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彼女に手ひどく捨てられ、自分によってくるもの全てを信じられなくなった。好きだなんて甘い言葉なんてまやかしだ。甘い言葉を吐いてそれを信用すれば痛い目に合うのはこちらだ。
もう二度と人の好意なんて信じるものか。愛なんて信じるものか。人を好きになんてなるものか。
自分に寄って来る者全て、自分の事をただのアクセサリーやステータスの様にしか思っていないだろう。なら恋人なんてただのアクセサリーと同じにしてやろう。人を本気で好きになる方が馬鹿を見る。
あれから幾人もの人間が好意を寄せてきて、適当に付き合って、初めに自分に言い寄ってきていても自分の扱いに不満を抱いてすぐに去って行くものばかりだった。それを見る度にやっぱり口ばっかりで皆嘘つきだと改めて『好き』に不信を抱いた。
そんな中、現れた一人の男。ずいぶん地味で野暮ったい、今まで寄ってくる奴らとは全く毛色が違う。
名前を聞いて、そいつが自分がどこから通っているかを告げた時に心臓が跳ねた。あの最低女の弟だ。そいつが、自分を好きだと告白してきた。
あの女への愛憎を思い出して、その血を引く奴だと憎しみと嫌悪しか抱かなかった。告白をOKしたのは、単純に復讐から。あの女の弟に、自分と同じ苦しみを与えてやれば少しは気が晴れるかもしれない。
姉が犯した罪を代わりに償わせてやろう。
そいつは、どこまでも自分に忠実だった。何を言っても、何をしても嫌がる素振りさえ見せずに二つ返事で尽くす。そんな振りをしているだけに違いない。だって、あの姉も初めは演技をしていたのだから。あまりにも顔色一つ変えないそいつの本性を引きずり出してやりたくて浮気をした。
ほんの少し悲しそうな目をしたけど、やっぱり何も変わらなかった。
どれだけ浮気をしても、手酷く抱いても、小間使いのように扱っても、付き合い始めからそいつの態度は変わらない。自分に対して、真っ直ぐにただ好意をぶつけてくる。
それを見る度、過去の自分と重なって苦しくなった。それと同時に、こいつは決して自分を裏切らないんじゃないかと思い始めていた。そして…、ずっと自分の為にと必死になってくれているそいつに対して、気持ちが揺らぐのは確かだった。
それでも、自分を裏切ってごみのように捨てたあの女の弟だ、騙されるな、と自分に檄を飛ばす。
復讐のつもりで始めた行為が、いつのまにかここまでしても裏切らないだろうか?に変わっていた。
自分の中の変化にはっきりと気付いたのは、大学でそいつが仲よさげに誰かと話しているのを見た時だった。そいつが誰と話そうが何をしようか気にも留めない、留まらないはずなのに、二人きりで親しげに話すそいつの頭に相手の男の手が触れた時…
気付けばそいつの腕を掴んで歩き出していた。
その後、そいつをひどく抱きつぶし気を失うそいつを見て、たまらなくいたたまれなくなって無言で起き上がって服を着る。途中で目が覚めたそいつが、小さな声で俺の名前を呼んだけど、今はその顔を見れそうにもない。今だけじゃない、これから先も、自分がそいつに合わせる顔などないのだ。
『そこにいろ』と言ったのは、そいつが逃げ出すのを望んでいたから。何をしても自分に尽くすそいつを見て怖くなったんだ。
認めたくはない、認めざるを得ないけれど、確かにあの時感じたあれは嫉妬だった。だけど、それをどうしろというんだ。
今まで散々あの女への復讐の為にそいつを好きにしてきた。それを今さらどうしろと。
怖かった。そいつも、自分もなにもかも。
捨てられない、捨てたくないんだ。自分からはもうそいつを手放すなんてできない事に気付いてしまった。だから、ああして放置して…辛くなったら今度こそそいつは逃げるだろうと思ってたんだ。
だけど、違った。そいつは、自分をずっと待ち続けていた。もういないだろうと、今度こそ愛想を尽かして出て行っただろうと3週間ぶりに戻った部屋で自分が見たもの。それは、やせ細りながらもベッドの上で小さくなって自分を待つそいつだった。
『おかえり、なさい』
小さな声で笑顔で迎えられると、そいつはそのまま蹲ったベッドの上で目を閉じた。
抱き上げた時のあまりの軽さに、自分がしでかした事がいかに重大な事かを思い知った。そしてその時になって初めて、そいつは決して自分を裏切らないということを知ったんだ。
それと同時に、そいつの一途さに惹かれていたこと。そして自分のしでかした罪の重さに胸が潰されそうになった。
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