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Ether



肉が割れ、骨が軋む激痛にサラは地面に崩れた。痛みに耐えようと硬直し始める身体を無理矢理動かし、鞄の中から中身の入った注射器を取り出した。液体を少量出し、自身の右脚にそれを射した。サラは液体が全て入ったのを見ると、空の注射器を抜いた。痛みが止むまで時間がかかる。その間に痙攣が来るかもしれない。不幸中の幸いか、此処は町の外れであった。その為人の姿は見えない。サラは自分の右脚を一生懸命に摩った。止まって、お願いだから止まって。こんな姿を見たら、きっと皆は、そんな脚で新世界なんて無理だと思うから。此処まで来て、皆のお荷物にはなりたくない。ポトリ、とサラの目から涙が零れた。一度涙が出ると、それは際限なく溢れ出た。誰も見ていない事が余計にそれを助長させた。誰か助けて、誰か、私をこの苦痛から救って欲しい。変わらぬ激痛と恐怖が胸に迫り、ただサラはその場で声を詰まらせ泣いていた。途端、遠くから何やら下駄のような音がした。その独特な足音が此方へ真っ直ぐ走って来る。サラは朦朧とした意識の中で鋭利な絶望に苛まれた。
「こんな所にいたのでござるか。もうサンジ殿が夕飯の支度をしておる。お主が中々戻らぬ故、みなが心配して、」
覇気で居場所が分かったのだろうか。でもなんで錦えもんさんが来たんだろう。サラは心底残念に思った。自分の脚の事を知っている仲間の誰かが来てくれたならまだ安心出来た。他の誰でもない彼に、この脚を見られた。その事がサラにとっては最悪の事であった。普段は服で隠し、誰にも見せた事がなかった。それが今は服の裾を捲ってある。右脚には二つ、銃弾が貫通した跡がある。それらが時にこうして機能障害を引き起こすのだ。
「、サラ」
無理矢理口の両端をぐっと上げる。自分の直ぐ傍には空の注射器。それに錦えもんの視線が移るのを見る。今にも泣きそうな情けない顔をしているのに、作り笑いをすれば益々酷い顔になる。なんで、なんであなたが来たの。
「古傷が痛んだだけです」
止まれ、止まれと脚を摩るも涙は溢れ、痛みは止まらない。こんな姿見せたくないのに。情けない。一番、あなたには見せたくなかったのに。
「早く見つける事が出来て良かったでござる」
錦えもんの低い声が僅かに震えた。彼女の両方の眼からまた大粒の涙が滴り落ちる。水晶のように澄んだ眼にはまた新たな露の玉がきらりと光った。己の懐の奥深くにしまっている甘やかな願望も共に溢れ出しそうであった。錦えもんは片膝を地面に着き、手は今にも彼女に触れようとしていた。
「早く、チョッパー殿に診て貰った方が、」
「大丈夫です。ちょっと休んだら治りますから」
脚を摩る彼女の手が先程とは違って緩やかになり、痛みが段々と引いてきたようであった。それと同時に涙が止まったが、顔に深い疲労が見えた。案じた錦えもんがもう少し彼女の方へ身を寄せると、サラ自身から錦えもんの胸へと身を委ねた。
「……すみません」
罪だ。これは私の罪になる。彼に触れまいとしていたのに、彼が持つ優しさを利用し自ら触れてしまった。彼の左胸に右頬を寄せ、左手を彼の右肩へ当てた。温かな彼の持つ熱が直に伝わってくる。睡魔が招く安らぎに似たもの。激痛の後の疲労がそれによって消えて行くようであった。ただ今だけは彼に甘えていたい。他の誰でもない彼に。醜い自身の欲望に彼を付き合わせている。
「いや、良いのだ」
錦えもんはサラの背中に回していた両手に優しく力を込めた。それによって彼女の上半身が身体に密着する。己の想いが心臓の音で分かってしまうのではないか──だがそんな事はもうどうでも良かった。この愛しくて仕方ない女をただ黙ってこの腕の中に閉じ込めていたかった。サラは何も言わなかった。錦えもんがそっと彼女の顔を伺えば、サラは目を瞑って微笑んでいるように見えた。恋人宛らの行為。錦えもんは幸せだった。
「月が、綺麗でござるな」
あなたが好き。あなたが、好き。痛みにではなく切なさに心臓が破裂してしまった。このままずっと二人でいたい。二人だけの世界であなたと生きたい。今だけは、それを実感出来る。自分の髪をそっと撫でる心地良い感覚に誘われサラは眠りに落ちた。
星々が見えない程に月が明るい。サラの顔を見ると、眼の周りや鼻が少し赤くなっていた。錦えもんはサラを起こさないように抱き上げ、その場を後にした。郊外を抜け、沈黙した街を通る。視界を占める大きな月に、慎ましき故郷の空の月が重なる。一つの国に鳴り渡る寺の鐘。寂しい恍惚と我が内にある過去の輝き。そして哀れなる幾つもの魂──錦えもんはサラを見た。初めて抱える小さな身体。錦えもんはサラを抱き寄せ、馥郁たる香りに胸を浸らせた。深い孤独から己を呼び起こす。錦えもんの緩やかな足取りにサラの髪が揺れる。二人きり。此処にあるのは彼女と己の二人きりの時。過去もなければ未来もない。そしてこの大気を貫く原子との戯れ。それは宇宙空間を満たす、常に輝いている元素。漂う神聖な香りに目を細め、この時を内に深く刻んだ。