夏のはじまり


祭りの喧騒から少し離れた静かな公園で鬼灯はその姿を見つけた。
ベンチに腰掛け空を見上げる表情はどこか楽しげで、屋台で買ってきたものを食べながら満足そうにしている。
鬼灯は近くまで行くと当然のように隣に座った。

「相変わらず片っ端から屋台のもの買ってますね」

鬼灯に気がつく名前はもぐもぐしながらにこりと笑う。

「鬼灯こそ相変わらずお祭り楽しんでるね」

お面に風船、金魚すくいに綿飴。大の男が随分と祭りを楽しんでいる。
毎年恒例の姿にお互い半分呆れながらも、今年も誰もいない静かな公園に集まった。
約束しているわけでも、ここにいると伝えたこともない。ただ毎年必ずこの場所で二人は過ごしているのだった。

「綿飴とりんご飴…他の食べ物は買ってないの?」
「ええ。どうせ食べきれないと言って私に寄越すでしょう」
「そうだね。りんご飴一口ちょうだい」
「どうぞ。それ、カキ氷溶けてるじゃないですか」
「頭がキーンってなったから残しちゃった」

何味だったのか紫色の液体と化しているカキ氷を見ながら鬼灯はため息を吐いた。
食べかけの焼きそばを頬張りながら名前の視線を追って空を見上げた。

「今年も花火綺麗だね。最近は面白い形が多くて楽しい」
「今年は音楽とのコラボレーションをしている様ですよ。ここでは聞こえませんが」
「へえ、面白そう」

そう言いながらも見に行こうとはしない。わざわざ人のいないところを選ぶのは、彼女自身人混みが苦手なのもあるだろうが、それだけではないような気がしていた。
屋台のご飯をなんなく平らげる鬼灯はふと名前の横顔を見つめた。昔から何かと付き合いはあるが、彼女の本心を聞いたことはない。何を考えているのか鬼灯でさえわからなかった。
視線に気がついたのか名前も鬼灯に顔を向けた。

「なに?」
「いえ、別に」
「なにそれ。口にソースついてるよ」

指摘され拭うも逆だったようで名前が手を伸ばす。からかうように笑いながら名前は楽しそうだ。
鬼灯は視線を外すとまた空を見上げた。

「それにしても、どうして毎回ここなんですか」
「今さら聞くの?ここ花火が綺麗に見えるんだよ」

確かに花火は綺麗に見えた。けれど少し遠く寂しい場所だ。何か言いたそうな鬼灯に名前は付け足す。

「それに人混みは嫌なの」
「知ってます。他に理由があるのかと思いまして」
「……鬼灯は鋭いから嫌」

はあ、と息を吐きながらもどこか満足げに笑う。毎年必ず自分のところに現れるのが嬉しかった。
欲張りにたくさん食べ物を買っても食べてくれて、綺麗だねと言いながら空を見上げる。
すっかり身分も離れて、仕事上では上司と部下の寂しい関係。鬼灯と呼び捨てできるのは今日くらいなもので、少しだけ昔に戻れたような気がしていた。
地獄を支える鬼灯は名前にとって遠い存在になっていた。
名前は笑顔のまま少しだけ寂しそうな顔をして俯いた。そしてその表情のまま鬼灯に笑いかけた。

「ここなら私を見つけられるから」
「見つけられる?」
「私なんて人混みに紛れたら区別つかないでしょう?鬼灯が私を見つけられなくなるから」

花火が打ちあがる空の下には提灯や屋台の明かりが広がっている。そこには何人もの鬼や妖怪がいて、百鬼夜行とさえ表現される賑わいだ。
そんな中に埋もれてしまえばきっと鬼灯は自分を見つけられない。名前は心の中にある寂しさを全部出してしまわないよう口を閉じた。

「なぜそう思うんですか?」
「…だって私は衆合の女鬼みたいに美人でもなんでもないし、人混みに紛れたら通行人Aと変わらないんだよ」
「誰もが美人ばかり見ているわけではありませんよ」
「でもきっと鬼灯は見つけられないよ」

