お菓子と悪戯


ハロウィン一色の季節に同僚たちも浮かれている。会社も彩られて、数ヵ月後にはクリスマスの飾りなんかを施し、その次はなんだろう。
イベント好きの社員たちは仕事の片手間に仕事場を華やかにする。イベント当日となれば、同僚の中にはハロウィン仕様になっている人もいる。
マニキュアを塗ってみたり、髪飾りを変えてみたり。割と自由だけれど、仮装をすると怒られる。さっき被り物をしていた新人が怒られていたっけ。
毎年恒例の浮ついた空気に私も便乗しなければ。

「トリックオアトリート」

めぼしい同僚に声をかけお菓子を貰う。私は大の甘党で、この季節は魔法の言葉を言えばお菓子がたくさん貰えて嬉しい。
チョコレートが好きなんです、と事前に触れ回っておいた甲斐があって、たくさんのチョコレートを手に入れた。しばらくはお菓子に困りそうにないなと気分もよくて仕事が捗る。
そんな私はたくさんの人から仕事を押し付けられているのである。

「名前さん、トリックオアトリート」
「お菓子はありませんよ。甘いものはあげられません」

紙袋いっぱいに貰ったお菓子があるけれど、これは私のものだ。
よくばりにそう言ってしまうから、私は悪戯を受けるのだ。

「じゃあこれ頼みます」
「はい」

悪戯と言う名の仕事の押し付け。またコピーをとらなければいけない仕事が増えた。いつしかハロウィンは私に仕事を押し付けられると広まって、同僚たちはこぞって私に仕事を押し付けてくる。その分お菓子をいっぱい貰えるんだけれど。
この日だけだからとお菓子を貰う代わりに私は仕事をこなしていくのだ。
でもちょっと多いような気もする。今日残業決定かもしれない。
お菓子の包みを開けつつパソコンに向かえば、隣のデスクの人が戻ってきた。
そうだ、まだこの人からは貰っていない。なにやらため息を吐いて、朝からお疲れだなと思いながら声をかけた。

「加々知さん、トリックオアトリート」

そう言えば、加々知さんは怖い顔で振り向いた。元々目つきが悪いけど、さらに悪くなったような気がする。いつ見ても怖いな……。仕事のできるイケメンで女性社員にモテる人。派遣で来て今日までだっけ。
私はお菓子が貰えればそんなことは関係ない。怖い顔に少し驚きながらも手を出せば、加々知さんは首を横に振った。

「ありません。さっき配ってきました」
「配った?」

みんなにお菓子を配っていたのだろうかと首を傾げていれば、同僚が苦笑しながら教えてくれた。
モテる加々知さんは女性たちに囲まれたそうで、悪戯目当ての彼女たちに飴玉をばら撒いてきたらしい。
疲れている様子なのはそのせいなのかもしれない。同僚は「羨ましい奴め」と加々知さんを小突く。加々知さんは「そんなわけで」と私の手を引っ込めさせた。

「あなたにあげるお菓子はありません。悪戯しますか?」
「いえ…私はお菓子目当てなので悪戯には興味ありません」
「そうですか。では、あとで何か買ってきますね」
「え、別にいいですよ!チョコレートが好きです!」

図々しくも好きなものを言えば、加々知さんは嫌な顔せず無表情のまま頷いて自分の仕事を始めた。
数ヶ月共に仕事をしているけれどよくわからない加々知さん。怖いのかと思えばわがままも聞いてくれるみたいだ。
仕事ができて頼もしいからいなくなるのが少し残念。
考え事をしていたら同僚に書類で頭を叩かれた。

「名前、またたかってるんじゃないわよ。加々知さん困ってるでしょ」
「ごめんごめん。お菓子は?」
「あげるからこの仕事頼むね。ちょっとめんどくさいと思うけど」
「げ、みんな簡単な仕事押し付けてくるのにあんたってやつは……」

ファイルやら資料を置いて同僚は私の背中を叩いた。頼むわね、とか言ってすぐ人に仕事を押し付ける。そして私をおだてるのだ。

「名前は仕事ができて優秀でしょ。これくらいすぐできちゃうんだから頼むわ」
「仕事が早いのは早く帰りたいからだよ。今日もハロウィン限定スイーツを買いに……って聞いてないし」

