疲れているあなたへ


はあ、とため息を吐く名前は腕の中に抱える資料を抱え直した。既に夕食時は過ぎていて、あとどれくらいで終われるかとぼんやり考える。残業続きに疲労は溜まり、慢性的な眠気と頭痛はそろそろピークを超え、次第に違和感ですらなくなるだろう。

「今週末で落ち着くから……もう少し」

もうひと踏ん張りだ、と再び資料を抱え直したとき、廊下の角で獄卒とぶつかってしまった。その拍子に抱えていた資料がバサバサと音を立てて腕からこぼれ落ちた。

「あ……」
「すみません、大丈夫ですか?すぐ拾います」

ぶつかった人物は名前を気遣うと散らばった本や巻物を拾い始める。ぼうっとその光景を眺める名前は、はっとして自分もしゃがみこんだ。

「すみません鬼灯様、私がぼーっとしていたので」
「いいえ、私も考え事をして歩いていましたから。お互い不注意でしたね」

開いてしまった巻物をくるくると元に戻しながら、鬼灯は名前の顔を覗き込む。無意識に吐いたため息と顔色の悪さに気がつくと、集めた巻物を抱えあげた。ありがとうございます、とそれを受け取ろうとする名前を無視して廊下を歩き始めた。

「資料室ですよね」
「あ、はい。あの、大丈夫ですよ。拾ってくれてありがとうございます」
「私も丁度用事があるので気にしないでください」

軽々と持ち抱え行ってしまう鬼灯の後ろを、巻物一つ握りしめながらついていく。大きい背中だな、なんて見上げていると、扉を開けるために立ち止まった背中にぶつかってしまう。振り向く鬼灯に、名前は慌て頭を下げた。

「すみません!」
「大丈夫ですか?少しぼうっとし過ぎですよ」
「ごめんなさい……」

注意だけで特に叱られなかった名前はほっとしつつも顔を俯かせる。資料を運んでもらって背中にぶつかるなんて、と落ち込んでいると、その間に鬼灯はテキパキと資料を片付けていた。またため息を吐いている名前から最後の資料を引ったくると、棚に放り込んで名前の目の前に立った。

「名前さん」
「ご、ごめんなさい!片付けまでさせてしまって」

立ちはだかる鬼灯に身を小さくする名前は、怒られるのだと警戒している。伸びてくる手がどんな痛いことをしてくるのかと想像して目を瞑った。しかし、それは優しく名前の頭に置かれただけだった。そっと撫でられるような仕草に困惑し、名前は恐る恐る顔を上げた。

「あの……」
「最近ため息ばかりですよ。ぼうっとしていることも多いですし、疲れているんじゃないですか?」
「……すみません。なるべく出さないようにはしていたんですけど」

顔や態度に出れば周りを不快にさせかねないと注意はしていたが、その気配りでさえ回らないほどに名前の体は悲鳴をあげている。ため息ばかりだと指摘されて初めて気がつくほどに。いつもより小さな声で謝る名前は再び俯いてしまった。

「怒っている訳ではないですよ。心配をしているんです」

頭から手を離した鬼灯は今度は名前の両手を握る。大きな手が名前の手を包み、それだけで不安が和らぐ気がした。名前は人のぬくもりを感じて、こみ上げてくる感情を一粒落とした。鬼灯の手の上に雫が点を作った。

「あなたは頑張り過ぎなんですよ。休むことを覚えなさい」
「そうですね……今、正直ちょっといっぱいいっぱいで。疲れたな……って。でも、そんなこと認めたらもっとしんどくなるから」
「知らないふりして倒れるよりはマシです。そういう時は頼っていいんですよ」

揺れる瞳は名前の不安を表している。それを払拭するように鬼灯は名前の手を強く握る。一人で抱え込まなくていいと、自分を頼れと、力強い頼もしさに名前の不安が少しずつ消えていく。そして、ほぐれた緊張が名前の弱音を吐き出させた。涙に濡れる顔を隠すように、鬼灯に寄りかかった。

「少しだけこうしていていいですか?」
「ええ。思う存分泣いてください。辛いときはそれで良いのです」

優しさに甘えて静かに泣く名前を鬼灯は何も言わずに見守った。堰を切ったように溢れる涙を受け止め、落ち着かせるように背中に手を伸ばす。腕の中は温かくて居心地が良く、その中にいるときだけは何もかもを忘れられた。

「……ありがとうございます」
「もう良いのですか?」
「はい」

ひとしきり泣いたあと、何も言わずに寄り添ってくれた鬼灯に礼を言うといつもの距離に戻った。心が軽くなったのを感じながら、泣き腫らした目を細めて笑う。その顔が無理をしていない自然なものだと気づいた鬼灯は安心したように息を吐いた。

「忙しいときはちゃんと言ってくださいよ」
「……はい。でも、鬼灯様に頼ってばかりじゃ」
「あなたは迷惑をかけなさすぎなんです。私も忙しいときはあなたを頼りますから。こういうのはお互い様です」
「そういうものですか?」
「そういうものです。大王なんてしょっちゅう頼ってきて叩いていますが、あなたにはむしろ頼られたいですよ。あなたの頑張りは見ていると心配になる」

鬼灯はそう言ってから、余計なことを話してしまったと口を閉じる。そっぽを向くように背中を向けた鬼灯に、名前は思わず笑みが零れた。

「さ、泣き止んだのなら仕事に戻りますよ」

部屋を出ていこうとする鬼灯の背中を追って隣に並ぶと、名前はもう一度頭を下げた。

「ありがとうございます。また明日からも頑張れそうです」
「あまり無理はしないでくださいよ」
「はい。あの、それで……早速相談してもいいですか?今度の定例会議の議題で一つ……」

軽くなった心には少しだけ余裕が生まれ、傍で見ていてくれるひとの存在にちょっぴり揺れる。疲れ果てていたはずの気持ちに温かい色が混ざり合い、また上を向いて歩いていける。今度は彼を頼りながら、忙しい毎日を過ごしていくのだ。
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