きっと呪いだ


「遅刻遅刻……!」

なんて考えながらパンを咥えて廊下を走る。
こんな少女マンガみたいなことあるわけないと思っていたけど、出勤途中に朝食を取らざるを得ないくらい出勤時間は迫っている。
これで廊下の角で誰かとぶつかりでもしたら本当に少女マンガだなとか、そんなこと考えている場合ではない。早く行かなければ怖い上司に怒られてしまう。
時計の長針が12を示そうとしている。というかもう、指してない?これ遅刻?いやいや、私の時計がきっと狂っているんだ。そうだ。
もう少しで執務室だと角を曲がったところで誰かとぶつかってしまった。

ああ、こんな展開望んでいない。誰だぶつかってきたのは…!この間にも怖い上司が金棒担いで待ち構えているというのに…!
転ぶ…とぶつかった衝撃に目を瞑れば、そのぶつかった人が私の手を引いた。

「大丈夫ですか?」

ときめき展開のはずなのに、降ってきた声にときめきどころか肝が冷えていく。よりにもよってぶつかった人が鬼灯様だなんてついていない。顔を青ざめさせていれば鬼灯様も私に気がついたようだ。

「角でぶつかるなんてどんな美少女かと思えば、名前でしたか」
「私で悪かったですね」

何とか転ばずに済んだはいいけど、その手離してくれませんか。遅刻した私を逃さないと掴んでいるのかな。手首が痛い。
鬼灯様は私をじろりと見ると顔に手を伸ばしてきた。
この展開は……って、悪い意味でドキドキする。でこピンですか、目潰しですか。とりあえず歯を食いしばっていれば、鬼灯様は優しく肌に触れた。

「な、なんですか」
「いや、口にパンくずが。まさか「遅刻遅刻ー!」とか言って走ってきました?」
「……そんな少女マンガみたいなことあるわけないでしょう」

否定しながら口の周りを乱雑に拭う。鬼灯様はようやく手を離してくれた。
ああ、朝からすごいドキドキした。寿命が減りそうだ。
はあ、とため息をつけば上司である鬼灯様を見上げた。遅刻したことについてのお叱りはこれからかな。…怖いな。
それよりどうして鬼灯様がこんなところにいるんだろう。しかも手ぶらだ。出かけるなら金棒を持ってるし、仕事なら書類を持ってるし。
疑問に思っていれば、鬼灯様は後ろから聞こえてきた声に少しだけ振り向いた。

「どうしたんですか?後ろを気にして」
「ああ、少し厄介なのがいて。今度のお祭りのお誘いですよ」
「うわ…モテる鬼神様は大変ですね」

嫌味だろうか。盂蘭盆祭のときもそうだったけど、お祭りの前は鬼女たちが鬼灯様を誘いに訪ねてくることが多かった。
いちいち構うのも面倒だと不在ということにしてるらしい。そこで私とぶつかったと。
でも遅刻のこと怒られなさそうでナイスだ鬼女たち。

このまま怒られるのを回避し仕事を始めようと執務室に歩き出したところだった。前方に例の鬼女たちが歩いてきていて、鬼灯様の名前を呼んでいた。
鬼灯様は何を考えているのか、私の腕を引き廊下の壁に押し付けた。
わあ……ドキドキする。そんな怖い顔で見下ろされたら足が震えてきちゃう。

そういえば今朝の占いで「怖い上司を持つあなた、少女マンガみたいな体験ができちゃうかも」って言ってたような。
さすが神獣、鳳凰様の占いだよね。あれもう予言だからね。
鬼灯様は廊下の向こうから歩いてくる鬼女をちらりと見たあと、私の顎に手を添えた。
そのまま顔を持ち上げられ怖い顔と目が合う。超至近距離で、さすがにちょっとドキッとした。だって鬼灯様って普通にかっこいいし。
一体何をしているのかわからなくて苦笑を浮かべていれば、鬼灯様はそのまま顔を近づけてきた。

「鬼灯様、さすがにそれは……」
「大丈夫です。しませんから」

そう言って鬼灯様は鬼女たちを勘違いさせるようにキスをするふりをした。あちら側からみたら完全にしてるように見えるだろう。
何を魂胆にこんなことしてるんだろう鬼灯様は。突拍子もないことされてもついていけない。
鬼女たちの悲鳴のようなどよめきが聞こえてくる。鬼灯様は今気がついたように鬼女たちに振り返った。そして何も言わずに私の手を握った。

