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The silhouette



発射されたライフルの銃弾は高速で左肩に当たり、肩の骨を粉々にした。そしてその銃弾は威力を弱める事なく、皮膚を貫通する間に人体の組織に細波を立てる。その為に当然、左肩には後遺症が残った。左腕は完全不随である。だが当たり所が悪ければ、左腕は今頃あの建物の屋上に虚しく転がっている事だろう。サラはゆっくりと息を吸った。肺が膨らむと鋭い痛みが左肩に走る。その傷跡を見る勇気はサラにはなかった。今まで幾多の人間をライフルで狙撃して来た彼女は、それが自分の想像する以上に悲惨なものであると分かっていたからである。病室の窓から見える通りの瑞々しい木々、生き急ぐ人々、果てのない青空。その全てが、彼女の踏みしめている床のようにひっそりとして死んでいた。彼女にとっては、いや、彼女にとってだけ死んでいた。

カークは小さな花束を片手に病院を訪れた。入院して数日が経っていた。サラが意識を取り戻してからは初めて会う。カークは手元の花を眺めた。彼女はこれからどうするのだろう。厳かに輝く灰色の瞳を持った、美しい娘。この私を嘸かし憎み、絶望している事だろう。私が彼女にしてやれる事は何だろうか。どうすれば彼女を苦しみから遠ざける事が出来るだろうか。カークは病院の廊下を進んだ。だが幾度となく通った道の端で、彼は足を止めた。面会者がいたのだ。カークは微かに眉を寄せた。病室の扉は閉まっていたが、扉のガラスから中が見えた。ベッドの傍に男が立っていた。そしてその向こうに見えるサラの姿。想像していた彼女とは違う、男に笑顔で応える彼女であった。自分が届ける筈であった鮮やかな色をした花々が、彼女の傍にはあった。
男は直ぐに出て来た。病室の外に設置された長椅子に座っていたカークはゆっくりと腰を上げた。そしてその際に、持っていた小さな花束をそのままそこに置いた。
「やあ」
サラは現れたカークを見て少し驚いた表情を浮かべた。彼女は撃たれた自分を見つけ助けてくれたのは彼の慈悲であったと分かっていた。しかし、まさか彼が直々に来てくれるとは思っていなかった。仕事が正常に出来なくなった時点で解雇の筈である。サラは無意識に、左肩に手を添え患者衣を整えた。朧げに記憶にある、最後に見た彼の姿。今の彼はそれらより更に酷く、最低限の力でそこに佇立しているようであった。サラは彼女の中に感じていた死を、彼を通して見た。何故だか自分が死ぬよりも、彼が死ぬ事の方が怖く思えた。
長時間の痛みに耐えた為に、その双眸には深い疲労が表れており顔色は悪かった。カークはサラに歩み寄った。病室に運び込まれた、血の気のない、固く眼を閉じた彼女の顔が彼の脳裏に浮かんだ。自分が一番に恐れる事が、いつかは起こると分かっていた筈である。他の誰でもない、私の所為で、彼女は失ったのだ。
「……綺麗な花だ。さっきの男は?」
無機質な病室で目立つそれをカークは問うた。病室から出て来た男は、彼の存在すら気付かずに廊下を歩いて行った。真っ直ぐに前を向いて、幸福に最も近い人間らしく生命力に溢れていた。頑健と純粋。もう一つの彼女の人生を、あの男を通じてカークは初めて垣間見た。かつて彼が生きていた輝かしい日々。家族があり、守るべきものがあった人生。愛し、愛されるという幸福。そのような人生が、サラにも確かにあるのだ。
「職場の同僚です。補講をしてくれたらしくて」
「そうか」とカークは返事をした。そのような人生を、サラに歩ませるべきだったのではないか。彼女の傍にいたいからと彼女に仕事を持ち掛けるのではなく、彼女に幸福になって欲しいと思うだけで良かったのではないか。病に侵された男が、彼女を幸せにする事など出来る筈がないのだ。特に、自分のような人間には。
「まさか君が、こんな目に遭うとは思ってもみなかった」
カークの低い声が微かに震えた。それはサラにも分かった。額に汗の玉が浮かび、紫色のシャツの襟は汗で色が濃くなっていた。貧血なのか結膜が更に白く輝き、その透き通った青い虹彩が異常に目立っていた。その為に声が震えたのではない。
「……カークさん?」
何故彼は、そのような後悔の表情をするのだろう。このような結果になるであろう事を承知で仕事を受けた。加えて、自分は幾らでも代わりが効く存在である。都合が悪くなれば、始末される存在であるのに。そしてカークは「すまなかった」とその目を伏せた。サラは涙が込み上げてくるのを感じた。熱を持った滾るような涙はたちまち眼の縁に広がったが、心臓や肺にも染み渡ったようであった。彼は優しいひとだ。優しくて、私以上に不幸なひとだ。
「また来る」
カークは如何にも寂しそうな、と同時に如何にも優しい眼差しをサラに注いだ。私は、生きている間は、君に何でもしてやれる。だが君はそれを望むだろうか。君はこの私をただの雇主だと思い、左腕と引き換えに私の命を守ったのだろうか。彼女はこの際、私との関係を解消しようと考えているかも知れない。君が何を考えているか、何を望んでいるか、私には分からない──長くて約半年と言われたこの身体には既に、冷たくなった血潮が流れ巡っている。やがてこの命が終わった時、君のみが、私の憩う土の上に啜り泣く事を願う。私が望むのは君だ。その麗しい涙こそ、無上に愛おしいのだ。涙に濡れた事のない目を持つ者の胸には。