気鬱なココロ


裁判も研修もないのに騒がしい法廷。
何か問題でも起きたのだろうか、と聞き耳を立てれば黄色い声が聞こえてきた。
見てみれば集まっているのは男獄卒ばかりで、その中心にいる人物は楽しそうに笑っている。

鬼灯はそんな光景に酷く不快な感情を抱いた。
今日が初めてではない。そのやり場のない感情は日に日に増していっている。
鬼灯はそれをぐっと腹に溜め込みながら、騒がしい原因まで足を進めた。

「騒がしいですよ。仕事はどうしたんですか」
「あ、鬼灯様お帰りなさい」

獄卒たちに向けるのと同じ表情で、名前は鬼灯に微笑んだ。
それに鬼灯はまた沸々と湧き上がるものを抑え込む。
感情をいちいち表に出すほど子供ではない。

「食堂のメニューについて話してたんです。今日から新作が出るみたいなので」

気がついたらみんなが集まっていた。
名前はクスッと笑いながら「気になるのは私だけではなかったみたいです」と恥ずかしそうに顔を染めた。
朝からお昼のことなんて、と思っているのだろう。
しかし獄卒たちは食堂のメニューにつられて集まってきたわけではない。名前と話したいがために、手ごろな話題に乗っかってきたのだ。

「じゃあ名前さん、俺たちはこれで…」
「仕事があるのに話し込んじゃってごめんなさい」
「い、いえ…!」

揃いも揃って顔を赤くする獄卒たち。
名前は気づいているのかいないのか、もう一度微笑むと法廷を出て行く獄卒たちに手を振った。
法廷は急に静かになり、名前は鬼灯を見上げる。

「すみません。私もすぐに仕事を再開させますね」

礼儀正しく頭を下げるのがどこか距離がある。
さっき獄卒と話していたときは、そんなによそよそしくはなかった。

次から次へと目に付く行動に鬼灯は辟易していた。いつから自分はこんなに女々しくなったのかと。
無意識に表情は険しくなり、名前への返事も素っ気無くなる。
名前は怒っていると勘違いして困っているだろう。

「その…鬼灯様?」

予想通り名前は眉尻を下げながら鬼灯の様子を窺っている。
鬼灯の刺さるような視線と無言の圧力。
仕事そっちのけで話していたことに罪悪感を覚え、名前の口からはまた謝罪の言葉が漏れる。
鬼灯は謝って欲しいわけではない。それなのに、謝られれば少しだけ心が軽くなるのだ。

(ダメですね…)

歪んでいる、と思う。嫉妬は愛情ではないのだ。欲しいおもちゃが手に入らなくて駄々をこねる子供のよう。
自分が特別に思われていないからと名前に当たるのは間違っている。
手を伸ばせば届きそうな距離に、鬼灯は強く名前を抱き寄せた。
焦ったような声と強張る体。名前は戸惑いの声を上げ、抜け出せない力に大人しくなった。

「鬼灯様、何を…」
「しばらくこのままでいさせてください。それで気が済みますから」

鬼灯の腕が名前の背中に巻きつく。鬼灯は耳元で呟くと、さらにその力を強めた。
壊れそうなくらい細い体。きっと加減せずに力を入れれば、この細い体は簡単に機能しなくなるだろう。
それでもいいかもしれない。毎日、日を追うごとに膨らんでいく感情に悩むくらいなら。
腹の中に溜め込んでいたものが喉のほうへ上がってくるのを感じる。
鬼灯はそんな黒い感情に自嘲した。そうしたところで、この気持ちが晴れないことはわかっているのだ。

黙ったままの鬼灯に名前は指示通りじっとしていた。
鬼灯が自分を抱きしめる理由はわからないが、どこか縋りつくような様子にいつもと違うということは察することができる。
既に抱きついていること自体がいつもとは違うのだが、それでもそこにただの好意だけがあるとは思えないのだ。
名前は抱きしめられる腕から自身の腕を滑らせて、鬼灯の背中に回した。

「名前…?」
「鬼灯様、なんだか辛そうですね。何かあったのですか?」

精一杯抱きしめているつもりなのだろうが、名前の力は弱かった。
それでも名前に抱きしめられているという事実が鬼灯を冷静に、いや、さらに心をかき乱した。

「私が力になれるなら、協力します」
「……あなたは優しいですね」
「鬼灯様が困っているんですもの。当然です」

胸に押し付けられる名前の頭からはシャンプーのいい香りが漂ってくる。
香水もつけているのだろうか。ほのかに香る甘い匂いは鬼灯を安心させた。
いつしか余裕のない気持ちは落ち着きを取り戻し、いつも通りの思考が戻ってくる。

「名前が協力してくれるなら、すぐにでもこの悩みが解決するのですが」
「いいですよ。私に打ち明けてください。受け止めます」

なかなかない機会に名前は顔を上げ、ちょっぴり得意げに胸を張った。
その些細な行動が鬼灯の気持ちをさらに膨らませる。

(すこしずるいような気もしますけど)

純粋な悩み相談だと思っている名前には悪いが、鬼灯は本気だ。
名前が手に入れば、少しはこの気持ちも収まるだろう。

「あなたが欲しいです」
「へ?」

言葉を失ったように固まる名前は、鬼灯の思いがけない悩みに狼狽えた。

「名前のことが好きです。誰にも見せたくない、触れられたくないくらい」
「それって…」
「子供じみた感情です。情けない」

鬼灯は名前の耳元で消え入るように呟いた。
自信なさげの様子も弱々しい言葉も、どれも鬼灯には似つかわない。
それは鬼灯が本気で悩んでいたことを示している。
名前は腕の中で小さく笑えば、もう一度顔を上げた。

「わかりました。鬼灯様に私を差し上げます」
「…いつもの優しさで言ってるなら」
「いいえ。私も鬼灯様のことが好きですから」

にへらと笑った名前の頬はほんのりと赤みを帯びていた。
見たことのない名前の表情。誰も知らないであろうその表情を自分だけに見せていると思うと、いてもたってもいられなくなる。
鬼灯は声も出せないまま名前を見つめ、目を細めた。

「いいんですか。私は嫉妬深いですよ」
「はい」
「あなたを傷つけてしまうかもしれない」
「はい」

名前は自信たっぷりに頷くと鬼灯の胸に耳を当てた。
ドクドクと脈打つ鼓動は、正常時より早まっている気がする。
それに合わせて名前は呼吸を整えた。

「どんな鬼灯様でも受け入れてみせます。私も好意でなら、鬼灯様には負けません」

実はずっと前から好きだった。そう話す名前は途中から恥ずかしくなったのか、鬼灯に頭を擦り付けボソボソと呟いた。
鬼灯は名前が顔を上げてないことをいいことに無意識に口元を緩める。
さっきまであった黒い感情は、名前の純粋な気持ちに浄化されていくように色を変えていった。
苛立ちも不快感もない。心が満たされていくような感覚に、ぽっかりと空いた穴が埋まるようだった。

「あなたのその健気なところ、私も見習わなければいけませんね」

自分の思うようにいかないからと相手にぶつけるなど、本当に子供のすることだ。
名前は鬼灯の嫉妬心でさえも受け入れようとしている。
鬼灯は小首を傾げる名前を解放すると、その柔らかい手を握った。

「少し早めの昼食にしましょうか」
「はい!」

新作は何でしょうね、と隣を歩く名前に鬼灯は小さく微笑んだ。
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