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Four seasons fill the measure of the year



あの階段での再会が、ミンギスに自分の事を想起させたようである。再び手紙が届いた。以前のように、英国中に存在するマーリンの目を潜らせる為の細やかな計画案が、其処には簡潔に記されてあった。人混みに紛れる事の出来る駅への道順。監視カメラに捉えられないようにする為の車両の位置。駅に着くのが早過ぎないように、との注意書きを添えられた発車時刻。情報部も、それなりにマーリン対策をしている事が窺える。そこまでして自分を牙城から呼び出そうとする男──何故だかサラは、何かしら永遠に若々しい力と喜びを呼吸しているように思われた。『最後の手紙から随分と時間が経った。未だ君に、今少しの思いがあるならば。追伸。誰に対してのとは書かない』彼の吐息。通常、其処には色々なものが混じり合っている。秘密、嘘、痛み。こんな手紙、出回ったらどうするの。貴方の弱味になるだけよ。彼女はそれを処分しようとし、少し考えた。最早すっかり夜になってしまった外をふと見遣る。空には星が現れ、新月は時々煙に翳ろいながら輝いていた。
いつもの如く、カフェの窓際の席で脚を組み、煙草を吸っている一人の男。出入口であるドアの方に背を向けており、窓の外の景色を白煙の影から眺めている。ドアベルと足音が彼にのみ、サラの到来を知らせはするが、振り返らせる事はしない。二人は徐々に打ち解けていった。他人を操る事に長けているミンギスは、彼女を仕事以外の事で動かすのは難しいと考える。二人はいつも同じカフェで落ち合う。彼は簡単な仕事を持って来て、彼女は凡ゆる監視から逃れて来る。気が向かなければ手紙の返事をしない時もあった。しかし、心を揺さぶるような声と、物静かだが危うい態度が彼女の気に入った。それと、ひやりと冷たく、夢を見させるような眼差し……。サラは久方振りに赴いた。予想通り、無防備にもミンギスは出入口に背中を向けていた。今なら此処で、拳銃を構えて発砲する事だって出来る。彼は分かっている筈である。スパイは必ず部屋を見渡す所に座る──彼女は彼の肩に手を置こうとし、既の所で止めた。彼の向かいに座ると、日の光が彼の顔の半分を照らしていた。珍しい事に、疲労が顕となっていた。ライターはカップの傍。もう直ぐ遊び始めるだろう。
「久し振りだな」
「お元気でしたか?」
「此処から見える木々の色も変わりつつある」
「手紙の返事を怠った私を責めていらっしゃるの」
サラは言葉を続けながら、ミンギスのライターを先に手に取った。彼女の頬には微かな赤みが差し、眼は新しい、きらきらした光に輝いていた。陽の光は雲一つない空から玲瓏と流れ、樹枝を透して天日は微笑んでいた。この慈愛に満ちた天日の名を、我々は喜びと感謝なしには讃えない。天日は深い悲しみの我々を見守っては、傷付いた我々の心を癒し、不満と憂いを払い、我々の魂を清めてくれる。
「久々の休日でね」
「何か予定は?」
「庭いじりでもと」
見え透いた嘘を吐き、サラを見詰めた。不思議な事に、美は善であるという完全な幻想が往々にして存在するものだ。美しい女が愚劣な事を言った場合、それを聞いても愚かさは見ずに、聡明さを見る。その女が醜悪な事を言ったり、したりしても、何か愛すべき事のように思う。女が愚かな事も醜悪な事も口にせず、しかも美人だったりしようものなら、直様、奇跡のように聡明で貞淑な女性だと信じ込んでしまうものだ。彼女からの返事の到来を待つ私の心は、危懼の念で一杯だった。時間は経とうとも、必ず届く筈である。それまで彼女に会いに行かない事を、私は自分自身に約束させた。彼女が唾液を強く飲み込む。私の指先が彼女の指に触れる。まるで彼女の手を隅々まで覚え直すように──ミンギスは未だ、初めて彼女を見た時の事、そしてこの親密な瞬間に彼女の身体と魂がどう反応したかを覚えていた。それは、今も変わる事はない。
「昨年の今頃だった。君が私を捨てたのは」
荘厳とも形容すべき、深い深い沈黙が続いた。その中に、ミンギスの心臓の音と、『綺麗だ』といったあの声が蘇って来た。あの夜、彼の瞳の奥に何かを感じた為に直様彼に従った。このような事は全く初めてだった。心臓が高鳴り、胃が締め付けられるのを感じる。彼は自分をゆっくりと両脚の間に立たせ、彼の指先が自分の顔を愛撫し、学び始める。その形、肌の感触、眉、唇の厚み。自分は彼の指先にキスをし、小さな笑みを浮かべると、彼は身を乗り出して自分にキスをする。情熱的に……彼の奥底に秘められた炎で。その炎は、自分自身の欲望を刺激し、自分の身体を熱くし、自分の脚の間に低く沈殿する──サラは眼前の男の吐息、喘ぐ美声、身体の震えを思い出した。その全てが自分の魂を震わせる程のもので、また、自分の身体をも震わせた男であった事をも思い出した。

