居眠りに囁く


閻魔殿にある医務室の薬剤師として就職した名前は、新しい生活を始めていた。
鬼や動物、亡者と様々な人が働く閻魔殿で名前もしっかり溶け込んでいる。
まさか誰も元がウサギだなんて思わないだろう。

医務室で働く同僚も女性で、気の利く優しい先輩。たまに冗談を言って笑わせてくれるような楽しい職場だ。
人間になりたかった一番の理由は鬼灯だが、ウサギとしてあのまま極楽満月に就職していたら体験していないだろうことばかり。
名前は薬を調合しながら、足りない生薬をメモに書き連ねる。
楽しいな、と充実している生活に名前は一人微笑んだ。
メモを懐にしまいながら、生薬を調達するために医務室をあとにした。


医務室の業務もなかなか忙しい。大勢いる獄卒の健康診断や予防接種などの手配に、カウンセリングのようなこともしている。
そのため保健師がいないこともしばしば。そのときは外のドアに「不在」とかかっていて、その時間は獄卒もあまり訪ねて来ない。
それを見計らうように医務室に顔を出した鬼灯は、部屋を見渡して名前がいないことに少しだけ残念そうにした。

「名前さんも不在ですか。ついてないですね」

保健師が別の仕事をしているのを見て名前に会いに来たのだが、残念ながら名前も不在。
ちょっと出ているだけか、桃源郷に行ったのか。静かな部屋からは何も読み取れない。
すぐ戻ってくるだろうかと鬼灯は誰もいない医務室のソファに腰掛けた。
少し待って来なければ諦めるしかない。仕事中でも合間を見つけては医務室に顔を出す鬼灯である。


***


調達先が以前薬剤師を目指すのに勉強していた場所なため、店主の白澤がいるとつい長居をしてしまう。しかし白澤が不在だったため必要なものを買った名前はすぐに閻魔殿に戻ってきていた。
すっかり人間の体にも慣れ、獄卒とも打ち解けているため不自由はない。すれ違う獄卒と会話を交わしながら医務室へと戻った。
そこで、ソファで眠る鬼灯を見つけた。

「鬼灯様…?」

また会いにきてくれたんだなと、忙しい身なのにも関わらず顔を出してくれる鬼灯に名前はいつも嬉しくなる。
同僚にからかわれるのは恥ずかしいけれど、自分が仕事場に押しかけるわけにも行かず、鬼灯が来るのを毎日楽しみにしている。
名前は眠っている鬼灯の顔を見て頬を緩めると、近くにあったひざ掛けを鬼灯の体にかけた。

「お疲れなんですね。こんど薬膳鍋作りましょうか?」

返事もせずに眠る鬼灯に名前はさらに頬を緩める。いつも顰めっ面の鬼灯が無防備に眠っているのを見るのは特別な気分。
名前は鬼灯の横に腰掛けると、鬼灯を見つめながら背もたれに寄りかかった。
ソファに投げ出されている手をそっと握りながら、名前は少しだけ鬼灯に身を寄せた。

まだ正式な告白をしていないため厳密に言えば恋人同士ではない。手を繋ぐことはあっても、それ以上はなかった。
鬼灯が想いを伝えることを名前は楽しみに待っている。それだけ大切にされているのだと、初めて人間との恋に期待は膨らむ。けれど少しだけじれったかった。

彼が好きでウサギから人間に姿を変えた。本当は想いを伝えたいけれど、今は待っていることしかでない。日に日に膨らむその気持ちがもどかしい。
名前は鬼灯が眠っているのを確認すると小さく口を開いた。

「好きです、鬼灯様」

男のほうから言うものだと止められてしまったその言葉。
たった二文字の言葉に名前は一人で顔を赤くしてしまう。何度も鬼灯が寝ていることを確認し首を振る。
やがて脱力するように鬼灯に寄りかかると、名前は鬼灯の手を握り締めた。

「鬼灯様、ウサギを放っておくと死んじゃいますよ。寂しくはないですが、好きすぎて死んじゃいそうです。早く「好き」って言わせてください」

冗談のように笑いを零せば、鬼灯の体温が心地良くなってくる。名前はもう一度鬼灯に身を寄せるとゆっくりと目を閉じた。
すぐに寝息を立てる名前に、鬼灯は少しだけ口元を緩めた。


***


その頃、医務室に繋がる廊下を二人の獄卒が歩いていた。
茄子は擦りむいた腕を唐瓜に見せながら「痛い」と零す。不注意で転んだ茄子に唐瓜は呆れるようにため息をついた。

「消毒して絆創膏貼っとけばすぐ直るよ。お前はもっと気をつけろよ」
「俺消毒嫌いなんだよなぁ……すごい染みるじゃんアレ」
「仕方ないな」

そんなことを言っていれば医務室が見えてきた。ドアにかかる「不在」の文字に二人は顔を見合わせた。

「いないって」
「絆創膏だけ貰おう」

保健師が不在でも絆創膏を貰うことはできる。それに、保健師以外にも調剤師の名前がいる。二人は迷うことなく医務室へと入った。
薬の独特な香りが広がる部屋で、茄子はお目当てのものを探しだした。

