桜舞う


青空が広がり暖かな日差しが差し込む天国で、天女や妖怪たちがそれぞれ武芸を披露していた。
天国では年間にいくつものイベントをしている。どこぞの神が主催とあって規模も大きい。いつか鬼灯が予算について話していたが、天国の祭典はいつも華やかで優雅なものだった。
そんな華やかな場所に地獄の鬼も混ざっていた。

「鬼灯様でしょう、地獄代表で勝手に私を推薦したの!」
「いけませんでしたか?」
「いけませんよ!ああ、緊張する……」

出番が近づくにつれ名前の心臓はバクバクと高鳴っていた。
それもこれも鬼灯の勝手な推薦で人前で踊らなくてはいけなくなったからだ。身内ならまだしも有名な神もちらほら見え、美しい天女の中踊るのは気が引けた。
どんどん身を小さくする名前に見かねた鬼灯は、励ますように背中を叩いた。

「初めて披露するあなたに大きい期待などないんです。堂々と胸を張りなさい」
「その励ましなんなんですか。励めないんですけど」
「名前ちゃんの神楽舞すっごい綺麗なんだから大丈夫だよ」
「そうそう、励ましってそういう……」

気の利いたことも言えるじゃないかと頷いていれば、白澤が手を握っていた。
頑張って、と頭を撫でると安心させるような柔らかい笑顔で名前を見つめた。
さすが白澤様、女の子の扱いをわかっている。名前は心の中で呟くと、隣で怖い顔をしている鬼灯に目を向けた。予想通り白澤を追い払い、負けじと鬼灯も名前の手を握った。

「頑張っているのにこれ以上頑張れなど言えません。いつも通りやればいいと励ましたつもりだったんですが」
「あ、はい。ありがとうございます……白澤様大丈夫ですか?」
「くそ…いちいち力が強いんだよ、この馬鹿力!」

睨み合いを始める二人に苦笑しながら、名前はこれから自分が立つ舞台を見てふうと息を吐いた。

名前は人間だった頃神に仕える神聖な巫女だった。神楽舞は自身に神霊を乗り移らせ神の託宣を聞く儀式、神降ろしの一つ。生前はその踊りが見事だと見物にその国の偉い人が見に来たほどだ。
現在地獄にいるのは神降ろしの際に悪い神に体を奪われ命を落としてしまったから。憑依され祟り神として恐れられた無念と悲しみにより鬼になってしまい、その後地獄に住み着いたというわけだ。
現在は獄卒として鬼灯の下で働いている。

「こんなに人前で踊るのなんて、生前でもなかったのに」

神楽舞は名前の人生を狂わされたものであり、地獄に来たときはもう二度とやらないと決めていた。
しかし、名前の特技はそれくらいしかなかった。まだ地獄に馴染めなかった頃、一度だけ誰もいない天国の池のほとりで一人踊っていたところをたまたま鬼灯と白澤が目撃して、二人と知り合った。
その後は何かと二人に世話になりながら、嫌いになっていた神楽舞も人前で踊れるくらいには好きになっていた。
けれど、やはり生前の記憶が頭に過ぎって不安になることもある。もう名前に神降ろしができる力はないが、嫌な記憶ほど忘れられないものだ。

言い合っていた二人は名前が舞台を不安そうに見ているのに気がついて一旦休戦する。
名前が今まで悩んでいたことを二人は知っている。勝手に推薦したのは彼女なら大丈夫だと思ったからだ。過去を乗り越えたいといつか強く願っていたのを叶えたいのだ。
二人は名前を挟むように彼女の隣に立った。

「今さら考えても無駄ですよ。転んだら笑ってあげるので行ってきなさい」
「僕がちゃんと見てるから、安心して行ってきなよ」

二人に励まされて名前は少しだけ自信を取り戻す。普段は仲が悪いのにこういうときだけ団結するのがおかしくて、名前は二人に勇気を貰った。

「鬼灯様、転んだら本当に笑ってくれます?鬼灯様の笑った顔なんて一度も見たことありませんよ。あと白澤様も、さっきから天女目で追ってるくせに、よく言いますね」
「ただの方便です」
「バレてたかぁ〜」

