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Stay on my brain



錦えもんの泣き崩れる姿が頭に過ぎる。抜け殻宛らの、涙を拭う事もせずただモモの助の名前を呼び続ける姿。愛憐な存在をすっかり陥没させた、悪夢。サラはそんな一瞬の想像から我に返り、咄嗟に自分の腕の中に小さなモモの助を閉じ込め身を伏せた。そして顔を動かし、その男に向かって一発発砲した。男の腕が拳銃と共に地面に落ちる。その光景を見ると、身体を緩やかに起こした。サラは左手を緩め、モモの助の少し狼狽えた表情を見た。拳銃を腰に仕舞い、彼を安心させるようにそっと微笑む。彼の大事な子どもなのだ。この子を失ったら彼は壊れてしまう。そんな事にはなって欲しくない。
「モモの助!」
名前を叫ばれ、モモの助は弾かれるように顔を動かした。サラはそんなモモの助の後に後ろを振り向いた。
「錦えもんさんが来たよ」
モモの助がくしゃりと無垢に笑った。彼の中で錦えもんは、誰よりも心を許せる存在なのだろう。仲のいい親子だから。
「良いお父さんだね」
その言葉に一瞬、モモの助の表情が固まった。笑顔を引攣らせ、何かを言いたそうに口をもごもご動かしている。だがその表情にサラは気が付かなかった。愛する我が子の名前を叫び、大股で軽快と走って来る。着物の裾がややはだけている事にも構わずに。そんな錦えもんの姿を見てサラは少し笑った。

「サラ殿、先程はかたじけのうござった。未だモモの助が小さい故ながら、親である拙者が目を離してしまった。すまぬ。モモの助だけではなくお主にも危険な思いをさせてしまった」
服に付いた砂を叩いているサラに近寄り、錦えもんはそう言った。背筋が冷えるような思いをしたのも一瞬、彼女は何処からか現れ、モモの助を守った。鷹揚さを持つ彼女の眼が、その時だけ鋭い眼光になったのを錦えもんは見逃さなかった。錦えもんが咄嗟に刀に手を添えた時には既に、男は彼女に撃たれていたのだ。今思うと彼女はいつもモモの助の傍にいた。近くにおらずともモモの助に気を配っていたように思う。
「いえいえ。大事なご子息ですから」
明るい声に錦えもんは微笑む。そして少し離れた所にいるモモの助をちらりと見た。前の島で知り合ったばかりの、海賊。異国生まれの女。そして我々の恩人。海賊が、恩人になるとは思いもしなかった。何故我々はこうもこの海賊達に助けられるのか。何故こうもこの海賊達は素性を明かさぬ異国の者に優しいのか──錦えもんの瞳にサラの綺麗な緑色の瞳が映る。
「……お主の頬に、汚れが」
「えっ?」
サラは慌てて自分の頬に手をやろうとしたが、先に錦えもんの手、彼の親指の平がサラの頬をゆっくりとひと撫でした。そんなたった一つの仕草に躍動している血管の中の血に、錦えもんは戸惑った。恐ろしいくらいであった。己の心を虜にしたこの娘に、余りに深入りしているのではないか。それ程までに彼女が離れない。すっかりこの心の中に住み、彼女の気に入る事より他は何も思わないのだ。彼女の身振りの一つ、瞬きの一つ、言葉の一つで満たされる。そしてこの心を悲しみに浸す事さえ容易い。だがこれを愛だと気付かぬ振りをすべきである。乾燥した己の指が、しっとりとした娘の肌を滑る。彼女にとってはほんの数秒であっても、己にとってはとても長い時間のように思えた。穏やかに流れるこの心地よい時が、もっと続けば良いのにと彼は思ってしまった。サラへの愛が確かにある。己の身体に流れる血にその愛が混ざり、彼女の為に巡っているのが分かる。拙者は、そなたを──錦えもんの遣る瀬無い手が彼女から離れ、自身の身体の横に垂れ下がった。
「、」
錦えもんのその仕草にサラは目を見開いた。彼の大きな手が何をする訳でもなく、ただ自分に優しく触れた事に驚いたのだ。たった一つの汚れの為に、彼の意識が自分に向けられた。
「取れたでござる」
錦えもんの声にサラは顔を上げた。熱くなる頬を隠すように、先程彼が触れた頬に自分の手をやった。錦えもんはサラに背を向け、モモの助の所へと足を進めた。モモの助はそんな錦えもんに気が付き、自らも走り寄る。親子だ。父親と子ども。見えないもので結ばれた家族。そんな二人の後ろ姿を見てサラは胸が苦しくなった。嬉しいような悲しいような、自分が決して入る事の出来ない世界が、そこにはある。ただ彼が羨ましかった。錦えもんを父親に持つモモの助が。強くて、優しくて、素直なお父さん。ただそれだけだと、思っていたのに。嗚咽にも似た苦しさがサラの胸に迫り、錦えもんの浮かべた微笑みが脳裏に焼き付いた。