出張編 3


仕事を終え家に帰れば箪笥を漁る。現世に着て行く洋服を引っ張り出せば、心を決めた。
寂しかったら来ていいですよ、と合鍵は渡されていた。思えば、合鍵を渡しておいて浮気なんてするはずないとは思うが、一度疑ってしまえば本人に聞くまでモヤモヤは晴れない。
着慣れない洋服に身を包みながら、現世の地へ足を踏み出した。

事前に渡されていた紙に書かれた住所にやってくる。丁寧に地図まで書かれていてわかりやすい。
鬼灯さんが住んでいる部屋の前まで来れば、妙に緊張する体の力を抜くように深呼吸をした。
誰かと一緒にいたらどうしよう。この期に及んでまだ少しだけ不安が残る。突然訪ねていいものかと、携帯を取り出した。

「いなかったら困るし」

いなかったらいなかったで不安になる。そう理由をつけて鬼灯さんの携帯番号を表示する。
また女性が出たらどうしよう、と思いながら恐る恐る通話ボタンをタップした。
一つ、二つと聞こえるコール音に心臓がドキドキする。三つ目で鬼灯さんの声が聞こえた。

「鬼灯です」

短いその声がどんなに聞きたかったか。思ったよりも不安になっていたようで、その声を聞いただけで安心する。
本人が出たことにひとまずホッとしていれば、鬼灯さんが用件を尋ねるように私の名前を呼んでいる。
そうだ、なんて言ったら…。

「どうしました?寂しくなって声を聞きたくなりましたか?」

あ、ほらこの言葉。やっぱりそういうことを言う。
けれど恥ずかしがっている場合じゃない。大事なことを確認しなければ。

「今からそっちに行ってもいいですか?」
「おや、本当に寂しくなったんですか」
「……はい」

寂しいのは事実。たった数日会えないだけでこんなにも不安だ。私の返答に鬼灯さんは少し驚いているようだった。

「そうですか。じゃあ、私がそっちに行きますよ」
「いえ、私が行きます」

そう伝えれば、鬼灯さんは少しだけ黙った。その間が何を表しているのかわからなくて怖い。電話の向こうでカタリと音がした気がした。
まさか、誰かいるんじゃ。でも、今のは何か物を置いた音かもしれない。はい、とすぐに了承しない鬼灯さんに不安になる。

「行ったら都合の悪いことがあるんですか?」
「ないですけど。来るの大変でしょう?」
「いえ、もう来てるので」

持っていた合鍵を鍵穴に挿した。カチャリと開錠音が鳴って、ドアを開ける。
電話の向こうで鬼灯さんがまた驚いている。鬼灯さんもドアを開けたような音がして、部屋の奥から鬼灯さんの影が見えた。
数日振りに会えた鬼灯さんの姿に危うく抱きつきそうになった。携帯をしまいながらゆっくりと鬼灯さんに近づいた。

「どうしたんですか?」
「…別に」

電話してくることは予想していたみたいで、けれどまさか来るとは思っていなかったようだ。
鬼灯さんは私の腕の中に閉じ込めるように抱きしめた。久しぶりの触れ合いにどこか嬉しい自分がいる。
たった数日会ってなかっただけなのに…!無意識に身を寄せれば、鬼灯さんは私の頭を撫でた。

「寂しかったんですか?」
「……確認したいことが」

からかう気満々の鬼灯さんに一番聞きたいことを尋ねる。それさえ確認できればいい。早くこの不安を拭い去りたい。
不安そうな顔をしていたのか、鬼灯さんも何かを感じ取って静かに私を見つめた。

「どうして電話に出なかったんですか?」
「電話?」
「昨夜したんです」

そう言っても、鬼灯さんは「知らない」と首を捻るだけ。
着信に気がついていない?それなら、鬼灯さんがいないときに携帯を鳴らしたのかも。じゃあ、あの人は?

「女の人、誰ですか?」
「女の人?」

鬼灯さんは何も知らないで聞いてきてるのか、知っててとぼけてるのか。
無表情で全然わからない。もっと軽く聞き出そうと思ってたのに、どうしてこんなに問い詰める言い方になってるんだろう。
ぎゅ、と鬼灯さんのワイシャツを握り締めれば、鬼灯さんは私を落ち着かせるように手を握った。

「名前、わかりやすく話してください。昨日は会社の人たちと飲みに行っていたんです。着信は……」

確認する鬼灯さんは、昨夜私からの着信を見つけて驚いたような顔をしていた。

「すみません、気がつきませんでした。もしかしたら誰かが取ったのかもしれませんね。携帯、ポケットから落ちていたみたいで」

そう言いながら、鬼灯さんは私が考えていることをどんどん理解していく。
その着信を取ったのが女性で、私が何かを勘違いしてしまったというところまで。鬼灯さんは申し訳なさそうな表情を見せた。