きっぱり言い切る鬼灯と、いつも通りだらしなく笑う白澤。名前は呆れながらよし、と意気込んだ。出番ももうすぐで不安も二人に拭ってもらった。あとはあの舞台で踊るだけだ。
すっかり元気になった名前を見て鬼灯は彼女の手を握った。

「ついでにあの舞台で公表しましょう。熱愛報道と結婚報道、明日の一面はどちらがいいですか?」
「いや、私たちそんな関係じゃありませんから」
「そうだよね〜!名前ちゃん獄卒やめてうちに来ない?看板娘として大歓迎だよ」
「獄卒はやめませんよ。というか、お二人とも手離してください!!」

こんなところにまで来て何をしているのかと名前は二人から手を離す。からかっているのか、本気なのか、二人はよく名前に好意を伝える。無駄に付き合いが長いせいか、鬼灯の直接的な言葉も、白澤の甘い言葉もどれも名前は冗談と捉える。
ライバルである二人は相手を落とそうとまた睨み合いを始めた。いつも通りの光景に緊張の和らいだ名前は、握られた手を見つめて胸に抱いた。

「頑張ろう」

舞台へ歩き出す名前を鬼灯と白澤は優しく見送った。


***


天国の池のほとりで彼女は踊っていた。風が吹くと桜が舞って彼女の髪や袖をなびかせる。横顔はどこか寂しそうだが、そのすました顔が儚げで不思議な魅力を引き出していた。
長い腕がしなやかに伸び、足の運びは無駄のない洗練された動きだった。自然と調和し風までを味方につける。とん、と彼女が飛べば小鳥たちもいっせいに飛び立った。次第に彼女の表情は柔らかくなっていった。けれど笑顔になることはなく、ふと口元を緩めても目は笑うことはなかった。
楽しそうなのに、何かに怯えているようだった。壊れてしまいそうな繊細な彼女に、そのとき二人の男が恋に落ちていた。


さっきまでの不安や緊張は舞台に立った瞬間なくなった。舞台からの景色から鬼灯と白澤の姿を見つけて心が落ち着いていく。
名前は目を閉じると静かに風を感じた。そっと手を伸ばし足を踏み出す。そうすれば自然と体は動いていった。
風に乗って桜が舞い、彼女の動きに合わせて彩られる。表情は明るく曇りはない。全身で表現される美しさは天国の神にも負けないくらいだ。
いつか見た自然に溶け込む美しい舞に、鬼灯と白澤は目を奪われていた。

「綺麗だな……」
「悔しいですが同感です」
「なんというか、本当はこんな大勢に見せたくないよ。彼女の魅力を他の人が知ったらなんか嫌だ…」
「……珍しく意見が合いますね」
「気持ち悪いな!でもまあ、そうだよな」

行くところがないと自信をなくしていた彼女を支えてきた二人にとっては、舞台に立つ彼女は少しだけ遠く感じた。
手元を離れてしまったような、そんな寂しさがある。けれど純粋に彼女の踊る姿を見るのは嬉しかった。
笑顔で踊る彼女は二人を惚れ直させるには十分だった。

「そろそろ本気で考えないといけませんね」
「何をだよ」
「彼女を手に入れる方法」
「な、お前…!」

毎回名前に言い寄っている二人だが、彼女が過去を乗り越えるまで本気にはならないと心のどこかで互いに感じていた。
弱っている彼女に付け入るのは簡単だ。過去を忘れさせて楽しい思い出に塗り替えてしまえばいい。けれどそれでは彼女は笑えない。舞台で踊る楽しそうな笑顔を見て改めてそう感じる。
彼女はもう大丈夫だ。それなら次にすることは?鬼灯は名前を見つめながらすっと目を細めた。

「あれは私のですから誰にも渡しませんよ」

低く呟かれた言葉は、この会場にいるすべての神や妖怪に宣言しているようだった。もちろん、一番に聞かせたいのは隣にいる神獣だ。
白澤は心底嫌そうな顔をするとふんと鼻を鳴らした。