鬼灯が第一補佐官になった頃、名前も遅れて獄卒になった。プライベートでは知り合いでも獄卒として働けば上下関係がはっきりしていて、新人が補佐官と馴れ馴れしく話すことなんてできやしなかった。そもそも身分が違うのだから職場で会うことも少なかった。
すれ違っても挨拶を交わすだけで、次第に鬼灯の目に名前の姿は映らなくなった。それがわかったとき名前は嫌でも理解できた。もう昔とは違うのだと、鬼灯だなんて呼び捨てにできないことを。
獄卒大運動会でも盂蘭盆祭でも鬼灯は色んな人の輪の中にいた。その他大勢の括りに入ってしまった名前は、見つからないように鬼灯を見ることをやめた。
名前にとってはショックなことで、その年の盂蘭盆祭のときに一人になれる場所を探してここにたどり着いた。
自棄になって屋台で買い物をして食べきれないにも関わらず色んなものを頬張った。打ちあがる花火がやけに綺麗でそれが唯一楽しかったことだ。
そのあと偶然にも鬼灯がやってきて、ようやくまともに話すことができた。一対一なら彼の目にも自分の姿が映る。こんなときくらい、と言われて久々に敬語なしで話したのがどうしようもなく嬉しかった。
それから名前は盂蘭盆祭になるとこうしてこの公園に来ていた。ここは鬼灯に見つけてもらえる唯一の場所だった。

「鬼灯にとって私はその他大勢の一人。すれ違っても挨拶をするだけの他人だよ」
「寂しいことを言いますね」
「……だってそうだもん。こんなときくらいしか鬼灯とまともに話せない。普段鬼灯は私のことなんて目に入ってないでしょう?いいんだよ、それで。でもこの日だけは一緒にいたい。鬼灯に見てほしい」

わかりやすい場所にいるから自分のところへ来てほしい。だから毎年ここにいる。
膝の上でぎゅっと拳を握る名前は顔を伏せた。これ以上言えば自分が惨めに思えた。
俯く名前に鬼灯は初めて彼女の本心を見た。いつもは見かけても目も合わせない彼女に寂しさを覚えていたのは鬼灯も同じだ。声をかけようにも名前は離れていくばかりで仕事場で彼女を見る機会も少なくなっていた。飲み会などの行事もあまり参加せず、運動会などのイベントごとでも名前は隠れるように姿を消していた。
名前が目に入らなくなったのではない。名前が鬼灯の視界から逃げていたのだ。
盂蘭盆祭の最終日、今日だけが唯一まともに話せる日。ここに来れば彼女は必ずいて、昔のように笑う姿がある。もしここにいなくたって、鬼灯は名前を見つけられる自信があった。
人混みに紛れたって、その他大勢の中に埋もれていたって、鬼灯はずっと名前のことを見ていたのだ。

「では、試してみましょうか?」
「…なにを?」
「私はあなたがどこにいても見つけられる自信がありますよ」
「嘘ばっかり」
「だから試しましょう」

鬼灯は立ち上がると名前の手を引いて祭り会場のほうへと足を向けた。名前は戸惑いの表情で鬼灯の腕を引っ張った。そうすれば鬼灯は立ち止まり振り返る。

「嫌だ。絶対に嫌」

見つけられないと確信している名前は懇願するように鬼灯の腕を抱きしめた。こんなことをして見つけられなければ、さらに現実を突きつけられるだけだ。せっかく今日は昔のままの状態で会えるのに、そんな日を最低な日にはしたくなかった。
泣きそうな顔をしているのを見て心に罪悪感が生まれながらも、鬼灯は名前を安心させるように頭に手を伸ばした。

