冬空の春


冷たい風が肌を刺す冬の朝、冷たい風に手を晒さないようコートの袖をきゅっと握りしめ、少しでも風に当たらないようマフラーに顔を埋める。信号が変わるまであともう少し。会社までにあと何回足止めされるだろうか。

「手袋がほしい……」

寒くなるからと買っておいた手袋は、部屋に大事にしまってある。バタバタと家を出てきてしまったことを後悔しながら、青信号までのカウントを眺めた。そんな私の隣に見覚えのある人がいることに気がついた。

「加々知さん?」

思わず呟くと彼も私に気がついたようだった。会社の同僚の加々知さん。同じ電車に乗ることが多いのだ。

「おはようございます。マフラーをしていたので気がつきませんでした」
「おはようございます。今日は寒いですね」
「そうですね。この冬一番の冷え込みだそうです」

どうりで寒いわけだと加々知さんを見てみると、彼もマフラーをしていて、おまけに手袋までしていた。さすができる男だなと思ってしまうのは、加々知さんの仕事ぶりのせいかもしれない。何でもそつなくこなしてしまう加々知さんは、こんなところでも完璧なんだ。
温かそうだなと見ていると、その視線に気がついたのか加々知さんは自分の手と私の手を見比べた。

「寒そうですね。よかったら貸しますよ」
「い、いえ!大丈夫です」

そんなに羨ましそうに見ていたのだろうか。剥ぎ取るのは申し訳ないと首を振るが、加々知さんは既に左手の手袋を外していた。

「本当に大丈夫ですよ?加々知さんが冷えてしまいますし」
「私は大丈夫ですよ。それに、会社までもう少しかかります。遠慮せずに」
「でも……」

加々知さんの優しさに胸が詰まる思いがする。怖い顔をしているけれど残業を手伝ってくれたり、こうやってさりげない優しさができる紳士な彼は会社でも女性たちに一目置かれている。言葉や態度が辛辣なこともあるけれど、だからこそ優しくされると困るのだ。ギャップに惹かれてしまうのは当たり前のことだった。
他の人にもこういうこと、きっとしているんだろうな。そんな嫉妬をしてしまう自分が嫌で、考えを消し去った。加々知さんにとって私はただの同僚なのだから。
気がつくと信号は青に変わり人々が動き出す。流れに乗るように足を踏み出すと、加々知さんも私に合わせるように隣を歩いた。そして加々知さんはさっきの手袋を渡してくれた。せっかくの厚意を断り続けるのもと受けとると左手にはめた。少し大きい手袋が加々知さんの手の大きさで、温かくてちょっぴり恥ずかしくなる。素手になってしまった加々知さんの手を探すと、その手はなぜか私の右手を掴んでいた。

「加々知さん?」
「右手が寒いままでしょう」

そう言って加々知さんは繋いだ手を自分のコートのポケットに入れた。自然と体が近づいて熱を感じる。きっと私の熱だと思うとまた恥ずかしくなった。それよりも、この状況は一体……。

「ここ、信号多いですよね」
「え、はい」

何とも思っていないのか普通に世間話をする様子に驚きながら、心拍数が上がっていくのがわかる。ただの手繋ぎでさえ夢のようなのに、一つのポケットで風を凌いでいるなんて。

「か、加々知さん」
「どうしました?顔が赤いですよ。顔も寒いですか」

自分の熱で湯気が出ていないだろうか。加々知さんはからかうように私の顔を覗き込むと、満足そうな表情を浮かべ前を向く。その横顔に見とれて、さらに顔が熱くなった気がした。
信号がまた赤に変わり、時間が止まったように人々が立ち止まる。車のすれ違う音を聞きながら、私の心はうるさかった。この時間がずっと続けばいいな、なんて彼を盗み見た。

「あ……」

ぱちりと合った視線は逸らすことができず、射止められたまま言葉も出ない。普段ならもっと上手に隠せているはずなのに、加々知さんが手なんて繋ぐから、恋を知らない乙女のように慌ててしまうんだ。こんなにどきどきして、今日一日仕事なんてできやしない。時が止まった世界で見つめ合っていると、慌ただしい通勤も忙しい仕事もすべて忘れて加々知さんのことしか考えられなくなる。
再び信号の色が変わり人の流れが私たちを置いていく。加々知さんは私から視線を外すと何食わぬ顔で歩き出した。ポケットに入った手を引かれ、マフラーで赤い顔を隠して隣を歩いた。
その後の信号はなぜだか順調で、止まってほしい時に限って青ばかり。最後の信号も捕まることはなく、すぐ目の前に会社が近づいていた。自然と歩幅は小さくなり、加々知さんは文句も言わずに合わせてくれる。手を繋いだ意味を聞きたいけれど、そんな勇気はない。
横断歩道を渡りきったところで加々知さんは繋いでいた手を離した。気がつけば同僚の顔もちらほら見える。

「あの……」

ありがとうございました?嬉しかったです?それとも、どうしてですか?
なんと言っていいのかわからないでいると、加々知さんの涼しげな瞳が私を見つめた。

「好きですよ」

そう一言、世間話のように言って、加々知さんは会社へと歩いていく。一瞬何を言われたのかわからなくて、左手の手袋を思い出して駆け寄った。

「加々知さん!手袋……」
「ありがとうございます。そういえば、今日は会議お願いしますね」
「え?」
「新プロジェクトの提案ですよ。私とあなたでプレゼンでしょう。覚えていないのですか?」

それはもちろん覚えている。何度も加々知さんと打ち合わせをして、時には残業しながら仕上げた新しいプロジェクト。意見がぶつかって喧嘩になったこともあった。仕事の労いを口実にご飯を食べに行ったりもした。
そうだ、その頃から私は加々知さんのことを……。そう考えて、さっき言われた言葉を思い出した。

「加々知さん……」
「今から緊張していては持たないですよ。いつも通りでいいんです」

いつも通りにさせてくれないのは加々知さんのせいなのに。言うだけ言って私には何も言わせてくれなくて、戸惑う私をきっと心の中で楽しんでいるんだ。ちょっぴり怖くて無愛想な彼に、お茶目なところや意外な面があることを知っている。そんなところも好きなんだ。

「ミーティングの後、最終打ち合わせしましょうか」
「はい」

びっくりするほどいつもと変わらない加々知さんが、案外照れ隠しなのかと思うとおかしくて、エレベーターの中でこっそりと彼の手を握った。誰にもばれないように、 静かに指を絡めて一瞬だけ見つめ合う。
フロアに到着した音を聞きながら、恥ずかしくなって手を離した。
今日一日持つのだろうかと、まだうるさい心を落ち着かせながら、いつもとちょっぴり違う一日が始まるのだった。
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