10
だが、先輩は先輩で俺が来ると読んでいたのか休み時間のたびに姿を消していた。先輩のクラスの奴に聞いても『知らない』と言われる。
どうやら誰にも何も言わずこっそり抜け出しているらしい。
やっと放課後になったときには俺はひどく疲れていた。こんなに一日が長く感じたのは初めてだ。
チャイムと同時に教室を飛び出す。向かうのは図書室。何故だかあそこに行けば絶対にいるような気がした。
図書室の扉の前で、息を整えそっと覗き込む。
―――いた。
いつもと同じ席に、先輩は座っていた。だけど、いつもと一つ違うこと。先輩は、本を読んでいなかった。いつもの席に座り、ただ俯いている。
その顔が、ひどく悲しそうで。たまらず今すぐ抱きしめてやりたくなった。
中に入ろうとして、先輩の隣に誰かが腰掛けるのが見えた。友達だろうか。先輩は顔を上げてそいつとなにやら話している。一言二言くらいだろうか。先輩の口元が動き、そいつが先輩の頭をなでる。そして、その瞬間、
先輩は、そいつに向かってにこりと微笑んだ。
「槙!」
気がつくと俺は、今まで呼んだことのない先輩の名前を呼び、先輩の腕を掴んで図書室から連れ出していた。
「はな、離して…!池上くん、離して!」
必死に腕をふりほどこうとする先輩を、絶対に逃げられないようにさらに強く腕を握る。そのまま引き摺るように先輩を空き教室に連れ込んだ俺は、掴んでいた手を離して今度は黒板にその俺より小さな体を押しつけてやった。
両手を先輩の顔の横につき、逃げ道をふさいで睨みつけると先輩は怯えたように顔を青くして目を見開いた。
「な、なん…、なに…?どいて、」
「いやだ。だって先輩逃げるだろ?」
まっすぐ見つめたまま言うと、先輩は所在なさげに目を泳がせた。くそ、いらいらする。なんで目を合わせないんだよ。なんで、さっきみたいに笑わないんだ!
「なんで…」
「え…?」
「なんで、なんでだよ。勝手に別れるだなんて言って、人のこともう彼氏じゃないとか言って話をしようにも避けてばっかしやがって!挙げ句の果てにはもう違う男捕まえたのかよ!」
俺以外の奴に、あんな風に優しくされて笑いやがって!先輩は俺のことが好きだったんじゃないのかよ!
「なに…、なに言ってるのかわからないよ。勝手に、って、俺はちゃんと言ったじゃないか!君の価値観にはついて行けない、俺は君とはつき合っていけないって!さっきの奴はただの友達だけど、例えば君の言うとおりだったとしたって君に責められる筋合いなんかない!俺は君とは別れてるんだ、だけど君は俺と付き合ってるときに他の子とそういうことをしてたじゃないか!君のは、完全に浮気だったじゃないか!そんな君に、どうして俺が責められなきゃなんないんだよ!」
「俺だって浮気なんかしてねえよ!ヤキモチやかせるためにそんなそぶりをわざとしてただけだ!」
「は…?」
かっとなって言われた言葉に、つい本当の理由を口走ってしまった。さっきまで怒りで顔をゆがませていた先輩が、とたんに怪訝な顔をする。しまった、言うつもりはなかったのに。
「ヤキモチやかせるために、わざとって…、なにそれ…」
唖然として俺に問いかける先輩から今度は俺が顔を逸らす。バレたら面白くないのに、こうなったら仕方ない。だって理由を言わないと先輩は俺から離れるつもりなんだろう?でもちゃんと理由を言えば、俺の気持ちもわかってくれるはずだろう。
そんなバカな考えで、俺は先輩に本当のことを話すことにした。
「ヤキモチ妬いてる姿が、俺に必死って感じで好きなんだよ。だから他の子に優しくしたりしてたんだよ。だから俺、先輩んとこに戻ったらいつもちゃんと言ってただろ?『俺が好きなのは先輩だけだよ』って!」
全部聞き終えたら、きっと先輩は真っ赤になってしょうがないなって笑うだろう。そんで、また俺のところに戻ってくるだろう。
だけど、実際話し終えた後の先輩の顔は、ひどく悲しそうにゆがんでいた。
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