「見つけられたら今後私に他人行儀な態度はやめてくださいよ」
「だから私は……」
「三十分後に探しに行きます。それまで好きなことをしていてください」

鬼灯はそう言って名前の手を離して行ってしまった。名前はその場に立ち尽くしながら唇を噛み締めた。


***


時計の針があれから三十分進んだ。鬼灯の言うとおりなら今から探しに来る頃だ。
名前は型抜き屋の椅子に座りながらぼーっと型を抜いて遊んでいた。子供や大人が集まっているこの場所は通りから見ると人の影になって名前の姿は見えない。
見つけられないのは嫌だけれど、見つけて欲しいとアピールするのも嫌だった。きっと通りを歩き続けていれば顔を合わせることはある。でもそれでは意味がないのだ。どこかで本当に見つけてくれるんじゃないかと思っている自分がどうしようもなく情けなかった。

「はあ……」

何の嫌がらせか渡された型は鬼灯を連想させる金魚草だった。なかなか難しい型なのだが、名前は順調に切り離していく。
成功したら何が貰えるんだろうかと細かい作業に思考を戻せば、屋台の店主がカランカランと鈴を鳴らした。
型を抜いていた客がその音に顔を上げ、店主に視線が集まる。その手には景品であろう金魚草のクッションが掲げられていた。

「おめでとうございます!金魚草の型をクリアできたのは初めてだよ。景品です!」
「これは…!初期のレアクッションではないですか!今はもう生産中止になって世界でも数十個しかないといわれる金魚草クッション…!」
「さすがお目が高い!」

わあわあと盛り上がる中で名前だけが顔を上げられないでいた。声でわかるその人物は、自分を見つけ出すと言った鬼だ。
三十分後に探しに行くと言いながらこんなところで型抜きをしていることに驚きだが、それよりも偶然同じ場所に居合わせたことに驚きを隠せなかった。名前は顔を上げずに震える手で型を抜く作業を続ける。
しばらくして店の様子も元に戻り名前の心も落ち着いてきた。もういなくなったかとほっとしたところで、隣に座る影にドキリと心臓が跳ねた。

「いい調子ですね。結構難しかったですよ、その型。三十分もかかってしまいました」

顔を上げた名前に鬼灯は目を細めた。

「見つけましたよ、名前さん」

得意げに言う姿に名前は不満そうな表情を見せる。三十分もかかったということは、名前と分かれてからここにいたというわけだ。
名前がたまたまここに来たから見つけられただけで、ただの偶然だと主張する。けれど鬼灯は首を横に振るだけだ。

「見つけたという事実に変わりはありません。私はあなたがここに来ると思ってここにいたんです」
「そんなの後付じゃない」
「去年もその前も、あなたはここで型抜きしてたじゃありませんか」

いくら人混みが嫌いだとはいえ、食料調達のついでに面白そうな屋台は回る。くじを引いてみたり的当てをしてみたり、型抜きも最近の定番ルートだった。
まさかそんなことを知っているとは思わず名前は言葉に詰まった。当てられたのが悔しいのではない。姿を見つけなければ知らないことを知っているのが嬉しいのだ。

「あなたは何か勘違いをしていますよ、名前さん」
「…勘違い?」
「私はずっとあなたのことを見ています。一度だってその他大勢という括りに入れたことはありませんよ。ただ、あなたが離れていくから私もその方がいいのかと思って」
「最初に離れたのは鬼灯でしょう。…違う、鬼灯が私の手の届かないところに行っちゃったから」

突然中国に行くと言っていなくなってしまった鬼灯は、いつの間にか獄卒になって第一補佐官という地位を手に入れていた。
鬼灯がいるところならと同じ場所に就職したもののその差は埋められなかった。無理だと気がついて逃げるように隠れた名前は、結果的に自ら離れたことになったのだ。

「あなたはいつもそうやって自己完結して身を引く」
「だって、あまりにも違いすぎるから」
「私は何も変わってはいませんよ」
「鬼灯が変わってなくても環境が変わってるんだよ。今の私じゃ鬼灯の後ろにも立てない」

