ここにいるよ


今日も滞りなく行われている裁判に、閻魔は「次で休憩だ」と資料をめくる。しかしその横では浮かない顔をしている補佐官がいるのだ。次の亡者に関しての記録が書かれているはずの巻物は手元になかった。
閻魔は鬼灯に尋ねると、彼は上司を睨み上げながら呟いた。

「少々やっかいな亡者でして」
「やっかい?」
「ええ。彼女は……」

説明しようとした鬼灯たちの元へ獄卒がやってきた。閻魔は彼らに「お疲れ」と言葉をかわし、「それで?」と鬼灯に続きを促す。鬼灯も獄卒たちのことなど気にせず会話を続けた。
その状況に獄卒たちは困惑するのだ。彼らは今しがた裁判にかける亡者を連れて来た。気づいていないのか、話を優先しているのか、戸惑う獄卒に亡者はガクリと肩を落としていた。

「記録がない?」
「はい。確かにその亡者、ええと、自称名前さんは死んでこちらに来ているようなんですが、倶生神が記録したものがないんです」
「それじゃ裁判は?というか、どうしてそんなことに」
「わからないです。自称名前さんについていた倶生神を探しているのですが見つからなくて。いえ、報告を聞いた限り恐らくいないのではないかと」
「自称自称って……名前を偽る必要性はないと思うのですが……」

二人の会話に加わる女性の声。二人はその声がした方へ視線を向けた。そこには獄卒に連れられた亡者の姿がある。閻魔と鬼灯はお互い顔を見合わせた。

「いつ連れてきたんですか?」
「さっきですけど……」
「もしかしてワシが「お疲れ」って言ったときに既にいた?」
「はい」

どうして獄卒が亡者も連れずにやってきたのかは疑問に思ったが、記録係もいるため大して気には留めなかった。まさか横に亡者を連れていれば気がつくはずだ。
まったく気づかなかった、と閻魔は自分に驚いているようで、しかし鬼灯の様子を見る限り彼もまた気づいていないようだった。そして一言。

「影が薄すぎて倶生神に気づかれなかったんじゃないですか?こんなに影の薄い人初めてです」
「さすがに失礼だよ。確かに全然気づかなかったけどさぁ……」

失礼と言っている閻魔も全然フォローになっていない。
偉い二人がそう言い出せば、横にいた記録係の獄卒も、亡者を連れてきた獄卒も、彼女の影の薄さについてヒソヒソするのだ。確かに存在感が……と。

「そういえばここに来るまで何度も失踪していたようですが、逃げていたのではなく影が薄かっただけですか。なんというかアレですね。自動ドアに認識されなかったことありません?」
「人の気にしてることをグサグサ言わないでください!確かに自動ドアが開かなかったことはありますけど!」
「……あるのか」
「……あるんだ」

冗談で言ったがまさかの肯定。そこまで来ると笑えなくなる影の薄さだ。
これは本当に倶生神に気づかれなかったパターンか、と誰もが考え始める状況に、しかし鬼灯は首を振る。

「いくら影が薄いとはいえ、倶生神は神ですから見落とすことはないですよ。いくら影が薄くても、存在感がなくても」
「さ、さっきから酷いですよ閻魔様!」

鬼灯に宛てられる名前の言葉。鬼灯のグーパンが彼女に炸裂した。

「誰が閻魔ですか。こんな腑抜けと一緒にしないでください」
「ちょ、鬼灯君!というか呼び捨て!?そして腑抜け!?」
「事実です」

予想もしなかった行動に名前の体は宙に浮き、そして法廷の床にずざざと落ちた。名前は信じられないというように目を見開き、獄卒の手を借りて起き上がった。
怖い顔をしている鬼灯を閻魔だと勘違いしたのだ。言動も辛辣で、横に閻魔っぽい巨漢がいても、鬼灯の方が地獄のトップに見えるのだ。
ごめんなさい、と本能的にヤバイと感じたのか頭を下げる彼女に、鬼灯は「こちらが閻魔大王です」と金棒を押し付けていた。完全に立場が逆に見えるが、突っ込めばまた痛い目に遭うため大人しくする彼女の行動は懸命な判断だ。

