指切り


隣で眠るただの客に私情を挟むことはありはしない。
金を貰って身を捧げて、どんなに酷い行為でも、どんなに優しい行為でも、客を満足させるために愛嬌を振りまく。

眠りにつくまで傍にいてくれというのなら、まどろみの中手を握って傍にいましょう。
体以外に興味はないと追い出されるなら、笑顔のまま無言で立ち去りましょう。

けれど「好きにしてください」と言われると困ってしまう。
客の思うまま身を捧げる私は、自分の意思で留まることも立ち去ることもできない。
結局動けぬまま客の言葉を待った。しかし彼は私を追い出すことも抱き寄せることもせずに眠ってしまった。

思考停止したまま見つめる先にあるのは彼の整った寝顔で、私と戯れているときに彼の表情は少しだけ歪む。
乱れる姿に満たされるのは一時の夢のようなもので、終えてしまえばただの客だ。そのはずなのだ。

「鬼灯様」

抱かれるたびに顔を出すその感情に、ただの思い違いと言い聞かせるのは当たり前のこと。
彼は客で、私は遊女。性交渉以外に会う理由はない。そこに別の感情を抱くこともあってはいけない。
名前を呟くだけで胸の奥が痛む。もし私が遊女でなければ進展も期待できたのではないかと。
彼と特別な関係になりたいと思うたびに、自分が遊女であることを悔やんだ。

規則正しく寝息を立てる彼を見つめる。目を覚ます気配のないことを確認すれば、布団の中から彼の手を取った。
男らしい骨ばった手を子供のような手で握る。互いの小指を絡ませれば目を瞑った。

「貴方のためなら指切りしてもいいなんて、私の身勝手でしょうか」

今ここで指を切れというのなら切ってみせましょう。
そんなこと言ったら彼はなんと言うだろうか。答えは既にわかっていて、胸には虚しさが広がる。
嘘ばかりの恋愛ごっこに身を置きすぎたせいで、本当の恋というものを知らない。もし指を切ることで証明できるなら。

独りよがりな考えに思わず笑みが零れた。なんて情けないんだろう。
そっと目を開ければ鋭い眼差しが私を睨みつけていた。

「鬼灯様、起きていたのですか?」
「手を握られて起きました」

絡まっていた小指を解かれ、浮ついた言葉を聞かれてしまったことに後悔した。
きっと、もう私は二度と彼と会うことはない。恋心を持った遊女なんて…。
別れを告げられるのが怖くてそっと目を伏せた。溜まっていた涙が零れ落ちたのはきっと気のせいだ。頬を伝うそれを彼は優しく拭った。

「遊女の貴女が客に恋心を抱くなど、落ちぶれたものですね」
「手練手管のひとつですよ。いつも鬼灯様が馬鹿にする言葉のひとつです」
「では、なぜ泣いているのですか」

いつも口説も通用しない彼がこのときだけその言葉を本気と受け取った。私が本気で言ったとわかったからだろう。
彼は聡いのだ。私が考えていることを読み取って、逃げ道をなくす。もしかするとこんな状況になっているのも、彼の仕業なのかもしれない。
泣いているのも演技だと言ってみせても信じるわけが無く、彼は私の手を取って小指を抓んだ。
潰されるように力が込められ、そうしていれば千切れてしまいそうだ。

「痛いです」
「指切りしてもいいと言ったのは貴女でしょう?」
「からかわないでください。受け止める気なんてないくせに」

手を引っ込めようとしても力には敵わず、細い小指は悲鳴を上げるように軋む。
痛みもだんだんと麻痺していき、千切れたといわれれば本気にしてしまいそうだ。
彼は私をただの遊女としか見ていないのに、こうしてからかうのは遊女としてあるまじき感情を抱いたからなのだろうか。責められているようで涙は止まらなかった。

「私は貴女の指を受け取る気はありませんよ。もう二度とこうして貴女を抱くこともないでしょうね」
「……わかりました」

離された指にようやく血が巡る。じりじりと痛む小指はどうにか千切られてはいなかった。代わりに胸を引き裂かれるような言葉と視線が送られる。
彼と会うことがなくなるのなら、こんなことしないほうがよかった。客と遊女の関係を続けていたほうが幸せだったかもしれない。
そっと起き上がれば乱れた服を直す。彼はそれをじっと見つめていた。

「鬼灯様、今までありがとうございました」
「ええ。早々に遊女なんか辞めてうちに来なさい」
「はい……え?」

手持ち無沙汰な右手に煙管をくゆらせる彼はぶっきらぼうにそう言った。
これもまた彼の冗談だろうか。けれどこんな期待を持たせるようなことなど言うはずがない。
ゆっくりと紫煙を吐き出す姿がとてもじれったかった。

「遊女に恋心を抱くなど、私も貴女同様落ちぶれたものです。こんな男に指など切る必要はないですよ」
「私なんかで、よろしいのですか?私は今までいろんな方と……」
「愚問ですね。わざわざ聞くことですか?」
「…いえ、あまりに唐突なことで動揺しているんです」

まさか彼が同じ気持ちだなんて。私の身体は汚くて、どんな甘い言葉だって吐き出してきた。それでもいいと言うのなら、私はこの身を彼だけに捧げることができる。
まだ止まらない涙に彼はうんざりしたように煙管を置いた。泣き止めというように睨みを利かせ私を部屋から追い出そうとする。

「早く私のものになりなさい。そうすれば慰めてあげますから」
「少しは優しくしてくれてもいいと思います」
「遊女にそんなことしてやる義理はありません」

素っ気無い言葉に少しだけ嬉しくなる。とうとう部屋の外に追い出されて、彼はドアを閉めようとした。
私は慌てていつものように声をかけた。けれど台詞は違う。「また呼んでください」ではない、今度は自分から来るのだ。

「また来ます」
「はいはい」

彼はいつもと同じように返事をするとドアを閉めた。
その日の帰り道は、少しだけいつもと違って見えた。
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