「どこかなー。勝手に机開けていいかな?」
「その辺にあるだろ。机の上とか」

ガチャガチャと探し回る茄子に、唐瓜は名前の姿を探す。名前も不在だろうかと部屋をぐるりと見渡したところで、二人を見つけた。
物音ひとつしなかったため気がつかなかったが、名前と鬼灯がソファで眠っているのだ。
手を繋ぎながら寄り添う姿に唐瓜は目を丸くした。

「なぁ、唐瓜。絆創膏どこ?これ箱はあるけど中身ないよ。別のところかな」
「え…二人ってそういう……」
「唐瓜ー」
「う、うるせぇよ!そんなもん唾つけとけば治るだろ!行くぞ!」

暢気に薬箱を漁る茄子の腕を唐瓜は慌てて引っ張った。起こしてはいけないと察して急いで医務室を出る。
バタバタと出て行った二人に、鬼灯は閉じていた目を開けた。

「せっかくゆっくりしていたというのに」

しかし、起きるいいきっかけになったかもしれない。鬼灯は名前を起こさないよう彼女を見つめた。
つい寝たふりをしてしまい、彼女の本音を聞いた。まさかそこまで想っていたなんて思いもしない。
幸せそうな表情で眠っている姿につられて表情が緩みそうなのを抑えながら、そっと名前の頭を撫でた。

「待たせていたようですね。すっかり言うタイミングを逃してしまって」

忙しい仕事を片付けてから、今日はもう遅いから、と言うタイミングを探して随分経っている。
顔を見に来る時間があるなら言ってしまえばいいとも思うが、医務室には必ず名前以外の誰かがいた。
ドアに「不在」とかかっていたためチャンスだと思っても、名前もいない。そんなことが続いていた。

「好きですよ、名前さん」

眠っている名前に伝えても届いてはいない。それでも、名前にあんなことを言われれば鬼灯も我慢はできない。
ウサギとして彼女を見ていた頃から感じていた想い。人間として関わって、それを確実なものにしていた。
鬼灯は少しだけ背もたれから背中を離すと、名前の顔にそっと自分の顔を近づけた。そうして彼女の唇に口付けをした。

「鬼灯、様……?」

その口付けで目を覚ますように名前は鬼灯を見上げた。唇の感触にキスされたのだと気がつき顔を赤らめる。
そんな名前に鬼灯は言葉を落とした。

「好きです、名前さん」
「鬼灯様……」

ようやく聞けた言葉に名前はみるみるうちに頬を染めていく。
ぎゅ、と鬼灯に抱きつきながらその腕の中で同じく気持ちを伝えた。

「私も好きです、鬼灯様」
「死んでしまうくらい?」
「お、起きていたんですか…!」

名前は真っ赤な顔を上げると恥ずかしそうにきゅ、と口を結んだ。
そのオロオロと慌てる姿に、ウサギだったらこの表情は見られないなとつい愛おしくて頭を撫でる。
名前はからかわれていると思ったのか頬を膨らませてしまった。

「そんなに照れることないでしょう」
「起きてたなら声をかけてください」
「うとうとしながら名前さんの声を聞くのが心地良くて」

だから許してください、と名前を抱きしめる。胸の中で名前は小さく頷いた。
優しく頭を撫でるその手つきに心が安らいでいく。撫でられるのが好きなのはウサギだった頃の名残かもしれない。
名前はさらに鬼灯を力いっぱい抱きしめた。

「好きです。ずっと前から鬼灯様のことをお慕いしていました」
「はい」
「私、人間になってよかったです。ウサギのままだったらこんな幸せなことできませんでした」

抱き合うのも、手を繋いで歩くことも。同じ職場で働き、毎日傍にいることもできなかった。
名前はふにゃりと表情を崩すと腕の中から鬼灯を見上げた。

「鬼灯様、好きです」
「わかってますよ。何回言うんですか」
「やっと伝えられたので何度も言いたいんです。私、今までで一番嬉しいんです」

瞳を潤ませながら笑う名前に鬼灯は小さく息を吐いた。
無意識に口元が緩み、それを隠すように名前を抱きしめなおす。

「私も同じですよ」

そう、名前の耳元で呟いた。
名前はそのくすぐったい言葉に顔を上げようとしない。自分で言っておきながら恥ずかしがる名前に、鬼灯はまた頭を撫でた。

「ウサギは寂しいと死んでしまうんでしたよね。大事にします」
「それ迷信ですよ」
「好きと言えないくらいで死にそうなら、寂しくても死にそうですけどね」
「それは忘れてください!」

ただの冗談ですから……と名前は真っ赤な顔を上げる。
鬼灯はそれを見計らったように、もう一度名前と唇を重ねた。
好きすぎて死にそうだと言われ、今までで一番嬉しいとまで言う。そんな名前がどうしようもなく愛おしかった。
名前は許容範囲を超えたのか鬼灯にもたれかかった。

「そんなんでどうするんですか」
「人間の体が慣れないだけです」
「そういうときだけ都合がいいですね」

まったく、と鬼灯は名前に回していた腕を離しソファに寄りかかる。名前は鬼灯に寄りかかるようにして、こてんと頭を鬼灯に預けた。
勤務時間であることを忘れながら、二人はしばらくそうして身を寄せ合った。
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