チョコレートなんて


おはようございます、の代わりに鬼灯さんが取った行動は手を差し出してくるという、わけのわからない行動だった。
これはあれかな。手と手を取り合って滅びの言葉でも唱えるのだろうか。確か鬼灯さんはそんな映画が好きだ。
向かい合ったまま数秒。しんと静まり返る廊下はなにやら不穏な空気を醸し出している。
なぜかこのあと理不尽なことをされるような気がしてならない。退散しようか。一歩後ずされば鬼灯さんは私の腕を掴んだ。

「今日が何の日か知らないんですか?」
「今日?誕生日ですか?」
「違いますよ。周りをよく見てみなさい」

周り、周りねぇ…。
なぜかここ最近漂う甘い空気。女性獄卒は可愛らしい包みを持っていて、男性獄卒はなにやらソワソワしている。
確か今日14日はバレンタインで………バレンタイン!?まさかこの上司、私からチョコレートが欲しいのだろうか。こんな凶悪な顔してハート型のチョコレートでも食べるのだろうか。
失礼なことを考えていると見透かされて、さっそく一発食らった。

「痛い…」
「鬱陶しいくらいそこかしこで宣伝してたでしょう。なぜ準備をしないんですか」
「まさか欲しいだなんて思いませんよ。それにたくさん貰うんだからいいでしょう?モテモテな補佐官様」

鬼灯さんの後ろの方で壁越しにこちらを窺う女性がいる。それも一人ではない。
きっと鬼灯さんにチョコレートを渡すんだ。彼女がいてもお構いなくモテる。きっと執務室の机には色とりどりの箱が置いてあるんだろうな。
面白くないなぁ…なんて思っていれば、鬼灯さんは私の視線を遮るように目の前に立った。

「名前以外のはいりませんよ。全部亡者にでもくれてやります。ですからさっさと作ってきなさい」
「作るって今からですか?仕事があるので無理です。というか鬼灯さんなんか10円チョコで十分……」

馬鹿にしたように言っていればものすごい睨んでくる。これはまた恐ろしい。受け止めるだけで石になってしまいそうだ。チョコレートに毒でも仕込んでおいてやろうか。
上司命令とか言って職権乱用する鬼灯さんも浮かれている獄卒たちと同じだ。昨日まで「またこの季節ですか」とうんざりして文句を言っていたくせに…!
ほら、と背中を押されて向かうは食堂だ。一角を借りたとかなんとか、作らせる気満々じゃないか。振り向いて睨むと鬼灯さんは小さくため息を吐いた。

「そんなに嫌ならいいですよ。無理やり作らせるのは人としてどうかと思いますし」
「人としての行動をしたことがこれまであるんですか?」
「その発言は覚えておくとしましょう。で、どうしますか。作らないなら食堂の方にキャンセル入れますので」

携帯を取り出す鬼灯さんは今にでも通話ボタンを押そうとしている。
そ、そう言われるとなんかさ……。ほら、また鬼灯さんの思い通りだ…!

「つ、作りますよ。作ればいいんでしょう!お腹壊しても知りませんからね!」
「楽しみに待ってます」

最初から電話なんてかける気がなかったのか、私が口を開いた時点で携帯は懐に仕舞われる。
また鬼灯さんの口車に乗せられて…もう知らない。なるようになれだ。
楽しみと言った鬼灯さんの口元が少し嬉しそうで、複雑な気持ちになりながらその場をあとにした。
冷血鬼神のくせに恋のイベントに積極だなんて、全っ然似合わない。


***


食堂のおばさん方にからかわれながらチョコレート作りは順調に進んだ。
健気だね、とか言われても作らされてるような気がして腑に落ちない。でも結局引き受けたのは自分だし。
チョコレートを固めている間は仕事をして、数時間後に仕上げを行う。視察ついでに調達してきた箱にチョコレートを詰めれば完成だ。
自分用の箱に残りのものを詰めながら食堂を後にすると、おばさんたちはやっぱり最後まで私をからかっていた。
くそう、こんなことなら最初から作っておけばよかった。

「あ、唐瓜さんと茄子さん」

廊下を歩いていれば見つけた小さい背中。声をかければ二人は振り向いた。やっぱり可愛い後輩たちだ。癒されるなぁ。

「よかったら食べる?感想を聞きたい」
「わぁ、チョコレートだ!」
「いいんですか?」

箱を開ければ甘い香りがふわりと漂う。二人は目を輝かせながら綺麗に並ぶ生チョコレートを見つめた。
ああ、こんな反応してくれるなら作った甲斐がある…!あの上司にこんな反応を求めても無駄だし。どうぞどうぞと箱を差し出せばひとつずつつまんだ。

