揺らぐ想い


鬼灯からの告白を受け、名前は頭を悩ませていた。
宣言どおり名前を奪おうとあれやこれやと手を尽くす鬼灯に、名前の心も落ち着かない。
なんたって職場の上司なのだ。顔を合わせずにはいられない。

「名前、これお願いします」
「はい。あの、こっちの書類は…」
「それは私がやっておきます。名前はそれが終わり次第あがっていいですよ」

差し出される仕事は特に難しいものではない。鬼灯が受け持ったのは少し時間がかかりそうなもの。
最近やけに優しいのは、やはりあの宣言のせいだろう。
視察に行けばついでだと食事を取り、仕事もいつも以上に気にかけてくれる。
白澤から「何かされればすぐに知らせて」と言われてはいるが、手は出してこない。
いたって紳士的な振る舞いに驚きながらも、普段怖い上司である鬼灯が優しいと戸惑ってしまうのも事実。
自分だけに優しいというギャップに心惹かれてしまいそうなのを押さえながら、名前は小さく息を吐いた。
とにかくこの仕事を終えれば帰ることができる。
けれど、いつも仕事を押し付けるのも申し訳ない。名前は鬼灯の机をそっと覗き込んだ。

「残業するんですか?」
「そうですね。少し」
「私も手伝います。いつも鬼灯様一人に任せっぱなしなので」

告白を受けたのはプライベートのこと。贔屓されているのはわかっているが、甘えてもいられない。
鬼灯は書類から顔を上げて名前を見つめた。

「いいのですか。できるだけ私と一緒にいるなと言われるんじゃあないんですか?」
「仕事なので関係ないです。鬼灯様だって、そういうところはわきまえているでしょう?」
「さあ、私だって男ですので、やましい気持ちがないわけではないですよ。残業を手伝ってくれると言われれば期待もします」

本当にそう思っているのか、本心が全く読めない。
名前は困ったように笑うと、鬼灯の机から書類の束を抱えた。
いそいそと自分の机に戻る名前を、鬼灯は肘を付きながら眺める。

「名前、最近白澤さんの話しませんね」
「え?そんなことないと思いますけど…」
「前は何かあるたびに惚気ていたではないですか。お香さんが来ればそれはもう嬉しそうに」
「鬼灯様が変なこと言うから言いづらくなっただけだと思います」

気にしていなかった名前は、そうかなと最近の言動を思い返してみる。
確かに白澤の話は少ないかもしれない。ただ、それは鬼灯も自分に好意を寄せているから話しづらくなっただけだ。鬼灯はあからさまに嫌な顔をするようになっている。
しかし鬼灯はその理由を知っているかのように頷くだけだ。

「普通逆じゃありません?私が諦めるように話を出すと思うのですが」
「そう言われましても…」
「私のこと受け入れている証拠だと思いますよ」

鬼灯はそれだけ言うとまた書類に視線を戻した。
名前は「え」と声を漏らすと、そんなことないですと首を振った。まさかそんなはずはないと。
そんなところへ明るい声が入ってきた。見慣れたその姿は、最近出入りの多い白澤だ。
今しがた言われた言葉のせいで、ドキリとした名前は慌てて笑顔を作った。

「あれ、まだ仕事してるの?」
「はい。今日は少し多くて」
「私は帰ってもいいと言ったのですが、名前は私と一緒にいたいようで」
「お前が無理やり付き合わせてるんだろ」

睨み合うのはお決まりで、放っておけば激しい言い合いになるため名前はいつも間に入る。
予想していた攻防はやはり名前を悩ませるものだ。
白澤は名前の元へ駆け寄ると、手元を覗き込んだ。

「どれくらいで終わりそう?」
「たぶん…一時間ほどです」
「そっか、ここにいてもいい?」
「部外者は帰ってください。機密文書などもありますから」
「お前に聞いてねぇよ。それにそういうのはお前の仕事だろ?」

また言い合いを始めそうな二人に名前はため息でも吐きたい気分だ。
自分のせいだとはわかっているが、顔を合わせるたびこうも険悪では困ってしまう。
やがて鬼灯が名前の名前を呼んだ。

「名前、今日はもういいです。こいつもうるさいですし帰っていいですよ」
「でも…」
「私といるほうがいいというのなら構いませんが」

名前は申し訳なさそうに頭を下げると、書類を鬼灯の机に戻した。
机を片付ければ白澤に優しく手を取られる。
お先に失礼します、と声をかければ、鬼灯はちらりと視線を上げるだけだった。