「誤解しましたか」
「…しました」
「何もないですよ」
「わかってます。でも、不安なんです」

確かめないとずっと不安のままだから会いに来た。鬼灯さんがちゃんと何もないと言ってくれてよかった。
心を覆っていたモヤモヤが晴れていくような気がして、握られた手を握り返した。
鬼灯さんは私を宥めるように頭をぽん、と撫でる。
茶化してこないのは、私が不安だったのをわかってくれてるから。ここで茶化されたら、白澤さんが言ったように殴っていたかもしれない。



やがて気持ちの整理がついてようやく周りが見える。
一人暮らしにはちょっとだけ広い部屋。どこか新鮮なのは自分たちの格好が洋服だからかもしれない。

改めて鬼灯さんを見てみれば、ワイシャツ姿でネクタイはしていない。ラフな格好になんだかドキリとする。
これは…衣装マジックというやつですか。かっこよく見えるのは、私が鬼灯さんに惚れているからだろうか。
写真撮って女獄卒に見せたらどういう反応するんだろう。……売れそう。
そんなことを考えながらチラチラと見ていれば、鬼灯さんは私の額をでこピンした。

「なに見てるんですか。見るなら堂々と見なさい」
「別に見てませんよ。その格好も似合ってるな、なんて思ってません」
「褒めても何も出ませんよ」
「褒めてません!」

幻聴じゃないですか?と誤魔化しながらそっぽを向く。というか、でこピンされた額がすごく痛い…。
額を押さえていれば、鬼灯さんは追い討ちをかけるようにおでこをつついてくる。酷い奴め。
逃げるように離れればドアノブに背中をぶつけた。

「痛い…ここは?」
「お風呂場とかの水回りです」
「じゃあ、あそこは?」
「寝室です」

へえ、と適当にドアを開けていれば、鬼灯さんは「座ったらどうです」と、落ち着きのない私に座るよう促す。
なんか、洋服だし環境が違うしソワソワしてしまう。会いに来たことをからかわれるのはいつかと身構えてしまうし。
事実確認もできたしこれで帰ろう。ほら、仕事まだ残ってるし。天国で油売ってたなんて知れたらまずいし。座ったら帰れなさそう。

「鬼灯さん、こんなところで暮らしてるんですね」

なんて、適当に会話をして帰る方向に……と思っていれば、寝室のドアに手をかけたところで鬼灯さんが反応した。少しだけ焦ったように私の手を止めた。

「鬼灯さん?」
「散らかってるので」

別に部屋を見たいわけじゃないけど、止められると気になる。
散らかってる部屋なんて、物でいっぱいな部屋に比べれば、たった十日間しか住まない部屋なんて綺麗だろうに。
もう一度ドアを開けようとしたら、鬼灯さんは「ちょっと待っててください」と一人で中に入ってしまった。
鬼灯さん、何か隠してるんですか。晴れていったはずのモヤモヤがまた顔を出した気がした。
すぐに私も中に入れば、鬼灯さんは何かを背中に隠した。

「散らかってないじゃないですか。今何を隠したんですか?」
「別に何も隠してませんよ」

明らかに後ろに何かを隠してる。部屋はベッドと机が置いてあるだけの無機質な空間。部屋を借りたときのままの状態だ。
そんな散らかっていない部屋を散らかっているといって見せない理由。また少しだけ不安になる。

「……うそ」
「嘘じゃないですよ。男には見られたくないもののひとつやふたつあるでしょう。一人なので満喫してると思ってください」
「鬼灯さんはそういうの隠す人じゃないでしょう」

見つめ合ったまましばしの沈黙。鬼灯さんはまっすぐな瞳を私に向けている。
嘘を吐いたら瞳を見ればわかるというけど、鬼灯さんの場合全然わからない。ポーカーフェイス、こういうときにずるい。
別に浮気とかしててもいい。それは私に原因があるから。でも隠されるのは嫌だ。
俯けば無意識に唇を噛み締めた。そして、地獄で一人不安になっていた理由を話した。

「鬼灯さんが現世でもモテるって聞いて、連絡してくれないのは何かあるからなのかなって考えたら不安だったんです。電話してみたら女の人が出るし、折り返しもしてくれないし、ずっと心配してたんです」
「名前……」
「私が悪いなら直しますし、ただの気まぐれならそれでいいです。なので、隠さないでください……」

思ったより今回のことが心に来てる。いつもの精神攻撃とは違う、鬼灯さんがどこかに行ってしまうような不安。
すっかり鬼灯さんのことが大好きで、傍にいないと駄目になっている。これ全部鬼灯さんのせいだ。
泣きそうな顔になっているのが自分でもわかる。鬼灯さんはなにやら頭を掻きながら考えていた。

「……わかりました。本当は出張が終わってからと思ってたんですが」

何を言われるのか怖い。近づいてくる鬼灯さんの表情は、やっぱり何を考えてるのかわからない。
お別れだったら、どうしよう。
柄にもなく気弱な思考が頭を埋め尽くした。

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