落ち込む名前を見て鬼灯はやれやれと立ち上がる。ついに愛想尽かれたかとさらに俯くのを見て腕を引っ張った。
名前はまたしても鬼灯に手を引かれてその場を後にした。

「鬼灯……どこ行くの」
「あそこじゃ話ができませんからね。子供が興味津々にこちらを見ていましたよ」
「もう少しで型抜けそうだったのに」
「これあげますから」

そう言って押し付けられたのは先ほど鬼灯が手に入れた金魚草のクッションだった。レア物だと言っていたのに収集癖のある鬼灯が手放すなど珍しいことだ。名前はクッションを抱きしめながら鬼灯と向かい合った。
何を言われるのか想像できなくて一歩後ずされば、それを埋めるように鬼灯が大股で名前に近づいた。

「私がわざわざあの公園に足を運ぶ理由がわかりますか?」

突然の問いかけに名前は視線を彷徨わせた。祭り会場からは離れていて行くにはちょっとした坂を上る必要がある。
花火が綺麗に見えても人がいないということは、面倒な場所にあるということだ。
そこに毎年鬼灯が現れる理由は一つしかなかった。

「あなたに会いに行くためですよ。そうでなきゃわざわざあんなところ行きません」
「あんなところって、私のお気に入りの場所なのに」
「それは失礼。確かに綺麗な場所ではありますが。…そんなことより、重要なのはそこじゃないでしょう」

鬼灯に睨まれ名前は愛想笑いを見せる。視線を逸らそうとすればさらに眼光を鋭くされて射止められた。
名前はぎゅっとクッションを抱きしめてその瞳を受け止めた。

「あなたに懸想しているんですよ。それなのにこの日しかまともに話せない。だから毎年あの公園に行っているんです」
「……もっとわかりやすく言えないの」

肝心なことばかりわからないことを言う。中国に行くと言ったときだって、どんな理由かもあやふやなまま鬼灯を送り出した。
観光だと思っていた名前はあとで勉強しに行ったのだと知ったのだ。
獄卒になったときもそうだ。地獄を変えると言ってどこかに行ったと思えば、獄卒の頂上に立っていた。
もう変な誤解も自己完結もしたくなくて、はっきりとわかりやすい言葉で聞きたかった。
鬼灯はゆっくりと瞬きをすると、少しだけ瞳を柔らかくした。

「好きだと言っているんです。何度も言わせないでください」

今度こそしっかりと聞いた名前は瞳を潤ませながら顔を真っ赤に染めた。
遠い存在だった鬼灯が近づいてきてくれた気がして嬉しくてたまらない。

「仕事上は仕方ありませんが、私の横に立てる方法ならありますよ」

そう言って鬼灯は名前をそっと抱き寄せた。名前は次に言われる言葉を想像して既に心がどうにかなりそうだった。

「私のものになればいいんです。恋人として、伴侶として傍にいれば寂しい思いもしませんよ」
「……やっぱりわかりづらい」
「だから、結婚を前提に付き合えと……頭悪いんですか」
「悪くてもいい」

名前は満面の笑みを浮かべると恥ずかしさからか抱いていたクッションを鬼灯の顔に押し付けた。
迷惑そうにクッションを引き剥がせば、その間に名前は鬼灯の胸に顔を埋めて背中に手を回している。ぎゅうと力を込めるその力強さに、名前の想いも伝わってくるようだった。

「私も同じ。本当はずっと鬼灯と一緒にいたかった。でも鬼灯はどんどん離れていくし、顔を見ることも少なくなって……」
「話はわかりやすく簡潔に」
「……好き。ずっと好きだった」

いつから抱いていたかわからない埃の被った感情をようやく伝えることができた。
互いにすれ違い寂しい思いをしていたのも今日で終わりだ。鬼灯は名前を抱きしめ、離れていた数百年分を埋めるようにその温かさを噛み締めた。
空には二人を祝福するように無数の大輪が眩く彩っていた。
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