「痛いって!……で、どうするの?記録がなきゃ判断できないよ」
「そうですね。本人に聞いたところで裏付けも出来ませんし、悪いことをしていてもわからない」
「だからといって安易に転生……ってわけにもいかないし」

うーん、と悩み始める二人に名前は申し訳なさそうな表情を見せた。
倶生神が何かはわからないが、死後の自分に関わる重要なことが欠落していると、二人の話から見て取れる。やっぱり鬼灯の方が怖いな、なんて彼を見上げて名前は小さく呟いた。

「私は死んでからも迷惑をかけるのですね」

現世で何があったのかはわからないが、その言葉から彼女が悩んできたということが窺える。
とにかくこのまま放置するわけにもいかないわけで、閻魔は彼女に死因を尋ねた。

「事故です。赤信号で突っ込んできた車に撥ねられました」
「うーん、気の毒だけど……証拠がなぁ」
「浄玻璃鏡で映せればいいんですけどね。場所とか日付とか、覚えていることでいいので詳しくわかりませんか?」
「え?ああ……ちょうど一ヶ月前の18時43分12秒。場所は……」

詳しくと聞かれ、名前はそのときのことを事細かに説明した。その日は雨が降っていて見通しが悪かったこと、車の車種や色にナンバーまで。何よりも日付と時間を頼りに浄玻璃鏡で映し出せば、ジャストの時間であり、確かに彼女はその時間に車に轢かれて亡くなっていた。車の特徴もすべて一致だ。

「これすごいですね……うわ、自分が死ぬところなんて嫌な映像……」

信号を渡る名前が車と接触し、体がひしゃげ飛ばされる。地面に落ちて雨と一緒に流れる血を見て、名前は目を逸らした。自分が死ぬところを見るなど気持ちのいいものではない。
そんな名前などお構いなしに、閻魔と鬼灯は彼女の記憶力に驚いていた。

「すごいね、あれかな、死んだときのことが相当頭に残ったって事かな」
「なんにせよ裏が取れましたね。ようやくあなたの死因が正式な記録として残せます」
「そうですか……」

喜んだらいいのかわからずとりあえず気の抜けた返事をする。しかしこれだけでは名前の処遇は決められない。
一応として生きていたなかでの悪いこと、良いことを聞いてみるが、やはり裏は取れない。もしさっきのように覚えていても、最低日付と場所、時間を指定してくれなければ一人の人間の行動を探し出すのは困難だ。そしてなにより、犯罪を犯すような悪いことをしていたとしても、地獄行きを免れるために隠すのは当たり前だった。
しかし名前は「あの…」と控えめに手を挙げた。

「私、殺したことがあります」
「え!?本当なら地獄行きの可能性が……」
「小さい頃、詳しく言えば私が7歳と3ヶ月と10日のことなんですけど」

どこまで詳しいんだ、とでたらめを言っているようにも思えるが、さっきのことがあるため無下には出来ない。
それも殺したと言っているのだ。見た目影の薄い優しそうな彼女が殺しなど想像はつかない。

「捕まえたトンボを友達に見せたくてポケットに入れたんです。そしたら、取り出したときにはもう……ごめんなさい、トンボを殺してしまいました……私は地獄行きなんですか?」
「それは……鬼灯君、どうなの?」
「故意ではないですし、それだけで地獄行きにはなりません。というかなんだそのどうでもいい懺悔は」

ごめんなさい……と心を痛めているところを見ると悪い人には見えない。
鬼灯は呆れたようにため息を吐いた。大丈夫大丈夫と励ます閻魔を横目に、再び彼女の言った日付などを頼りに浄玻璃鏡を操作すれば、そこには確かにトンボをポケットに入れ死なせてしまった姿が映っていた。
鬼灯はふむ、と顎に手を当てながら考える。

「名前さん、自動ドアに認識されなかったのはいつですか?」
「え、それ見るんですか!?やめてください……恥ずかしいですし……」
「必要なことです。言いなさい」

キッと睨めば名前は慌てて首を縦に振る。またからかって遊ぶのか、と鬼灯にやめるように言う閻魔だが、金棒一振りで黙らせれば大人しくなる。
詳しい場所と時間を言う名前に合わせてリモコン操作を繰り返す。1分1秒とやけに正確な数字を追って再生されたのは、名前が自動ドアの前で立ち往生する姿だった。
名前の言った三つがすべてぴったり合っている。自分の死が印象に残って覚えているわけではない。彼女は記憶力に優れているのだ。
閻魔と鬼灯はその映像を見ながら感嘆の声を漏らしていた。