「おいしい!」
「名前さんが作ったんですか?」
「そうだよ。どうしてもチョコレートが欲しいっていう人がいるから。たくさん貰ってるくせに嫌がらせかあれ」

その言葉で二人は理解したようだ。
今日鬼灯さんの元に集まったチョコレートは一体どれだけあるのだろうか。それも鬼灯さんのではなく私の仕事机がチョコレートで埋まっている。私の机物置じゃないんだけど。
思い出したら今すぐこのチョコレート投げつけたくなってきた。
とにかく味はこの二人に「おいしい」と言ってもらえたから大丈夫だろう。あまりにおいしいそうに食べてくれるものだから、ついつい「もうひとつどうぞ」と手に乗せる。その瞬間背中にとてつもないプレッシャーを感じた。これは……。

「恋人よりも先に手作りチョコをあげる男がいたのですね」
「いや、この子達には味見を」
「だらしなく頬を緩めて、一つも下心がないとお思いですか?」

三個目に突入していた二人が「しまった」というように手を引っ込めた。
この二人にそんな感情がないことくらい知っているだろうに、この上司は。早くチョコレートを渡してしまおう。

「鬼灯さんの分はありますから。はい」
「二人には手渡しして、私には投げて寄越すのですか。そうですか」
「何を怒ってるんですか。わかりましたよ。食べさせてあげますよ。恥ずかしい思いでもすればいい」

綺麗にラッピングしたリボンを乱雑に解きながら箱を開ける。
怒っている理由はよくわからないけど、鬼灯さんもバレンタインに浮かれている男たちと同じなのだということはわかった。
あーんしてやる。部下の前で醜態晒せばいいんだ。チョコレートを一つつまんで鬼灯さんの口元へ運ぶ。「あーん」なんてからかっていれば、鬼灯さんは口を開かない。

「どうしたんですか?食べないんですか?ほら、あーん」
「名前さん絶対遊んでるよな…」
「鬼灯様の顔が怖い」

二人がなにやらヒソヒソしてる。廊下の真ん中で騒いでいるせいか、いつの間にか他の獄卒も集まってくる。
さすがの鬼灯さんでも恥ずかしいことだろう。顔すっごく怖いけど、やり返せた気分で少し嬉しい。
余裕を見せて「ほらほら」と急かしていれば、鬼灯さんがやっと口を開いた。けれどチョコレートを食べてくれるわけではないらしい。

「食べさせてくれるんでしょう?それなら名前が口に咥えなさい。そうしたら食べてあげます」
「なんですかその少女漫画みたいな渡し方!」
「あなたが食べさせてあげると言ったんでしょう。食べたいので早くください」

あれ、どうして形勢逆転?そもそも鬼灯さんが食べたいと言い出したのになぜ上から目線。どうして私が恥ずかしい状況に陥ってるの?鬼灯さんの顔、また面白がってる表情だし…!
そしていつの間にかまたギャラリーが増えている。お前ら仕事しろよ!さては鬼灯さん、こうなることをわかっててやったな…!

今度は私が急かされ、文句を言ってみても通用しない。これは逃げるしかないかもしれない。
鬼灯さんに食べさせるためにつまんでいたチョコレートが体温で溶けはじめている。一端落ち着こうとそれを自分の口に放り込めば、鬼灯さんが驚いたように目を開いた。

「こんなに人がいるのに大胆ですね」
「何がですか」

我ながらうまく作れたなと思っていれば、鬼灯さんは私の唇を塞ぎ舌を滑り込ませてきた。
わけがわからなくて貪られていれば、ギャラリーたちが息を呑んで見守っている。見世物じゃないよ。それなら騒いでいてくれたほうがマシだよ。
鬼灯さんはチョコレートを舐め取るように口内を蹂躙し、やがて熱っぽい表情で離れた。いつの間にか私の顔も熱くなって、交わる視線はこの時間から送るものではない。
ふう、と一息吐いていつも通りに戻る鬼灯さんは、けろりと感想を述べるのだ。

「おいしかったですよ。まさか名前がそこまでしてくれるとは思いませんでした。なかなか刺激的でクセになりそうです」

満足そうな鬼灯さんは箱を取り上げるとお礼を言う。そして目を細めて声を低くした。

「あとでもう一度、ゆっくり楽しみましょう」

妖艶なその色気に女獄卒たちがきゃあきゃあと騒ぎ出した。
私はというとそれを呆然と見送り言葉の一つも出てこない。なぜだか私が大胆な行動を取ったことになっている。それよりも予想していなかった出来事にショート寸前だ。

「やっぱり毒仕掛けておくんだった……!」

まだ冷めない熱さを冷ますように、騒がしい廊下から逃げ出した。
もうチョコレートなんて作ってやるもんか。
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