「鬼灯様、説明してくれます?」
「見てのとおりです。これでもう誘いには来ないでしょう」
「人を使わないでくださいよ……私刺されたらどうするんですか」

怖くて後ろが振り向けない。変なことに巻き込まないでほしいなもう。
またため息をついていれば、獄卒が鬼灯様を呼んだ。
変なことしてるけど勤務中だった。なにやら確認してほしいことがあるようで、私は鬼灯様を置いて執務室に戻った。

「それにしてもあの占いはすごいなあ……」

さすがにもう少女マンガ的展開はないだろうと、さっきまでのことを思い出す。
あれだけやればもうないはず。朝からドキドキするなんて、本当に寿命が減りそうだ。
さて仕事だと書類に視線を落としたところで、視察のことを思い出した。そうだ、今日は私が視察に行くんだった。


***


近くにお祭りがあるからか、大通りはその準備に追われる鬼たちが行きかっていた。提灯などが通りに設置され、大きなやぐらも立てられている。
盂蘭盆祭も終わったのに秋のイベントだとかなんとか。鬼はお祭りが好きらしい。
視察も終えて帰るところ、なにやら数人の男たちが話しかけてきた。
金棒持ってるから獄卒だ。刑場で何かあったとか、厄介ごとだったら嫌だな……。そう思いながら挨拶を交わす。

「名前様、お疲れ様です」
「お疲れ様です。どうしました?」
「もうすぐお祭りですね!」

そうだね。もうすぐお祭りだね。それがどうしたんでしょうか。
獄卒たちはソワソワしちゃって、そんなにお祭りが楽しみなのだろうか。仕事に関係ない話はスルーしてもいいだろうか。早く帰らないと怖い上司に怒られてしまう。
適当に頷いて会釈して帰ろうと思ったら引き止められてしまった。

「名前様、もしよかったら俺と一緒にお祭り行きませんか?」
「あ、ずるいぞ。俺も誘おうと」

もしかしてこれは。いや、まさか。もうお腹いっぱいになるくらい占いの効果はあったじゃないか。
少女マンガ特有のモテモテってやつですか。私はそんなモテキャラじゃないはずだ。立場も立場だし誘われることはあるけども…。
俺と僕と、と迫ってくるのを見ていると少しだけ鬼灯様の気持ちがわかった。鬼灯様、ここ最近毎日こんな状況だったし、確かに面倒かもしれない。

「すみませんがお断りします。仕事に関係ないことしてないで持ち場に戻ってください」

きっぱり言ってみても獄卒たちは笑うばかり。
わー、私モテてるよ。鬼灯様に自慢しなきゃね。なんて心の中で棒読みしていれば、後ろから聞きなれた声が聞こえてきた。
あ、まさかこれもそういう展開ですか。

「名前、何やってるんですか」
「出た、ヒロインを救出するイケメン」
「は?…まったく、あなたたちも何してるんですか。持ち場に戻りなさい。名前の予定はもう決まってるんです。散った散った」

なんだか自然に手を握られて、いつから握られていたのかわからない。
獄卒たちはそれを見せ付けられ、各々肩を落としながらも一目散に持ち場に戻っていった。
さすが鬼灯様。そんなに睨みつけたら逃げていきますよね。怖い怖い。

「手間かけさせないでください。あんなもの適当にあしらってくださいよ」
「私今日、変な呪いにかかってるんですよ。仕方ないです」
「意味わからないこと言ってないで戻りますよ。あなたの持ってるその書類、必要なんですから」
「すみません」

パッと手を離されて歩き出す。私はその背中を追いかけた。手を握られたくらいでちょっと照れた自分が悔しい。
この少女マンガな呪い早く消えないかな。

握られた手を見て歩いていたら、突然後ろから抱きしめられた。驚いて振り向いたら、また嫌な予感がした。
白澤様が人懐っこい笑顔で何か言ってる。それ中国語で「こんにちは」だっけ。
それよりもこれはライバル登場の予感。まだ呪いが続いてるよ。勘弁してよ。この二人本当に相性悪いから!