***


「でさ、今度の休みは…」

いつ取れそうか。そう尋ねてみても名前はなんだか上の空だ。
仕事を押し付けてきたのが気になるのか、それとも鬼灯に何かされたのか。
白澤は名前の顔を覗き込んだ。

「名前ちゃん」
「え、あ!ごめんなさい。休みを取るのは難しくて…」

忙しいのはわかっているためそこを気にする白澤ではないが、二人きりだというのに別のことを考えているのは少しだけ気になる。
その理由はあの宣言のせいで、彼女の様子から鬼灯もいろいろと手を打っているのだと窺える。
職場が違うため名前を守ることはできないし、彼女の心が揺れる理由もわかっていた。

「名前ちゃんさ、アイツのこと好きだったんでしょ?」
「そ、そんなことは……」

責めるように言っているわけではない。そんな白澤に見つめられ名前は正直に頷いた。
鬼灯の直属の部下になった頃、確かに名前は鬼灯に恋慕を抱いていた。

「でも諦めたんです。どうしても遠くて、恋心よりも憧れや尊敬に変わっていったんです。白澤様と知り合ったときにはもうその気持ちはありませんでしたよ」
「うん、わかってる。でもさ、そんな相手に今好意を伝えられて揺れてるんでしょ?恋心が憧れに変わるように、憧れが恋心に変わりそう…って」
「……はい」

名前は躊躇うように小さく頷いた。白澤は「やぱりねぇ」と笑う。
最近名前が悩んでいることは知っていた。その理由も、告白をされたときの動揺を見て想像はつく。
名前は大好きな白澤に隠したい心の奥を覗かれたようで、罪悪感に顔を俯かせた。
ごめんなさいと呟けば、白澤は名前の頭を撫でた。

「謝ることじゃないよ。気持ちに嘘はつけないから、名前ちゃんの思うとおりにしたらいいよ」
「でも白澤様、私は白澤様のこと…」
「大丈夫、僕は名前ちゃんのこと嫌いになったとかじゃなくて、名前ちゃんの気持ちを尊重したいだけ。やすやすとあの一本角に渡してやる気はないよ。でも、もし名前ちゃんがアイツのところに行きたいなら、正直にそう言ってよ。そのときは諦めるからさ」
「白澤様…」

白澤の笑顔に胸が苦しくなる。迷っていることを見透かされて、それを否定できない。
思わず謝れば白澤は名前を抱きしめた。

「僕は女の子の味方だからね。身を引くのもひとつの手段……だけど名前ちゃんがアイツのところに行くのはすっごい嫌だからさ、できれば行かないでね?」

はい、とは断言できなかった。代わりに名前は白澤の背中に手を回した。
正直どうしていいかわからない。白澤が言ってくれたことは逆に戸惑ってしまう。
けれど彼のそんな優しくて女の子を応援する姿は大好きなのだ。

「…もしかして」
「うん?」
「いえ、その……」

はっと顔を上げた名前に白澤は首を傾げる。名前はとっさに口を覆った。
白澤は「言ってみなよ」と優しく促す。しかしどこか避けられないような語気をはらんでいる。
名前は言いづらそうに口を開いた。

「白澤様のことすごく好きなんです。一緒にいて楽しくて照れてしまう。でも、その好きが鬼灯様とはちょっと違うというか」
「つまり?」
「鬼灯様への好きがすごくつらいんです。胸がこう、ぎゅっとして…」

名前はぽつりと呟くと、白澤を見上げる。
白澤はため息を吐くように息を吐き出すと肩を竦めて見せた。

「それはもう恋だよ。名前ちゃんは僕に恋慕は抱いていない。友達以上だけど恋人未満なんだね」
「でも…」
「あーもう、名前ちゃんは考えすぎ!別にいいじゃん、気持ちに嘘はつけないって言ったでしょ?僕だって可愛い女の子につい声かけちゃうし」

名前という彼女がいてもつい声をかけてしまうのが白澤だ。最近は多少落ち着いたが衝動に駆られることはあるらしい。
白澤は名前を来た道に振り返らせ背中を叩いた。

「いいよ、行っても。迷ってるなら自分の気持ちを確かめてくればいい。はっきりしないと僕もモヤモヤするし、気のせいだったら僕のところに戻ってきていいから」

ほら、と背中を押され名前は白澤を振り返った。優しい笑顔に名前は小さく頷いた。

「…敵に塩を送ってどうするんだよ。まったく、名前ちゃんを見てると応援したくなっちゃうんだよなぁ」

小走りで駆けていく名前の後姿に白澤は呟いた。


***


あの告白をしてから名前が悩んでいるのは手に取るようにわかった。
顔を合わせれば気まずそうに視線を逸らし、優しいといわれるような行動をすれば頬を染める。
名前が自分に心を惹かれているというのは鬼灯も薄々感じ取っていた。
さっき白澤と一緒に行かないで残ってくれたら。そう少しでも期待をしていた鬼灯は、書類に判子を押しながらため息を吐いた。