「名前ちゃんを支えていくのは僕の役目だよ。お前は隅っこで見てるといい」
「そっくりそのままお返ししますよ。あなたが他の女性に目をくれている間、私はずっと彼女を見てきたんですから」
「僕だって今からそうするんだよ!」
「今から、の時点であなたに勝ち目はないですね」

涼しい顔して何を企んでいるかわからない鬼灯に白澤はイライラが募るばかり。確かに鬼灯はずっと名前のことを見ていた。
冗談で言い寄りはするものの、手を握ったり頭を撫でる以上の手は出さなかった。時に涙を流し、時に抱きしめたいくらいの笑顔で笑う彼女に、それでも鬼灯は一定の距離を保っていた。本当は抱きしめたくて、もっと触れたかったはずだ。

「お前、見た目に反して我慢強いんだな。強行突破とかしそうなのに」
「あなたとは違いますよ。しかしまあ、状況が変われば別ですよ」
「うわ……名前ちゃんは僕が守らないと」
「そんな隙があればいいですけどね」

こういう男ほど本気になれば一直線だ。名前が翻弄されていく姿を想像して、白澤は鬼灯を睨んだ。
名前が獄卒なのもきっと初めから計画通りだ。一番の手元に置いて時が来たら懐柔していく。何百年と綿密に練られた作戦が今決行されようとしている。

「重い男は嫌われるぞ」
「軽すぎるのもどうかと思いますが」
「だいたいお前は初めから名前ちゃんを独占してずるいぞ!」
「あなたがいい人ぶって手をこまねいているからでしょう」
「強引に獄卒にしたのはお前だろ!名前ちゃんはまだ決心してなかったのに」
「いやあ、あのときはひやひやしましたよ。あのときの彼女なら獄卒よりも薬局で働いたほうが心身的に楽ですからね。上手く丸め込めることができてよかった」
「くそ……この闇鬼神!」
「なんとでも言いなさい。間抜けな極楽蜻蛉」

華やかな舞に心を奪われている観客の中で二人は変わらずいがみ合いを続けている。名前は舞台の上からその姿を見て微笑んだ。

「また喧嘩してる」

こんなときでも二人は仲が悪い。初めて会った日から二人は眉間に皺を寄せて睨み合っていた。最初は怖くて不安だったが、彼らの優しさに触れてからいがみ合いの光景は楽しいものになっていた。二人が争っていることで自分は平和の中にいるんだと実感できる。くすりと笑えば一時停戦して、ちゃんと自分を見てくれる。
あの時どれだけ助けられたかと思い出せば、この数百年のことが頭を駆け巡り思いがこみ上げてきた。
楽しかったな。そう心の中で呟けば、これからの未来を想像する。

いつも二人が冗談でやっていたことは名前の心に大きく関わっている。手を握られ優しく励まされれば心は大きく揺れた。
二人には感謝をしている。不安なときに、寂しいときに、嬉しいときに、必ず彼は傍にいてくれた。ずっと自分のことを見つめてくれていた。
ふと彼のほうに目を向ければ、言い合いながらも視線は自分のほうに向けられている。ちゃんと見ていてくれることが嬉しくて、名前の胸に温かい気持ちが宿った。
その瞬間、踏み出した足が運悪くもつれてしまった。

「あ……」

二人のためにも絶対に成功しなくてはと思っていた舞台の上で名前は転んでしまった。
舞に見とれていた観客たちはどよめき心配する。名前は思いもよらぬ失敗に体が強張っていくのを感じた。すっと意識が遠くなるような不安がこみ上げ立ち上がれない。
自分を見ている観客の目が、生前憑依されたときに見た怯えるような目に見えて怖くなる。彼らは敵だ。そんな思いが心を支配していく。
せっかくここまで来たのにやっぱり過去からは逃げられない。絶望していく中で彼と目が合った。

