花見酒


地獄には大きな季節の変化がなく、どこを見ても一年中変わらない風景が広がっている。
そんな色の少ない光景を見て、名前はもう4月なのだと頭の中のカレンダーを呼び起こす。
年度末、年度始めと忙しく季節の移り変わりなど気にしてはいられない。けれど少しくらい休息も欲しい。
よし、と何かを思いついた名前は準備を始めた。


お昼休みになると獄卒たちも慌しい仕事から抜け出し休息に入る。
それは第一補佐官も変わりない。キリのいいところまで終えた仕事を置き、昼食へと食堂に向かう。
その途中で名前に声をかけられた。

「鬼灯様、天国に行きませんか」
「天国?」
「お花見なんてどうですか」

にこりと微笑む名前に、鬼灯は少し考える。もうそんな季節かと頷いた。


この季節になると天国も花見の客で賑わう。気候も穏やかで今年も満開。
こんな時間から酒を飲んでも許されるのがこの季節なのかもしれない。

「どこも人がいっぱいですね」
「では、あっちに行きましょう」

どこに行こうかと彷徨っている名前の手を引き人のいない方へ歩き出す。
だんだんと桜の数も減って賑わいも薄れていく。さっきのところの方が人は多かったが綺麗だったなとついていく名前に、鬼灯は先を指した。

「あそこなんてどうです?私、この時期になるとここの桜を見に来るんです」
「わあ…綺麗…」

目の前に広がるのは大きな桜の木。風に揺られて桜の花びらが舞う光景に思わず嘆息する。
こんなに綺麗なのに人がいないのは、ここが隠れ家的にわかりづらい場所なのと、少し歩かなくてはいけないところにあるからだ。
近くには小川が流れていて、水面には桜の花びらが浮かんでいる。涼しげな音と幻想的な空間に、名前はしばし見とれていた。

「誰にも教えたくなかった場所なんですが、名前さんになら」
「あ、ありがとうございます」
「座りましょうか」

それは特別ということでいいのだろうか。名前は期待する心を隠しながら桜の木の下にシートを広げた。
ちょこんとそこに腰を下ろし、景色を眺める鬼灯の横顔を盗み見る。名前は少しだけ鬼灯に身を寄せた。
昼食もかねて誘ったためお弁当を広げる。鬼灯は「いただきます」とおにぎりを手に取った。
重箱に詰められた色とりどりのおかずも、鬼灯が頬張っているおにぎりも名前の手作りだ。
名前は控えめに声をかけた。

「このお弁当手作りなんです。お口に合えばいいのですが」
「おや、作ったんですか。とてもおいしいですよ。てっきりどこかで調達してきたのかと」

驚いたようにおかずを口に入れる。素直においしいと言ってくれる鬼灯に、名前は言葉を詰まらせた。
いつも怖い顔をして厳しいことばかり言う鬼灯がそんなこと言うとは思っていなかった。
手作りと言った途端箸の進む鬼灯に、名前は口元が緩むのを必死に押さえた。

「鬼灯様、急いで食べたら詰まりますよ。誰も取ったりしませんから」
「すみません、つい。いつもは一人なんですが、こうして花見をするのもいいですね」
「一人なんですか?」
「ええ。誰かとこうして花見をするのは初めてです。大王はやってるみたいですけど、私はいつも忙しいので」
「そういえば、鬼灯様はいつも顔を出さないですよね」

出したとしても挨拶程度。第一補佐官は忙しいのだと閻魔を叩いて帰って行くのだ。
ますます二人でいることが特別な感じがして、名前は誤魔化すように桜を見上げた。
ピンク色の花びらが風に舞ってふわりと空を飛んでいる。ひとつ捕まえてみれば甘い香りがして、ハートのような形にドキドキする。
すっかり空っぽになってしまった弁当箱に箸を置き、鬼灯も桜を見上げた。
そのとき、ふと二人の手が触れ合った。互いに桜から視線を外し手を引っ込める。名前は咄嗟に謝ろうとしたが、鬼灯がそれを遮った。

「お酒、飲みませんか?」
「え、でも…お仕事が」
「少しくらい、お花見ですから」

そう言って鬼灯は杯に酒を注ぐ。受け取ると水面に波紋が広がり、その上に花びらが落ちた。

「風情がありますね」

鬼灯は杯に口をつけながら、空に舞う桜の花びらを目で追った。
その仕草に見とれながら、名前も一口つけた。桜の花びらが水面で揺れ、名前の心を表しているかのようだ。
自分で誘ったくせに二人きりになると緊張してしまう。本当はもっと話をして楽しみたいのに、桜を見ながら心を満たしたかったのに、休息するどころかドキドキと心音は高まるばかり。
気がつけば鬼灯が名前の手を握っていた。

「鬼灯様…?」
「顔が赤いですよ。もう酔いましたか?」

鬼灯の流し見るような視線にドキリとする。小川のせせらぎも穏やかな風の音も聞こえなくなり、目の前の彼に心を奪われる。
それもこれも、鬼灯がこの場所に連れてきて特別扱いするからだ。

「少し、酔ってしまったようです」

名前はそう零すとまた少しだけ鬼灯に身を寄せた。鬼灯はさらに名前の手を握りながら杯を煽る。
緩やかな春の風は桜の花びらを舞い上げ、優しく頬を撫でていく。
暖かな日差しを受けながら、幸せな気持ちに名前は目を閉じた。
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