同僚はヒラヒラと手を振って行ってしまった。机の上に積まれている仕事は過去最高かもしれない。
優秀で同僚にも慕われているその原動力はすべてお菓子のため。今日発売される限定スイーツをゲットするために何が何でも定時に上がらなくてはならぬのだ。
また一つお菓子に手を伸ばしながらまずは面倒な仕事から片付け始めるとしよう。
そんなパソコンに向かう私に加々知さんが視線を送った気がする。振り向いても目は合わなくて、変人だと思われたかもしれないけれど、今日でいなくなる彼へ与える印象なんて気にせず仕事を続けた。


***


残業が長引くことはたまにある。けれど今日のはいつもと違う。同僚たちに押し付けられた仕事はなかなかに難航していた。

「どうしてこう、面倒くさいのを……」

作業自体は簡単なのにどうも時間がかかる。今日私は何回コピーをとっているのだろうか。そろそろ出てくる紙を眺めるのも疲れてきた。
パソコンは途中でフリーズするし、電話した先はなかなか出てくれないし、各課に回す資料を届けたりとなんだかすごく働いている気がする。
狙っていた限定スイーツは買えずに気がつけば夕飯も逃している。来年からは少し考えたほうがいいかもしれない。10円チョコでも配って悪戯を回避せねば。
ブラックコーヒーを飲みながら頭を覚醒させれば、残り最後の仕事に取り掛かった。またしてもコピーをとる簡単なお仕事。出てくる紙がきちんとホチキスされているか、乱丁がないか確認して、他に印刷した書類と組み合わせてセットを作らなければならない、なんとも面倒である作業。でもこれで最後だ。
すっかり静かになった部屋でコピーの音が響く。出てくる紙を眺めていれば、部屋に誰かが入ってきた。まだ残っている人がいたんだなと振り向けば加々知さんだった。

「まだいたんですね。お疲れ様です」
「お疲れ様です。加々知さんこそ、今日でここは最後なのに残業ですか?」

誰かに押し付けられたのかなと思っていたら、加々知さんは私に何かの箱を渡した。
受け取れば加々知さんはコーヒーを入れながら私のデスクを見て仕事の進み具合を確認している。
もう終わりそうですね、と一人頷きカップに口をつける。私は貰った箱を机に置いてそっと開けてみた。

「あ、これ……」
「それで合ってますか?チョコレートが好きだと言っていたので」

箱に入っていたのは、私が仕事帰りに買おうと思っていた限定スイーツだった。
ハロウィンイベント限定のケーキを販売するお店。普段より閉店時間は遅いけど、もう間に合わないと諦めていたものだ。
思いも寄らぬ差し入れに私は今日一番の笑顔になった気がする。これが食べたかったんだ!でもどうして加々知さんはわざわざ……。
加々知さんはコピーしたものを取り出しながら答えてくれた。

「お菓子買ってくるって言ったでしょう。仕事が終わらなさそうだったので買ってきただけです」
「加々知さんがモテる理由がわかる気がします。ありがとうございます!」
「最後ですのでこれくらいは。……あなたには今後も働いてもらいたいので」

それは仕事を押し付けられても腐らずにやって行けという励ましなのだろうか。
とにかくお礼を言いながらコピーした書類をまとめる作業に入る。加々知さんも手伝ってくれるのか椅子に座って書類を仕分けてくれた。
頼もしくて実は優しい人なんだなと、加々知さんがいなくなるのが少しだけ寂しい。
だんだんと作業に飽きてきて手が進まないでいると、加々知さんは私からコピーした資料を奪い取った。

「私がやりますよ。名前さんはケーキ食べたらどうですか?休憩してください」
「でも……」
「遠慮せずにどうぞ。食べ終わったら手伝って下さい」

なんて優しい人なんだろう。黙々と仕事をこなす姿になかなか声をかけづらい人だったけど、最終日で気がつくなんて。
お言葉に甘えて買ってきてくれたケーキの箱を開ける。中にはお目当てのものが入っていた。ハロウィン仕様のデコレーションが可愛くて食べるのがもったいないくらいだ。作業している加々知さんの隣で食べるのは申し訳ないけど、いただきます!とお礼を言ってからケーキを頬張った。

