晦日の御祓を終えてから、もう三日が経つ。
帝との接見を翌朝に控えた吹雪は、閨の内にて侍女たちに囲まれ、眠る前の支度を整えていた。
そうしている間にも、もう何度めかのため息が漏れる――――
「どうした、遊び足りないか?」
「ううん………そうじゃないけど」
暇を見つけて庭に出ては蹴球の相手をしてくれる豪炎寺を前にして、足りないなんて云えない。
それに、気分が浮かない原因は“体力の消耗”じゃないのだ。
「一先ず結界内での生活は、今日で終わる。明日帝にお目見えした後は、少し羽を伸ばそう」
そう云われて吹雪は頷くが、やはり気持ちは晴れない。終わりといっても一区切りつくだけで、自分が東宮である限り、式占に従う生活がずっと続いていくのだと思うと………
「っていうか………皇室って“待つ”ことが多くて、まだこの間合いが慣れないな、って」
「………成る程。それは確かに」
着つけを終えた侍女たちが下がる。
白い生絹の帷子を身につけた吹雪は、盛装の昼間よりも華奢さが際立ち“私物感”満載で………脇に控える豪炎寺は、目の毒とばかりに視線を僅かにそらした。
「それにさ………行動のほとんどが、自分の意思じゃできなくて、占いに従うばっかりで……」
「フッ、制約だらけでつまらない、ということか」
豪炎寺は笑みを湛える口元から、部屋の隅にある燈台に息を吹き掛けた。
すると四隅にあるすべての灯りが揺れて小さな炎になって飛び散り、蛍のように室内を乱れ飛びはじめる。
「俺から見れば……お前のいた時代の方が不思議だ。人々が皆心の赴くままに行動を決める世の秩序はどうして保たれるのか」
「んー………それは、まあ色々あってね。法律とかエチケットとか、空気読んだりとかあって、皆それぞれ自分でルールを守るっていうか……」
話しながら吹雪は、飛び交う炎をうっとりと見あげて「きれい」と口元をほころばせる。
「まるで理想郷だな」
吹雪の表情に見惚れながら、豪炎寺はゆっくり近づき、衾のなかに包み込むように誘い込んで囁く。
「天の理ではなく、自らを律するのが己の意思だけというなら、正直今の俺には俺自身を抑える自信はないが」
「…………」
どういう意味なんだろう―――?
返事に困る吹雪の鼓動がとくんと跳ねた。
豪炎寺の熱を帯びた声色が、吹雪の胸にも切なさを転移させて………そもそも寝かしつけるつもりにしては、彼のセクシーさは反則なのだ。
同い年とは思えない男の色気がだだ漏れる腕の中で、吹雪は眠るどころじゃない。
「明日は帝とは………何のお話をするんだろうね」
腕枕されながら火垂るの飛び交う天井を仰ぎ…………胸にざわめく熱を逃がすように、吹雪が口を開いた。
「順番どおりなら、おそらく縁談だろうな」
「縁………談? 僕の?」
吹雪は顔を曇らせて豪炎寺を見る。
「…………ああ」
「結婚ってこと?僕まだ中学生なのに……」
戸惑う反応が予想できていただけに、胸が痛くて、豪炎寺は奥歯を食い締める。
「お前の感覚ではそうだろうが……これは形として割り切るしかないんだ」
「…………でも、結婚は結婚だし」
声を震わせる吹雪の髪を、腕枕した手がくしゃくしゃと撫でた。
「気持ちとは関係なく、天子の勤めと思うことだ」
言葉にすると白ける。
吹雪の心を包むことができないもどかしさに、豪炎寺も吹雪の方を真っ直ぐに見た。
「………形と気持ちが別なんて、違和感しかないよ」
「心配するな。俺がいる」
目は口ほどにものを云う。
見つめ合えば痛みが和らぐのは、好意を寄せ合う者同士のなせるわざだろう。
豪炎寺にとっては、何もできない心苦しさと、吹雪の露わな感情を受け止める好ましさは表裏一体。
歪んでいるのだろうか………形こそ変えられずとも、吹雪の心だけは独り占めしたい。
「どんな形であろうと、お前の気持ちは俺が引き受けるから」
「ありがとう………でも形って?結婚なんて僕の感覚じゃ“十年早い”し、何したらいいのかわからないよ」
「形も俺が教えよう。お前さえよければ……全てを俺に………任せてほしい」
豪炎寺の語尾が、熱っぽく淀んだ。
吹雪にもその“照れ”が伝わって黙りこむ。おそらく彼が濁した部分は、加冠の儀の晩の“開通”の類いのものだろう。
あ、ダメだ…………今日も、身体が………
腕の中でもじもじしている吹雪の身体の異変を察し、豪炎寺の唇が額に押し当てられる。
そして、鼻筋や頬、首筋を撫で降りていく。
ここまではいつもどおりだ。
豪炎寺の手に身体の熱を預けていれば、彼が優しく甘やかしながら、切ない熱を抜き取ってくれる…………が、今日は違った。
「え………まっ……て」
太腿に触れた硬く熱い物に気づいた吹雪の手が、腰を引く豪炎寺を追いかける。
「止せ。構うな」
「でもっ、凄く腫れて………こんなの僕が気になるよ」
「俺はお前の世話になる立場にない。それに……」
豪炎寺はそっぽを向いて「こんなこと今更だ」と吐き捨てる。
「何で言わなかったのさ!いつもこんなになってたなんて……」
「っ………」
着衣越しに吹雪の両手が、豪炎寺の股間に大事そうに宛がわれている。
身体を起こして正座し、潤んだ目で見上げて………
「僕がしたいのに、ダメなの?僕が“させて”って命じたらどうなるの?」
「落ち着け。そんな命令、反則だ」
「でもお願いっ、させて………」
返事も聞かず、必死に着物を掻き分け頭を潜り込ませる吹雪。
豪炎寺は信じられない光景と感触に息を呑む。
猛り狂う自身に白魚の両手が添えられ、細い舌が先端に触れて………
小さな口が自分の昂りを呑み込もうとして、けなげな息を漏らす…………
「くっ………」
「は……むっ…………んむ……、はぁ」
とろとろの狭い口内が、顎まで涎だらけになりながら“凶器”とまだ格闘を続けてる。
自身へと向けられた矛先に果敢に吮りつく吹雪の姿に、理性が撃ち抜かれて木っ端微塵になりそうで………まさに“天変地異”の感覚。
いや、待て。
これは…………本当の“天変地異”の予兆………か。
ザワザワと天空の騒がしさが、快楽に埋もれかけた豪炎寺の六感を弾く。
我が身が置かれた状況も異常だが、この波長は己の心の乱れとは明らかに異なるものだ。
「くっ………」
色欲と闘いながら切った手印で、思業の式を外庭へと送る。
そこには護衛の者らがざわめく様子と、彼らが眺める天空に立ち込める雲の切れ間に浮かぶ月が、みるみる闇に食されていくのが見てとれた。
そして――――遠くから急激に近づく雷鳴。
間違いない。あれは“あの日”と同じものだ。
「………吹雪、離せ」
「………ふぁ?………クチュ………らめ………もすこしらから」
雷鳴が近づく速度が尋常じゃない。つまりここへと狙いを定めているということだろう。
「いいから離すんだ」
「……ん………ぷはっ……」
「天 元 行 躰 変 烈 空 急急如律令!」
豪炎寺は吹雪を抱きしめ、九字を切った。
と、ほぼ同時に東宮御所上空を覆い尽くすような稲光が広がった。