あたたかな夜


夜遅くに帰って来た鬼灯様は珍しく疲れているようだった。
帰ってくるなり真っ先に私のところへやってきて、何の前触れもなくぎゅ、と抱き締めてきた。久々の温もりについ頬が緩んでしまう。抱き締め返すとさらに腕の力が強くなった。

「おかえりなさい」
「ただいま」

短く返事をして甘えるように顔をすり寄せてくる姿は稀に見るデレッぷりだ。疲れているのだろうか。けれど心配するよりも嬉しさの方が勝ってしまう。こんな鬼灯様はなかなか見られない。

「お疲れ様です」

返事をするのも億劫なのか「ん」とだけ言って目を閉じる。だんだんと脱力し私にかかる体重が重くなっていく。いつもなら心地いい重さもこのままでは押し潰されて支えきれなくなってしまう。
重さに負けて一歩二歩と後ろに下がりながら鬼灯様をなんとか支えた。でもこれ以上は無理かもしれない。

「鬼灯様、もう無理……」

体を支えようと後ろに下げた足が重さに耐えきれず膝を折った。そのまま後ろに傾いて鬼灯様と一緒に床へと倒れ込んだ。
後頭部をぶつけた私は頭をさすりながら、上に乗っかる鬼灯様の頭を小突いた。
倒れた衝撃で目を覚ました鬼灯様は少しだけ上体を起こすと私の後頭部に触れた。こうして上から見下ろされるのはいつになっても恥ずかしくて、思わず視線を逸らしてしまう。鬼灯様は構わずぶつけたところを撫でた。

「すごい音がしましたよ。たんこぶができてる」
「誰のせいですか……」
「名前さんの抱き心地がよくてついうとうとと」
「もう…頭痛いです」

たんこぶのできてしまった頭がじんじんと痛む。鬼灯様はそこを優しく撫でながら、ごろんと私の横に寝転がった。眠たげな瞳で見つめ、自然と腕枕を差し出してくる。たんこぶが痛いからと私も横になると、ますます鬼灯様と近くなった。
息がかかるような近い距離。初めてでもなんでもないのに妙に胸が高鳴った。気だるげな表情はいつもよりもだらしなくて、すり寄るように近づいてくる姿が動物のようだった。
人懐っこい犬というよりも、気まぐれな猫のよう。珍しい行動にまたもや心が奪われ、普段見られない姿だからこそ妙に恥ずかしくなる。

熱くなっていく頬に鬼灯様は小さな口づけを落とした。胸がどうしようもなく疼いて仕方ない。相変わらず眠たそうな目に見つめられ、その鋭さと気だるさに射止められて視線が釘付けになってしまう。

「そんなに顔を赤くして、どうしたんですか」

ぴと、と大きな手が頬を撫でていく。なぜ今さらそんなに照れているのかと瞳が訴えていた。

「別に何でもありません」

探られるのが嫌で鬼灯様の胸に飛び込んだ。こんな至近距離で見つめられるなんて心臓に悪い。
鬼灯様には内緒だけど、私は彼の弱った姿が好きなのだ。朝の寝ぼけた表情や、仕事に疲れて帰って来た表情。目の下に隈ができてると心配になるけど、その鋭い瞳で見つめられたら嬉しさに胸が締め付けられる。
だるそうな声も、眠そうな声も、どれも私を追い詰めていく。

「頭打っておかしくなりましたか?」

鬼灯様は私を受け入れるように抱き締めると耳元で話す。いつもより覇気のない声が鼓膜を伝って体を震わせた。

「鬼灯様がおかしいんです。早く寝たほうがいいですよ」

鬼灯様のせいでこんなことになっているのに。思わず唇を尖らせた。疲れているんだから早く寝ろと、恥ずかしくて早く寝てほしい気持ちのほうが多いことは秘密にしておこう。
鬼灯様は再びぎゅっと抱きしめてきて目を瞑った。

「寝ますよ。このまま眠れそうです」
「床で寝るんですか?」
「名前さんがいるならどこでだっていいです」
「なっ……」

寝ぼけているのかわざとなのかわからない。そういうことをさらりと言ってのけるから困るんだ。それに、鬼灯様は普段そんなことを言わないから余計に。
胸の音が聞こえてしまいそうで、真っ赤な顔から全身が熱くなっていく。逃げるようにして腕から抜け出せば、鬼灯様は私を追うように手を伸ばした。

「どこ行くんですか?」
「ゆ、床でなんて寝れませんよ」

寝室に逃げようとすると起き上がった鬼灯様が後ろから抱きしめてきた。そしてずるずると引きずられるようにしてついてきた。
どうしよう、もう胸が持ちそうにない。今日はなんだか変な日だ。
寝室にたどり着けばもそもそと布団の中へ入っていって、鬼灯様は寝転がりながら私を見上げた。

「ほら、入らないんですか?寝ますよ」
「は、はい……」

とんとんと布団を叩いて促され隣へと横になる。鬼灯様はすかさず私を抱き寄せるとすぐに目を瞑ってしまった。今度こそ眠ってしまうのだと思うとほっとするけれど、どこか寂しい。
いつもはこんなに甘えられることなんてないし、直接的な言葉だって言ってはくれない。だからもう少しだけ起きていたかった。

「鬼灯様」
「……話なら明日にしてください」

もう限界ですと言いながらなんだかんだ返事はしてくれる。眠たげな声が心をくすぐって心地いい。
こんなにもドキドキすることなんて久しぶりで、付き合って何年と経ち、だんだん言わなくなってしまった言葉を無意識に呟いた。

「好きです、鬼灯様。大好き」

自分で言っておきながら恥ずかしくて顔を染めてしまう。互いがそう思っていることなんて知っていて、わざわざ言い合うことも少なくなった。だからこそ改めて言うとこそばゆい。
眠ってしまった鬼灯様を見つめて、起きていなくてよかったと安堵する。気を紛らわせるようにして目を瞑れば、耳元に寝言のように不鮮明な声が聞こえてきた。

「私も好きですよ、名前さん」

確かにそう聞こえて、目を瞑っても羊を数えてみても、その日は眠ることはできそうになかった。


***


翌朝いつも通り朝ごはんの準備をしていると、まだ眠たげな鬼灯様が欠伸を零しながら起きてきた。数分後にはいつものキリッとした表情に戻ってしまうのが惜しくて、でもあの無表情で身の引き締まる表情も好きだ。
昨夜からなんだか調子がおかしくて、鬼灯様のことを考えると頬が緩んで元に戻らない。身だしなみを整えた鬼灯様は私を見て首を傾げた。

「名前さん、何かいいことでもあったんですか」

鬼灯様はきっと昨夜のことなんて覚えていない。私が鬼灯様の声に、表情に、仕草に照れていたなんて知られるのも恥ずかしい。
だから鬼灯様には内緒にしておこう。

「秘密です」

そう言って笑えば鬼灯様は顔を顰めて問い詰めようとしてくる。そんな表情まで大好きで困ってしまう。
隠し事ですか、なんて詰め寄ってくるのをかわしながら、いつもの鬼灯様と戯れる。
鬼灯様には悪いけれど、また疲れて帰ってこないかな、なんて。そんなことを思いながら、結局は昨夜のことを話す羽目になって、真っ赤になるまでからかわれるのだ。
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