心懸かり


朝から地獄はバタバタと忙しかった。亡者が団結して獄卒の一人を人質に取っているだとか、どこかの部署で獄卒が拷問器具に巻き込まれて事故を起こしただとか、挙句の果てにお迎えの連携が取れなく現世でちょっとしたいざこざが起きているだとか。
獄卒の怠慢のツケが回ってきたかのように問題だらけだった。
それを処理するのは、どんなことでも冷静な第一補佐官なわけで、彼の執務室ではいろんな指示が飛び交っていた。

「亡者など片っ端から叩いて無力化しなさい。獄卒?腑抜けた獄卒など一緒に拷問してしまえ」

ただその指示は若干荒っぽい。徹夜続きで机には書類の束がてんこ盛り。
いらいらしているのも仕方なく、無関係な獄卒たちにまでとばっちりが行く始末。
一番の被害者は特に理由もなく殴られた閻魔かもしれない。いや、こんな忙しい中暢気に饅頭など頬張っていれば致し方ない。
鬼灯は他の指示を飛ばしながら、ようやく静かになった空間で大きなため息を吐いた。

「忙しいのですね。こんなときに訪ねてしまってすみません」

部屋の隅っこでやり取りを聞いていた名前は小さくなりながら声をかけた。
すっかり存在を忘れていた鬼灯は、気がついたように視線を向ける。
本来なら休日を入れていた今日は、名前と久しぶりに会おうと約束していたのだ。
しかし仕事は溜まっていて、問題は起きる。手を離せる状況ではない。
鬼灯は書類に視線を戻しながら謝罪を並べた。

「私のほうこそすみません。近々定例会議もありバタバタしているんです。今朝もなんでしょうね、この騒ぎは。獄卒たちもたるんでいる」
「最近何もありませんでしたから、ちょっと緩んでいたのでしょうか」
「そうかもしれません」

再研修が必要か、と考えながら書類をまとめ判子を押す。その手際は徹夜続きとは思えないほどだが、目つきは明らかに寝不足のそれだ。
普段阿鼻地獄の主任をしている名前はなかなか閻魔殿に来ることはない。互いに忙しいため会う時間も少なく、ようやく会えてもこの有様だ。
話しかけても気のない返事しかしない鬼灯に、名前は一歩二歩と後ろに下がる。邪魔しないようにそっと部屋を出れば、再びやってくる獄卒とすれ違いながらその場を後にした。



ようやく問題も片付き後始末に追われる。書類や巻物をまとめ少なくなっていく山に、あとどれくらいかかるかと計算しているところで、いつの間にか名前がいないことに気がつく。
鬼灯は時計を見ながら椅子の背もたれに寄りかかった。もう昼はとっくに過ぎている。
そんなところへお香がやってきた。食堂で貰ってきたおにぎりとお茶を運んできたようだ。

「お疲れ様です。大変だったようですねぇ」
「ええ。衆合は問題など起きてませんか?」
「大丈夫です。それより一度休んだほうがいいわ。ずっと仕事しているんでしょう?」
「そうですね…」

ずず、とお茶を啜りながら体のだるさにようやく気がつく。お香は苦笑しながらおにぎりのお皿を机に置いた。

「そういえば、どこかで名前さんを見ませんでした?」
「名前さん?見なかったけれど…こっちに来ているの?」
「ここにいたんですが、いつの間にかいなくなってました」

暢気に話す鬼灯に、お香は少しだけ名前の心情を察した。二人の関係はお香も知っている。
忙しい仕事場に来て相手にされなければ部屋にも居づらいだろう。気を利かせて出て行ったんだなと理解しても、今の鬼灯の思考はこの仕事の山をどうするかということに全力が注がれているため、気がついていない。
お香は小首を傾げながら考えるような素振りを見せた。

「名前さん、今どこにいるのかしら。鬼灯様に会いに来たんでしょう?」
「さあ、怒らせてしまったかもしれませんね。せっかく会う約束していたのにこの状況ですから。最近は電話をしても素っ気無いですし」
「素っ気無い?」
「何かあったのかと聞いても、なんでもないと言うのでそのままなんですが、そろそろ愛想尽かされたかもしれませんね」

仕事ばかりだというのは自分でもわかっている。それでもいいと言う名前に甘え過ぎたのかもしれない。
鬼灯は思考の捗らない脳みそを使って今朝の名前を思い出す。
彼女の顔をちゃんと見たのは一度きりで、何を話していたのかも覚えていない。
ふらりといつの間にかいなくなるのも頷ける。今頃何をしているのかと考えてもいまいちピンとこなかった。
ぼうっと考えている鬼灯に、お香は言葉をかけた。愛想尽かされたのならきっと会いにはきていない。

「鬼灯様、もう少し名前さんのこと気にかけてやってくださいな。女性の「なんでもない」は何かあるものよ」
「そういうものですか」
「そう。女心って難しいのよ」

お香はそれだけ言うと仕事があるからと戻っていった。扉の閉まる音を聞きながら、鬼灯は机の上の書類を睨みつけた。
仕事を放り出してまで彼女に会うべきか。おにぎりを頬張りながらしばし逡巡していた。