「鬼灯様……」

慌てる白澤の横で鬼灯だけはじっと名前を見つめていた。そして、舞台に上がる前に言っていたことを実行していた。
鬼灯は転んだ名前を馬鹿にするように笑ったのだ。

鼻で笑い飛ばした鬼灯に白澤は怒りを覚えて掴みかかる。もし失敗のせいでまた過去に囚われたらどうするのだと。しかし鬼灯は名前をまっすぐ見つめるだけだ。

「さすが名前さん、転ぶと思いましたよ」
「お前な……!!」
「大丈夫ですよ。彼女は強いですから」

心配はいらないと言う鬼灯に白澤も舞台を見る。立ち上がらない名前に運営の人たちが駆け寄るが、名前は自力で立ち上がると彼らに笑顔を向けた。大丈夫です、とそう言っているように見えた。
名前は再び手を広げると舞を続けた。迷いのないその動きに白澤は安心したように胸を撫で下ろした。

「よかった……お前、何したんだよ」
「別に、転んだら笑うと言っていたので、そうしただけですよ」

何もなかったかのように無表情で言う鬼灯に、白澤は彼女の表情を見て面白くないと呟いた。
彼女の表情はどこか照れているように頬が桃色に染まっている。まるで恋をしている女の子のように、全身で嬉しさを表現しているようだった。

「妬かせてくれるなぁ、もう」

そう呟きながら、白澤は笑顔で名前を見つめた。


***


やがて演技を終えると、観客の賞賛の声もそこそこに聞いて鬼灯と白澤の元へ戻ってきた。

「お疲れ様、名前ちゃん」
「お疲れ様です」

二人に迎えられ名前は楽しそうに笑った。

「ありがとうございます!でも…転んじゃいました」
「ええ、間抜けでしたよ」
「そんな…!」

恥ずかしそうに頭を掻くと鬼灯は励ましもせずに間抜けだと言い切る。名前はショックとばかりに大げさな表情を見せ、白澤は頭を撫でながら「かわいかったよ」と付け足す。
二人揃って馬鹿にしているようで気に入らないけれど、それでも嬉しかった。
転んだときはどうなると思ったけれど、鬼灯のおかげで最後まで演技ができたのだ。

「その……鬼灯様のおかげで立ち上がれました。ありがとうございます」
「私はただあなたのことを馬鹿にしただけですよ」
「そ、そうですよね!でも……」

あの笑った顔を思い出して名前はもじもじと視線を彷徨わせる。白澤はそれに気づいて面白くなさそうな顔をするが、鬼灯は気づかない振りをして「なんですか」と低く問い詰めた。
名前はハッと顔を上げると照れたように頬を染めた。

「いえ、なんでもないです!…お二人には感謝しないと」

からかって遊ぼうかと考えていた鬼灯は、名前の少し真面目な声に口を閉じた。白澤も感じ取ったのか静かに微笑む。
名前は二人に大きく一礼をした。

「ようやく過去と向き合えた気がします。これからは前を向いて歩きますね」

そう言って笑った顔がいつもより清々しくて自然だったのが過去を割り切れた証拠だろう。
鬼灯と白澤はそんな姿にようやく心から安心した。もう名前は大丈夫。そう、自信を持って確信できた。

「あなたの力ですよ」
「そう、僕たちは見守っていただけだからね」
「本当にありがとうございます!!」

ぱあと表情を明るくする名前は安心したように空を見上げた。心についていた枷が取れたかのように気持ちが晴れやかで、心なしか見慣れた景色も違って見える。広い空に心を躍らせていると、鬼灯が名前の手を握った。

「もう何も心配することはありませんね。名前さん、覚悟してくださいよ」
「え、何がですか?」
「これからは本気で行くということですよ」
「抜け駆けはずるいぞ!名前ちゃん、僕も本気出しちゃおうかな」

突然何を言い出すのかと握られている手を解こうとする。しかしがっちりと握られ解けそうにもない。
一体何に本気を出すのかと困る名前をよそに二人は再び睨み合いを始めた。

「おや、諦めたのではなかったんですか。勝敗はもうついているというのに」
「それはどうかな。余裕こいてると足元すくわれるぞ」
「物分りの悪い人ですね」

今日は何回喧嘩しているのかと名前は呆れたように、けれど楽しそうに微笑んだ。

「仲良くしましょうよ」

名前の声で二人は口を閉じ一時休戦する。
まだまだ祭典は盛り上がりを見せる。天国の桜の木の下で、三人はいつものように声を上げて楽しんでいた。
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