「すごいですね……」
「すごいよ……」
「昔から記憶力だけは良くて」
「ここまで自動ドアに嫌われるとはすごいことですよ!日本の技術を持ってしてでもドアを開けることが出来ないなんて…名前さんならレーザーセキュリティの張り巡らされた中でも無事お宝を手にして戻って来れると思いますよ」
「そっちですか!」

記憶力の方を褒めてくれていたのではないのか。獄卒までもがそれに感心しながらうんうんと頷いている。
まさかこれほどまで影が薄いとは思うまい。鏡に映る名前は、他の人が開けたドアから外に出ていた。きっと人が来なかったら永遠にセンサーに向かってアピールしていたことだろう。
名前はなんだか馬鹿にされている気分で恥ずかしい。しかし事実なのだから仕方ない。鬼に食って掛かっても勝てないことはわかっている。しかし少しでも名誉は守りたいものである。

「いつもじゃないですからね!これも含めて3回くらいしかなかったんですから!」
「3回もあったんですか。筋金入りの影の薄さ」

無表情で驚く鬼神に、名前は精神的にボロボロに追い詰められた。がく、とうな垂れれば、「どうせ存在感ゼロですよう」と拗ねてしまった。
閻魔は謝るが鬼灯はまだ面白がって自動ドアと格闘している名前を映していた。

「しかしすごいですよ」
「もうわかりましたよ……私の影の薄さと裁判になんの関係があるんですか……」
「そっちではなく、記憶力の方です」

ようやく本題に戻れば、鬼灯は映像を停止させた。
名前の目の前に立ち彼女を観察するように見回せば、名前はその威圧感に萎縮して言葉を待つ。またろくなこと言わないんだろうな、と考えていた名前に発せられた言葉は、一つの仮定だった。

「はっきり言って異常です。人間の脳は忘れるように出来ているんです。それなのにあなたの頭には細かすぎるくらいの情報が詰まっている。思い出せと言われれば、どの場面も正確に言うことができる。違いますか?」
「あ……はい。生まれたときからすべて覚えています。見たもの、聞いたもの、すべて」
「すべてって……不可能じゃない?」
「ええ、不可能なんです。普通の人間には」

鬼灯の確信を持つような真っ直ぐな瞳に、名前は釘付けになったまま逸らせない。それは自分を人間ではないと言っているのだろうか。名前の瞳が不安げに揺れた。

「あなた自身が倶生神の力を持って生まれたのではないでしょうか」
「倶生神!?彼女が?」
「仮説ですが……しかし、そうすれば記録がないことが納得できます」

倶生神が生まれても倶生神がつくことはない。名前の場合、人間として生まれたが、その力のせいで倶生神が見分けられなかったのかもしれない。そんな仮説を鬼灯は立てた。
名前にとっては倶生神のこともさっぱりわけがわからないわけで、けれど自分が普通の人間ではないことを突きつけられ反応に困っている。今までちょっとした特技のある人間として過ごしてきたのだ。急に神の力を持っていると言われても、はいそうですかと受け入れられるものではない。

「でも、倶生神はあくまで善悪を記録する神だよね?覚えるのとはまた違うんじゃ……」
「倶生神の中には記録をしながら、その人の一生を記憶している方もいますよ。稀ですが」
「なら、彼女は……」
「とにかく、普通の人間ではないということです」

二人からの視線を受け、名前は困ったように笑った。
どうやら、死後安静に暮らしていける道は断たれたようだ。がし、と両肩に手を置かれ、名前は背筋を伸ばした。

「名前さん、あなたの能力をぜひここで発揮してもらいたい」
「は、はい……」

有無を言わさぬ眼光に、名前は泣きそうになりながら頷いた。
自動ドアにも見つけられない彼女に手を差し伸ばしたのは、地獄の鬼神だった。
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