「もう少しですかねぇ」

もう少し続けていたらこちらに来てくれるだろうか。
そんなとき、ゆっくりと執務室のドアが開いた。こんな時間に獄卒かと顔を上げれば、そこには今しがた考えていた名前の姿があった。
白澤と帰ったはずなのに忘れ物でもしたのか、鬼灯は戻ってきたのではないかと淡い期待を込めながら名前をからかうことにする。

「私が恋しくなりましたか。一緒に残業デートでもします?」
「…少しだけ」

否定もせずに鬼灯の机から書類を取ると机につく。鬼灯は思わずその様子を目で追った。
名前は鬼灯と目を合わせることなく書類に視線を落とした。
どう切り出せばいいかわからない。まだこの気持ちが恋心と決まったわけではない。名前は受領の判子を押すと鬼灯を見た。
名前の行動にしばし驚いていた鬼灯とばっちり視線が合う。
どきりとした自分に、名前は少しだけ確信した。

「白澤さんに何か言われたんですか、ここに来たということは。あなたを振るとは思いませんが…なぜそんなに思いつめた顔をしてるんですか」
「鬼灯様のせいですよ。全然そんな素振りもなかったのに、急に告白してきて…」
「見計らっていたんですよ。本当に好きな相手には慎重になるものでしょう?そのうちに取られてしまって、強硬手段に出たわけです。で、答えは出たんですか?」

既に答えが出ていることはお見通し。鬼灯の言葉に名前は手を握り締めた。
鬼灯のことだ、勘付いている。それでもあえて聞いてくるから意地悪だ。
名前は観念したように呟いた。

「私はずっと前から鬼灯様のことが好きです。もうすっかり諦めていたのに好意を伝えられて、忘れていた想いが顔を出してきました」

名前は心の中で白澤に謝りながら、感謝を抱きながら鬼灯の瞳を見つめた。

「鬼灯様、好きです」

鬼灯はゆっくりと瞬きをしながら立ち上がる。名前の元へ近づけばその頭をそっと撫でた。

「やっと言ってくれましたね。待ってましたよ」
「私も、やっと言えました」

そういいながら名前は小さく涙を零した。それを拭ってやれば、嬉しい気持ちとそうでない気持ちに心が揺れる。
白澤にはどう報告しよう。応援はしてくれたが、結局裏切ってしまったのではないか。
鬼灯はそんな名前の気持ちを察している。

「白澤さんのことなら大丈夫ですよ。名前さんが幸せならいいと思っているアホですから。あなたが決めたことなら身を引くでしょう。しかし、自分が幸せにしてやるとは思わないんですかねぇ」
「僕はお前みたいに強引に人の気持ちをさらうような野暮なことはしないんだよ。まったく、名前ちゃんがどれだけ悩んでいたか」
「は、白澤様!?」

急に飛んできた声に名前は目を丸くする。そうすれば白澤は「気になっちゃって」と笑う。
立ち聞きするつもりはなかったが、名前が自分の気持ちに気がついて白澤に悪いと思ってしまうのがわかったから、白澤は心配で来たのだ。
案の定名前は白澤に悪いと思っていた。
入ってくるなと睨みを利かせる鬼灯を無視しながら、白澤は名前の手を握った。

「僕のことは気にしないで。別に別れても今までどおり接していいから。友達以上でね」
「白澤様…!」

ありがとうございます、とようやく笑顔になる名前に白澤も安堵する。
鬼灯は気に入らないように白澤を追い払う。

「気安く手を握らないでください」
「なんだよ、ちょっと前までは僕の彼女だったんだぞ。お前、名前ちゃんのこと泣かしたらタダじゃおかないからな」
「泣かせませんよ。それより友達以上ってなんだ。名前さんに手出さないでくださいよ」
「友達以上は友達以上だよ。ね、名前ちゃん」

またしても言い合いを始めてしまった二人に、名前は微笑んだ。
白澤は友達として好き。鬼灯は恋愛対象として好き。ようやく心が落ち着いたのに、二人のやり取りを見ているとハラハラする。
話を振られ頷けば鬼灯が気に入らないような顔をし、違うんです、と訂正しようとすれば白澤が残念そうな顔をする。

「二人とも好きですから落ち着いてください!」
「欲張りですねぇ」
「本当に大好きなのは鬼灯様なので怒らないでください。その…愛がありますから」
「よくぞ言ってくれました。神獣が干からびてますよ」
「あああ!僕がたきつけたけど、見せ付けるなよ!」

騒がしい執務室でまだまだこのやり取りは繰り広げられる。
残業は進まず明日に持ち越し。時間もだんだんと夜の色が濃くなっていく。
気がつけば三人とも楽しそうで、振られても恋が実っても、それぞれの幸せに不満はない。
二人の好意に名前は幸せそうに笑った。
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