一方名前は獄卒を捕まえて昼食をとっていた。奢るからとつられてやってきた唐瓜と茄子は、名前が阿鼻地獄の主任と知ったのはつい最近だ。

「それでですね、もう鬼灯様は私のこと好きじゃないんじゃないかと思いまして」

何か理由があって誘われたのだと思ってはいたが、まさかそんな恋愛相談だとは思うまい。
楽しく食事かと思っていた二人は顔を見合わせると、名前の弱った笑顔に慌てて否定した。

「そんなことないですよ!最近忙しいですし!」
「今朝もいろいろとあったし!」
「それならいいのですが…」

ご飯をつつくペースもちびちびとすっかり気を落としている。
阿鼻地獄の主任になるくらいだ。性格もまっすぐで拷問の腕も確かな気の強いイメージが崩れていく。
名前は案外普通の女性だ。

「互いに忙しいのでこうなることはわかっていたんですけど、もう無理な気がしてきて」
「大丈夫ですよ。今日会う約束してたならそろそろ落ち着いた頃ですし、名前さんに会いに来ますよ」
「もう一回執務室に行ってみたらいいかも」
「…あなたたちはいい子ですね。なんか変なこと言ってごめんなさい」

デザートも頼んでいいですよ、と名前はにこりと微笑んだ。一体何を相談しているのかと自分が情けなくなる。
励ましてくれる二人の頭に手を伸ばしながら撫で回していれば、携帯が音を立てた。
鬼灯様かも!と言う二人の声に期待しながら携帯を取り出せば、着信表示には「鬼灯様」と書かれていた。

「出ないんですか?」
「今朝の仕返しです。閻魔殿に戻りますね」

ぷち、と電源を切れば名前は満足そうに笑った。電話をかけてきてくれたことが何より嬉しい。
仕事よりも自分を気にかけてくれたということは考えなくてもわかる。
名前は閻魔殿へと急いだ。



電話を切られてしまった鬼灯は携帯を見つめながら「やってしまった」と頭を抱えていた。
繋がらないのはまだしも、故意に切られてしまえばそれが拒否だということが伝わる。
本当に愛想を尽かされてしまったのだと、今朝まともに会話しなかったことが悔やまれる。
せっかく会いに来てくれたというのに、それを楽しみにしていたのは同じだったというのに。
再び深いため息を吐けば、執務室の扉がゆっくりと開いた。
こんなときに獄卒の相手など面倒だと顔を上げれば、今しがた会いたいと思っていた彼女の姿があった。

「こんにちは」
「…名前さん」
「電話くれたので来てしまいました」

にこりと駆け寄る名前を抱きとめれば、鬼灯は名前の頬を引っ張った。

「どうして出なかったのですか?」
「今朝相手してくれなかったので仕返しです」
「しょうがないでしょう。いろいろと立て込んでいたんですから」

そう言ってから、まただと首を振る。いつも仕事を言い訳に使っているではないか。
今日は前から約束していたのに、守れなかったのは自分のせいだ。
鬼灯は名前を抱きしめると久々の触れ合いにほっとする。
名前も負けじと鬼灯に抱きついた。

「すみません。名前さんの気持ちも考えないで」
「仕事が大事なのはわかってますので謝らないでください。お互い忙しいんです。今日は運が悪かっただけです。それより…」

名前はそっと顔を上げる。不安そうな瞳に鬼灯は首を傾げた。

「もう私のこと好きじゃないのかなって…」
「何を言っているのですか。名前さんのことは大好きですよ」
「だ…そこまで言わなくても…」

不安が杞憂に終わり名前は照れたように俯いた。徹夜続きで目つきの悪いその視線で大好きと言われたら、思わず胸にどきりと刺さってしまう。
鬼灯は名前の頭をぽんと撫でた。

「不安にさせてしまっていたのですね。今日をどれだけ楽しみにしていたと思っているんですか。それなのにアホ大王は使えないし、腑抜けた獄卒どもは問題を起こすし、仕事は溜まっていく一方で何徹目だと思ってるんですか。名前さんに嫌われたと思って本当に落ち込んでいたんですよ。あいつらどうしてくれますかね」
「鬼灯様、寝たほうがいいと思います」

頭をぐしゃぐしゃと撫で回しながら眉間に皺を寄せる鬼灯に名前は苦笑する。相当追い込まれているらしい。
机の上にはまだまだ書類が積み重なっていて、問題の後始末書もたくさんあるのだろう。
名前はそれらを気にしながら鬼灯の袖を引っ張った。

「休憩にしませんか?働きすぎは体にも悪いですよ」

名前が自分の仕事を気にしているのを感じ取りながら、鬼灯は頷いた。
急ぎの仕事はすべて終えている。彼女と会う機会は少ないのだから、仕事よりも優先すべきだ。仕事などいつでもできる。
そう既に答えを出していた鬼灯は名前の手を取った。

「今日の仕事は終わりにします。名前さん、付き合ってくれますか」
「もちろん。添い寝してあげましょうか?」
「それはとても魅力的ですが…寝てしまうのは少々もったいないですね。どこか行きたいなら連れて行ってあげますけど」
「疲れている鬼灯様を連れまわすわけにはいきません」

ですので、と名前は鬼灯の腕に自分の腕を絡ませた。ぴたりと触れ合えば久しぶりのぬくもりが伝わる。

「鬼灯様と一緒にいるだけでいいです。何かしてほしいならしますよ」
「そんなこと言ってもいいのですか?甘えますよ」
「どうぞ」

にこりと微笑んだ名前に鬼灯は「お言葉に甘えて」と彼女を抱き寄せた。
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