「おいしい……!」
「よかったです」

自然と笑みが零れて今日の忙しさも忘れていく。幸せな気分で休息を取ると、仕事のやる気も回復してきた。
手伝ってくれている加々知さんのおかげで、もう少しで仕事も終われそうだ。あと少しだと書類に手を伸ばしたところで、加々知さんが思い出したように口を開いた。

「ところで名前さん、私は言ってませんでしたね」
「何をですか?」
「トリックオアトリート」

加々知さんは私の目を見据えてそう零した。どこかその言葉に不安を感じたのは気のせいかもしれない。今頃それを言われても仕事を押し付けるような悪戯はできないし、加々知さんに何のメリットがあるのかわからない。

「お菓子はあげられませんけど……」

どんな悪戯をされるかわからないけどお菓子は譲れない。チョコレートの一つくらいあげればいいのに、私は変に意固地なのだ。
加々知さんは私の返答を期待していたかのように薄く口元を緩めた。初めて見るその表情にいい知れぬ恐怖を感じた。
いつもの加々知さん…だよね?

「悪戯してもいいんですね」
「常識の範囲内でお願いします」
「さあ、それはどうでしょう」

加々知さんはおもむろに立ち上がると私をまっすぐ見つめた。一体何を考えているのかわからなくて見つめ返していると、部屋に風が吹き始めた。窓は開いていないはずなのに空気が乱れ書類を揺らす。
思わず目を細めれば、加々知さんの後ろに何かがゆっくりと浮かび上がってきた。
薄くてよく見えないものがだんだんとその姿を現していく。風が止んでいくと同時にそれは鮮明に姿を現した。そこに現れたのは大きな扉のようだった。

「加々知さん、後ろのそれ……なんですか?」

扉が出現しても加々知さんは動じずに私の疑問に答える。
心なしか加々知さんの雰囲気が変わった気がした。加々知さんってあんなに耳が尖っていたっけ。

「これは地獄に繋がる扉です。名前さん、私と地獄へ行きましょう」
「地獄……?」

思いもしなかった言葉に一瞬目が点になる。加々知さんは何を言っているんだろう。
少しだけ怖くて後ずされば、加々知さんは私をじっと見つめ、逃がさないというように言っているようだった。

「あなたは一週間以内に寿命を終えます。それを少し早めるだけですよ。ちょっとした悪戯です」
「寿命?なんですかそれ。言っている意味がわからないんですけど……」
「わからなくて結構。地獄に行けばわかりますから」
「加々知さんは一体……」

何者だろうと尋ねようとして、加々知さんの額に角があることに気がつく。
加々知さんは低い声で教えてくれた。「地獄に住む鬼です」と。
途端に加々知さんが怖くなって逃げたくなる。けれど鋭いまなざしに射止められて足を動かすこともできなかった。
加々知さんは人間じゃなくて鬼。私は彼に地獄に連れて行かれるんだ。

「怖がることはないですよ。地獄も住めば都です。きっとすぐに馴染めます」
「そんなこと言われても……私は地獄には行きません!」
「どうせ一週間後にはあの世に行くことになるんです。裁判を受けてもあなたは地獄行きですよ。私が閻魔殿で働くよう仕向けますから」
「どうしてそんなこと……寿命って、私は一週間後に死ぬんですか?」

加々知さんは静かに頷いた。
地獄の鬼には人間の寿命がわかるのだろうか。死因まではわからないと言う彼は私の死に同情しながらも、地獄で働かせると言っている。私の仕事の優秀さを買ってくれているらしい。
地獄で働くなんてわけがわからない。死ぬという事だってまだ理解していない。突然のことに頭がついていかなくてどうしていいかわからなくなる。ハロウィンの悪戯にしては話が難しすぎる。
そうだ、ハロウィンの悪戯なんだ。鬼の姿も加々知さんの仮装で、あの扉も何かのトリックなんだ。

「十分驚きました。ハロウィンの悪戯ですよね?」
「言っておきますがすべて本当のことですよ」
「もうそれはいいです。加々知さん、そろそろ種明かししてください。この扉どうやって出したんですか?」
「名前さん」

加々知さんは私の肩に手を置くと扉を指した。扉は重く軋むような音を立ててゆっくりと開き、その先には道が続いていた。
中から出てくる空気がどこか湿っぽく、体に纏わりつくような恐怖を生む。暗くどこへ続いているかわからない道の先を見ていると不安になってくる。

