ナズナの花冠 続


「名前はこの花のようですね」

ナズナの花が咲いているのを見て、鬼灯はふと口にした。
名前はその小さな花びらを見つめながら首を傾げる。また花言葉の類だろうか。
鬼灯は名前と視線を合わせながら答えた。

「ナズナの名前の由来ですよ」
「由来?」
「はい」

鬼灯は何でも知っている。名前は呟くと、鬼灯は「知っていることしか知らない」と首を横に振った。
それでも名前の知らないことばかりを知っている。
花の名前の由来なんて考えたこともない。

「昔からですね。私は丁の…鬼灯様の話を聞くのが大好きでした」
「名前は飽きもせず聞いてましたからね。熱心に相槌を打って」

あの頃は娯楽というものが少なかった分、二人の遊びと言えば話すことだった。
村の人にばれないようこっそりと、川の音を聞きながら二人で過ごす。
名前は目を細めながら「懐かしいです」と呟いた。

「それで…ナズナの由来は何なんですか?」
「そうですね…」

鬼灯の言った「この花のよう」とはどういう意味か。
鬼灯は名前の頭の上に手を置き、優しく撫でた。

「こういうことです」
「撫でる、ですか?」

名前は自然に置かれた手に照れながら首を竦める。
その優しい手は昔とは違って大きくて余計に名前を安心させる。
鬼灯は頷きながらその意味を話した。

「撫でたいほどかわいい花。撫菜(なでな)が転訛したという説があるらしいです」
「か……」
「撫でたいほどかわいいです。名前は」

かわいいという言葉に顔を染める名前に鬼灯はさらにその手を頭に押し付けた。
何度も何度も名前の頭を優しく撫で、名前はその度に恥ずかしさと嬉しさに俯いてしまった。

「鬼灯様は変わりましたね。昔はこんなこと言わなかったのに」

言葉も行動も昔からは想像できない。大人の余裕というか、女性の扱いに慣れているというか。
こういうことをさらりとやってしまうのだから、昔の鬼灯とは少し違う。
鬼灯は「そうですか?」と首を傾げた。

「子供のときにでさえ花を贈って告白するくらいですから、これくらい普通ですよ」
「確かにそう…ですか?」

考えてみればあんな子供の頃に花言葉を使って告白するなんてませている。それも「あなたに私のすべてを捧げます」だなんて。
それなら直球にかわいいと言ってしまうのも納得がいくかもしれない。
今回も花の名前の由来で伝えてきたのだから。
そう思えば変わってなくて、名前はクスッと小さく笑った。

「ところでかわいい名前」
「やめてくださいよ…」
「なぜ敬語なんですか?」

それに様呼び。鬼灯は不服そうな顔をしながら名前をじっと見つめた。
名前は初めて気がついたように声を上げ、「つい癖で」と呟いた。
今までは鬼灯と話すことも少なかったのだ。敬語が抜けないのは当たり前だ。

「名前に敬語で話されると落ち着かないです」

どうも違和感。呼びなれた、話しなれた言い方のほうがしっくりくる。
「あの鬼灯様に…」と遠慮する名前を鬼灯は見つめた。いや、無言の圧力をかけた。

「わ、わかりました……ほ、鬼灯…」

照れるように小さく呟かれた言葉に鬼灯は眉間に力を入れた。
油断すると緩んでしまう。

「やはりかわいいですね」
「髪がぐちゃぐちゃになっちゃいます!」

しかし行動までは制御できなかった。気がつけば鬼灯はぐりぐりと名前の頭を撫で回していた。
名前は慌てるように逃げようとするが、そう簡単にはいかない。
鬼灯はまた敬語になっているのを指摘し、髪の毛を掻き乱していく。
そして手を離され、すっかりボサボサになった頭に名前は手櫛で梳かす。
鬼灯は「酷いですね」とまた手を伸ばした。

「私が直してあげますよ」
「ありがとう…」

今度は撫でるのではなく髪を梳いていく。
それはそれでくすぐったくて恥ずかしい。
名前は無表情で髪に触れる鬼灯を見て困ったように眉を下げた。
好きな人に、ようやく会えた想い人に触れられるのがこんなに嬉しいのだ。

そんなことを考えているうちに鬼灯は手を離した。
「できました」と言われ、頭の上の違和感に気がつく。
手を離しているのに頭に何かが乗っかっている。

「あれ?これ……」
「やはりよく似合いますね」

それはいつか鬼灯が名前にあげたナズナの花冠。いつの間に作ったのだろうか。
名前はいきなりのサプライズに目を丸くし、そして口をぎゅっと噤んだ。

「また泣くんですか?」

今にも泣き出してしまいそうな頼りない表情。鬼灯はからかうように尋ねた。
名前は首を振り溢れそうなものを抑える。

「泣かないよ。ちょっと嬉しいだけ」
「ちょっとですか」
「意地悪」

ちょっとのはずがない。すごく嬉しい。
わざとつついてくる鬼灯に名前は頬を膨らませながら鬼灯と視線を逸らした。

「拗ねないでくださいよ。だから私にもください、それ」

そして指摘されるのは名前が隠し持っていたもの。
鬼灯に渡そうと思っていた、ナズナのブレスレットだ。

「知ってたんですか」
「名前は分かりやすいですから」

なんでもお見通しだ。
名前は「敵わない」と観念したようにそれを鬼灯の前に差し出した。それを鬼灯の腕に巻いていく。
昔の細かった腕は、逞しくゴツゴツしている。
ちょうどの長さだったそれは、男性には似合わない白い小さな花がかわいらしく咲いている。
鬼灯はつけられたブレスレットを眺めながら目を細めた。

「昔より上手くなってますね」
「だって、ずっと……」
「ずっと?」
「何でもないです!」

ずっと練習していたから。いつでも会えるようにずっと。
名前は慌てて手を振ると再び顔を俯かせた。
そんなことを言えるはずがない。それに言えるなら苦労はしない。
顔を真っ赤にしてわたわたとする姿に、鬼灯はその腕を優しく掴んだ。

「撫でるだけじゃ足りないですね」
「鬼灯…?」

そのまま腕を引き、名前を引き寄せる。
後頭部に手が添えられ、次には名前の唇に温かいものが触れた。
触れるだけの小さなキス。一瞬なのに、それだけで世界が簡単に色づくのだ。

「せっかくまた会えたんですから、今度はちゃんとした恋をしましょう」

現世ではほんの少ししか過ごせなかった。
それもお互いの望んでいない方法で別れてしまった。
またこうして会えたのだから、今度こそきちんと恋愛をしてお互いを知りたい。
もう何も知らない子供ではないのだ。その方法もたくさん知っている。

恥ずかしがりもせずに相変わらずの真顔。
聞いている方が恥ずかしくなる台詞に名前は「真顔で恥ずかしいこと…」と呟いた。

「いけませんか?」
「いえ…私も鬼灯様と恋がしたいです」

いくら相手にすべてを捧げたと言っても、まだまだお互い知らないことはたくさんある。
それをひとつずつ知って、ひとつずつ愛に変えていく。

「また戻ってますよ。敬語に」
「あ……」
「まずはそこからですね」

はい、と微笑む名前に合わせて、頭の上の小さな花も風に揺れて笑っているようだった。
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