「名前ちゃん奇遇だね。これはもう運命だね」
「離してください。死ぬ前に」
「えー?死ぬ?それよりさ、今度のお祭り一緒に……」
「死ね!」

ああほら、だから言ったじゃないか。鬼灯様後ろ見えないくせによく反応できたな…。白澤様が血を吐きながら地面に倒れた。
鬼灯様は私を庇うように立つとものすごい睨みを利かせて白澤様を見下ろしている。絶対怖い顔になってる。だって、後ろからでもその禍々しいオーラが確認できるから。なんて恐ろしいんでしょう。
白澤様は痛いと抗議しながら立ち上がった。

「わいせつ行為で警察呼びましょうか?」
「ただの挨拶だろ。名前ちゃん嫌がってないし」
「犯人はみんなそう言うんです」
「しれっと名前ちゃんの手握ってるけど、お前こそセクハラだろ。訴えられてクビになれ!」

また始まった…と見ていれば、白澤様の言葉で気がつく。また手を握られている。
手に磁石でもついているんじゃないだろうか。指摘されるとなんだか恥ずかしくなってくる。

「鬼灯様、何も手を繋がなくても」
「白豚にはっきりわからせてやろうと思って」
「何をですか」

鬼灯様の意図が全然わからない。どういうことかと説明を求めれば、鬼灯様は白澤様に見えるよう私と唇を重ねた。

「なっ……お前何やって……!」
「名前さんが私のものであると、しっかり言っておかなければいけないでしょう?」

白澤様が信じられないという顔して震えている。私も同じような顔していいかな。
これは呪いの効果なんでしょうか。鳳凰様の予言どおりなんでしょうか。突然のことに頭がついていかない。確かに少女マンガ的展開だけども!
顔が赤くなっていくのがわかって、その表情のまま鬼灯様を見つめた。驚きすぎて口が開かなかった。
ぴたりと体を固まらせた私の顔の前に鬼灯様は手を振った。

「フリーズしてしまいました」
「何やってんだよお前!何!?そういう関係だったの!?」
「そうですよ。それにも関わらず後ろから抱きつくなど万死に値する」
「知らねえよそんなこと!だって……ねえ、名前ちゃん、コイツの言ってること本当なの?」

私が聞きたいくらいだ。鬼灯様、何を勝手なことを……。
朝から色々あったせいで余計に混乱してくる。もう意味わからない。

「私仕事があるんでお先に失礼します」

とにかく頭を冷やそうと、その場から逃げるように二人に頭を下げて歩き出した。
白澤様がまだ何か言っているけど、私もよくわからないから説明できない。
しばらく歩いていると鬼灯様が隣に追いついてきた。そしてまた手を握った。

「驚かせてしまったようですね」
「鳳凰様の占いってすごいですね」
「鳳凰様?ああ、毎朝やってる占いですか」

占いに興味ない鬼灯様も、あの占いだけは信じている。あれは占いではなく単なる予言だ。神の言葉に偽りはない。身を持って体験するなんて思っても見なかったけど……。
鬼灯様も今日の占いを見ていたのか思い出すように首を傾げていた。

「全部予言どおりだと思ってるんですか?」
「だってそうでしょう。本当に少女マンガのヒロインになった気分です」
「予言は最初だけだと思いますよ。そう一日に何度も起こることなんてないでしょう。廊下でぶつかったのだけ予想外でしたので。しかし、色々とタイミングが重なったのは予言のおかげですかね」

鬼灯様はさらりとそう言う。それは、ぶつかったの以外わざとだということ…。
ちらりと鬼灯様を見上げると目が合って、その表情がどこか楽しげだった。
お祭りに誘う鬼女が鬱陶しくてあの行動を取り、私とお祭りに行く約束があるように言いふらし、白澤様が誘ってくるのを見計らって関係を見せ付けた。それがすべて計画済み……とか。

「思い通りですか?」
「ええ、上手くいきました。神も援護してくれたみたいですし」
「もう、何なんですかいきなり……」
「そろそろ見ているだけではつまらないので」

鬼灯様はそう言うと立ち止まった。思わず私も足を止めてしまう。
向かい合うと鬼灯様は繋いでないほうの手で私の頭をぽん、と撫でた。

「好きですよ、名前。お祭り一緒に行きましょう」

鬼灯様なんてただの上司で、鬼女にモテる高嶺の花で、全然意識してないかといわれたら嘘になるけど、まさか好きになることなんてないと思っていたのに。
この気持ちは呪いのせいだ。神獣と鬼神の仕組まれた呪いだ!絶対そうだ。

「私も好きです。お祭り行きます」

ぶっきらぼうに答えたら、今度は優しく抱きしめられた。
怖い鬼灯様の顔が少しだけ優しくなった気がした。
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