「種も仕掛けもありません。この先に地獄が続いています」
「……行きません。私は地獄になんて行きません」
「無理ですよ。あなたが食べたケーキ、少し細工をさせてもらいました。それには地獄の食べ物が入っています。あの世の物を食べたら、もうこの世には戻れません」

それはもうこの世で生きては行けないということ。この世では死んだということを意味する。
加々知さんの様子からすべて本当のことだと感じるのは、ちゃんと恐怖を感じているからだと思う。もしこれが冗談ならこんなにも喉が渇くような不安はないはずだ。
加々知さんに騙されて、私は地獄に行かなければならないんだ。

「……酷い」
「無防備なあなたが悪いんですよ。鬼に悪戯していいなどと簡単に許して、ただで済むとお思いですか?」
「加々知さんが鬼だと知っていたらお菓子をあげてました。地獄とか鬼とか、寿命がどうとか、さっぱりわかりません」

あのときどうしてお菓子をあげなかったのかと後悔しても遅い。たくさん貰ったチョコレートの一つをあげればこんなことにはならなかったかもしれないのに。
加々知さんはそっと私の手を掴むと扉のほうへと導いていく。私は咄嗟にその手を振り払った。

「怖いですか?」
「だって……」

気がつけば涙が零れ落ちていた。加々知さんは少しだけ驚いたような表情を見せ、またいつもの表情に戻った。
頬を伝う涙をそっと拭い私を安心させるように頭を撫でる。怖いはずなのに、そうされると少しだけほっとするような気がした。

「あなたの死因が何かまではわかりませんが、あなたを見る限り病気ではないと思います。それなら不幸な事故かなにかでしょう。痛い思いをしなくて済むと、そうは考えられませんか?」
「私は本当に一週間以内に死んでしまう運命なんですか?」
「はい。それは断言できます」

加々知さんの目はまっすぐで、理不尽な言葉も本当なのだと納得させられてしまうものがある。
あの世に住む彼が言うんだ。きっと言うとおりなんだろう。でも、そう簡単に受け入れられるはずはない。
一週間後には今のプロジェクトを成功させて、次は大きな仕事を任されるとも言われていた。日常に不満なんてなくて、今が一番楽しくて幸せなのに、死んでしまうなんて……。
うな垂れる私に地獄の鬼も非情になりきれなかったのか、加々知さんは慰めるように私の手を握った。

「少々、悪戯が過ぎましたか」
「……加々知さんは優しい人だと思ってたのに、今は死神に見えます」
「鬼ですよ。まあ、命を縮めたことには変わりありませんがね」

加々知さんは私の手を握ったまま地獄に続く門へと歩き出す。ここをくぐったらもうここには戻ってこられない。でも、あのケーキを食べた私にもう戻る場所なんてきっとないんだ。
抵抗なんてできないのはわかっていて、今さら状況を変えることもできないけど、少しだけならわかってくれるかもしれない。

「加々知さん」

足を止めて引き止めると、加々知さんは振り向いた。往生際が悪いとでも言いたそうな瞳を見つめて訴える。

「地獄に行くことはわかりました。でも少しだけ時間をください。頼まれた仕事、終わらせなくちゃ」

加々知さんは机や床に散らばってしまった書類を見て私の手を離した。ため息を吐きながら「仕方がありませんね」とそれらを拾い上げてくれる。
私がいなくなったあと、どうなるかなんてわからないけれど、頼まれた仕事だけは終わらせないと同僚たちに申し訳ない。お菓子の分は働かなくちゃ。

「真面目ですね。まあ、そういうところが気に入ったのですが」

頭の中も心も整理できていないけど、諦めるしかないのはわかっている。それならもうなるようにしかない。飽きたはずの作業を名残惜しく感じながら手を動かしていると加々知さんがそう呟いた。
やがて最後の書類をまとめたところで私の心の整理もついた。加々知さんの言うように、痛い思いをしなくて済んだと無理やり思うしかない。短い人生だったな、なんて思いながら加々知さんに導かれて地獄の門をくぐった。

「地獄での働きも期待していますよ」

涙を零す私に、加々知さんはそう言って背中を押した。
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