「──手紙をくれ」
二重の喜びの為に、二重の日が生れるのだろうか?一日が沈み去る前に、早くも新しい一日が立ち現れる。輝かしい香油に塗れた壮麗な半神のように、記憶を持たぬこの一日は、庭と海を凝然たる光耀で覆い尽くす。そして、馴染み深い樹は気疎くなり、吹上は気疎く煌めき、気疎い暗い力が外部から我々の中へ押し入って来る──プラットホームへの道のり。今まで固く口を閉ざしていた男は、電車のドアが眼前で開いた際、遂に溢した。日は瞬く間に過ぎて行く。いや、この言葉のように、指の隙間から悉く時間は落ちて行く。昨日と今日の区別はなく、其処に大した幸福はなく、随分と昔の苦労を大層引き摺り、その上に見せ掛けの人生を築く。そんな日々の中で、サラがその区別に値するものであった。ミンギスはポケットに手をやり、手紙に触れてみる。いつも、それを取り出して読み返したい衝動に駆られるのだが、其処はどうにか我慢をする。言葉がすっかり消えていたり、別の言葉に置き換えられたりしているのではないかと思え、不安でならない彼女からの言葉。秘密は破られる。だが、サラのものはそうはいかない。彼女の傍にはガラハッドがいる。その名の底知れぬ輝きは、我々も良く知っている。ミンギスの目には嘘を吐いているとは見えない。彼は、愛する女と離れていると直ぐに、彼女の身に何か起こりはしないか、彼女が裏切りはしないかと、途方もない恐ろしい事態をあれこれ考え出す。それでいて、てっきり裏切ったに違いないと固く確信し、打ちのめされ、絶望し切り、また彼女と逢瀬し、にこにこと笑っている明るい愛想の良い女の顔を一目見ただけで、途端に精神的に生き返り、直様一切の疑いをなくし、羞恥を覚えながら自分で自分の嫉妬深さを叱るといった、正にそういった性質の持ち主であった。
「ええ。分かったわ」
ミンギスの横をすり抜けようとした時、サラはその納得していないような、感情を抑えた微笑に胸を衝かれて思わず足を止めた。遂に大きく響く発車の号令。彼はつと手を伸ばし、車内へ入ろうとした彼女の手を取った。だが、その手は直ぐに引っ込められた。彼は、自分のしている事が明瞭に分からぬままに、またその手を握った。酷く心が揺れていたが、彼は捕らえたその手の氷のような冷たさに愕然とした。彼はそれを振るえる程、力を込めてぐっと握り締めた。逃れようと最後の努力をしたが、遂にその手は彼に委ねられた……。この気のないような返事も、悪気のない策略かも知れない。憧れ求める情の印を少しなりとも明瞭に見せ、言葉に偽りのない事を明かしてくれない事には、如何に優しい言葉にもうっかり心は許せない。しかし、そうは思っていても、心は再び彼女の元に飛び立ち、当てもなく言葉を紡ぎ出す。
「私達は元に戻れないのか」
「誰かが見てるかも」
「構わない」
これは難しい事だ。ミンギスはもう随分と長い間、その事を考えていた。互いに愛し合っていた間は、言葉なんぞ使う事なしに、互いに分かるものである。しかし、そういつまでも愛し合っている訳にはいかない。ある時期が来た時、言葉を見付ければ良かったのだ、しっかりと彼女を引き止めて置けるような。ところが、自分にはそれが出来なかった。ミンギスは渋々といった様子で、サラの手を離した。もし、彼の愛が未だ不確かなものだったなら、彼女のこの行為は十分な成果を上げただろう。しかし、今更彼の愛が冷めてしまう筈もなく、彼女のした事は結局、彼を悲しませただけだった。そして、悲しみの為に彼は一層恋心を募らせたように見えた。彼の舌が私の下唇に触れ、口の中に滑り込む。官能的な感覚に震え、更に私は彼に近付く。スーツの上質で高価な生地を手の平で感じる。指が疼く。その指を沿わせ、彼の胸の上に滑らせる。彼の上着を肩から離し、もう一度彼が私の唇に触れると、静かに呻き声を上げる……。セックスの後の幸福そうな一服。またベッドへ戻って来ては、子供のように背後から私を抱き締めて、腰と腰をぴたりと合わせて眠りに入る。いつだって先に、彼は去る。脱がされた衣服は丁寧に畳まれ、クローゼットに仕舞ってくれている。サラは見送ってくれている筈のミンギスを振り返らずに、先程盗んだ彼のライターをポケットから取り出した。彼の癖を真似て、くるくると指で回す。二度と返してあげない。そう思いながら、再び手の中で握り、車窓に頬杖を突いた。

Troye Sivan - In a Dream