとった瞬間の獣みたいに目つきを変えた雄と、話す気力が鬼道からも失せていたからだ。
「おそらく今夜お前たちの“二夜目”ということも、基山は承知だろうな」
御簾の向こうに消える背中に、それだけは伝えておいた。
恋の炎を滾らせる修祓師。だがそれで勘や腕が鈍る男ではない。むしろ研ぎ澄まされ、使命に燃えているようにも見える。
とはいえ、今夜も長い夜になりそうだが―――
「あ、ヒロトくんのこと?鬼道くんから聞いたんだね」
昼間の訪問者のことを訊ねると、吹雪は屈託なく基山ヒロトの話を豪炎寺に打ち明けた。
「明日また来て“石”を見せてくれるって……」
「お前が見たいといったのか」
「うん」
あまりにも寸なり認める吹雪に、さすがの豪炎寺も咎めることができない。
「その人物が、どういう目的でお前を訪ねてきたのかわかってるのか?」
「うん。僕の夫候補でしょ?」
口元に微笑みを浮かべてさらりと答えるが、大きな丸い目は真剣そのものでこっちを見返している。
どんな相手も闇雲に否定せず、受け入れる姿勢はさすが天子の器といったところか。
「彼自身は悪い人じゃないと思う。だから僕に近づく理由を彼から探れると思うんだ。石も含めて、どんな力が裏で動いているのかを………」
「そうか。だが決して焦るな。その力はお前が思うより大きく危険なものだ」
「それって……」
豪炎寺の深刻げな顔を見て、吹雪がハッとする。
「遡ればもしかして僕の家族の仇に繋がっているかもしれない………ってこともある?」
「…………その可能性も無くはない」
閨全体を照らしていた灯が、風に揺れて消えた。
夕方蹴球や入浴で火照った吹雪の身体を涼ませるため、御簾を上げていたせいだろう。
今はそこから星が綺麗に見えている。
そろそろ皇子を休ませる時間だ。
星の配置で時刻を読んだ豪炎寺が、静かに立ち上がって御簾を下ろす。と、袴の下で何かがぞもぞと動きだす。
「っ…………欲しいのか」
「ん…………君もでしょ?」
袴の中に顔を埋めた吹雪のひんやりした両手がすでに熱い昂りを探り当てている。
「君の………わかり易いね」
「お前の体もだろう」
「あっ……」
熱い…………
前戯など要らないほど充分に熔けている体が、可愛く震えて挿れた指を食む。
「あっ………あっ………………ぁあん…………」
まだ昨夜のほとぼりが残る吹雪の中にきつく吸い込まれて繋がれば、止まっていた二人の時が再び刻み始める。
離れ離れでいる方がもう不自然なことのようだ。
熱い交わりのなかで、吹雪には豪炎寺の律動をまるで自分の鼓動みたいに感じとる。
幸せに、溺れて、乱れて………生まれ変わっていく。
そしてぼくは強くなる、と。
「はぁ………あした………僕、ひとりで眠れるかな?」
楔を引き抜かれた身体の頼りなさを補うように、豪炎寺の体の重みが吹雪に覆い被さる。
「…………ひとりじゃないさ」
名残惜しく離れた唇から溢した弱音を、微笑む唇が掬いとるように、優しく触れた。
「これを…」
少し身体を起こした豪炎寺の手が、吹雪の目の前に差し出される。
吹雪も手を伸ばすと、褐色の手から落ちた小さな紙切れのようなものがひらりひらりと、白い手のひらに舞い降り、ぴたりと着地する。
「これ…は?」
「式神の一種だ…………俺の形代と思えばいい」
豪炎寺の手が、式神を受け止めた白い手を包んだ。
「これがいつも俺とお前を気配で繋いでる。つまりお前が呼べば、俺は来る…………何処からなりとも、な」
「僕が………こころで叫んでも?」
「ああ」
豪炎寺が包んだ拳に口づけると、吹雪の手の中にほわりと彼の気配が宿るのがわかった。