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The pilgrim



恋の酔い処が覚めたとしても、優しさが消える事なく生きて行く事が出来るのならば、激しい思いが暗く深く、死の微睡を続けたとしても、泣くまい泣くまい。静かに見詰めるあの優しい眼を感じ見るだけで、その他は皆夢に見て燃え立ち、目には見えぬ炎に密かに呑み込まれるだけである。もし君が君であったなら。三年の微睡から覚め、森の花々は再び現れる。凡ゆるものが野に森に、空や海に蘇る。ものを皆動かせて形作り、息を吹き返す、生命と愛の二つを除いて。サラが去ったあの日。スネイプは、自分の思いというよりも、彼は未だそれを分析する事が出来なかったのだが、今まで一度も味わった事のない精神状態に注意を傾けながら道を歩いていた。『私は死を待ってた……』──彼女のあの心が言った言葉は、彼の心に電気の火花のような作用を起こし、決して一時も彼の心を離れた事のない断片的な、力の無い、ばらばらな沢山の思いを、忽ち変貌させ、一つに集中させてしまった。これらの思いは、裁判官より判決を言い渡された時でさえも、自分で意識をしない内に、彼の心を捕えていたのであった。その時、初めて彼は、自分を含めた全て人間の前途には苦悩と死、また永遠の忘却の他に何一つないという事を明瞭に理解し、この有り様ではとても生きて行く事は出来ない、この人生が何か悪魔の皮肉な嘲笑だと思われないような解釈を見付けるか、でなければ、毒を飲んで自殺でもするよりは他ない、と半ば自虐的に決心したのであった。しかし、彼はその何方をもしなかった。彼女のいないこの自然界の何一つ、彼は祝福しようと思わなかったのだが。
更に何週間か過ぎ、別の季節が巡って来た。雪は綺麗に消え、融けた氷の水音が天地に鳴り響き、空気を震わせる。燕が戻って来て、市街に繋がる森では、跳び回る獣や耳慣れぬ言葉を呟く鳥達が目覚め、我勝ちに動き出す。爽やかな甘い香りが土壌から匂い立つ──春がやって来たのだ。スネイプは書斎の窓から俯瞰した。狭く、手入れを施していない庭には、本を読んでいるサラの姿が見えた。疾うに人生の盛りを過ぎた男が、そんな男の想像力が、何故愛と戦いの表象なんぞを思ったりするのか。先人の時代から伝わる夜を思え。想像力が大地を蔑み、知性が迷い戸惑う己の性を軽蔑しさえすれば、この夜が死と誕生の罪から救い出してくれるというのに。しかし、彼は、この魂を押し包むような幸福の波に逆らう事は出来なかった。あの淑やかな手に触れ、黙せるあの声の響きを耳に出来るものなら、と思っていたが、過ぎ去った日の、あの優しい恩寵は二度と決してこの身に戻る事はないだろうと思っていた。だが今、己が望んだ彼女は此処にいた。正に此処に。彼は庭へと下りて行った。
「少しだけ顔色が良くなったかも。私の薬のお陰ね」
「戯言を」
闇は我々の大切なものを奪い去った。私達は燦然たる光となり、その闇を退けたが、私達に残ったものといえば何だ?ただ虚空の現実があるのみ──せめて私が気の小さな弱虫で、この意識に苦しめられてくよくよ悩むようだったら、未だ楽だったと思う。ところがそうではなく、私は限りなく強い人間である事を、自分でも知っている。その私の強さが何処にあると思う?それは、どのようなものにでも順応出来る真の生活力である。これは、私達の時代の、全ての賢明な人の、際だった特徴でもあるけれど。私は何ものにも破壊されないし、何ものにも駆逐されないし、何ものにも驚かされない。 私は番犬みたいに生命力が強いの。私は少しの引っ掛かりもなく同時に二つの相反する感情を感じる事が出来る。これは勿論、私の意志とは無関係にだけれど。しかし、そうは言っても、それが恥ずべき事だという事くらいは承知している、何しろ余りにも常識的過ぎるから。私はこの歳の坂を登り詰めるまで生きて来たけれど、私が生きて来た事が良かったのか、悪かったのか、未だに分からない。勿論、私は生きるという事を愛そうとしているし、それは事実が率直に語っている、でも、私のような人間が生きる事を愛するというのは、正に卑劣な事だ。けれど、世の中の人々はそうした現実との折り合いが付かずに自殺したりする。だが、その行為が愚かな事は言うまでもない。ところが自殺をせずにいる私達は利口である──となると、平行線は絶対に変わらぬ道理で、問題は矢張り未解決のままに残る。では、果たしてこの世界は私のような人間の為にのみ存在するのか?そうだと答えるのが、最も正しいようだ。けれど、この考えは余りにも喜びがなさ過ぎる。とはいえ……しかし、問題は矢張り未解決のままに残る。
「少し、歩いて来る」
サラは、スネイプが自分を愛しているという事──それは彼の凡ゆる所作が示していたが──を知っていた。しかし彼女は、その時には、彼の献身的な愛の本当の深さ、その純真さ、その優しさを知らなかった。どれ程の長い苦悩、どれ程の正直さ、どれ程の忍耐、どれ程の誠実を保証しているかを知らなかった。彼に愛して貰えるなんて、そのような値打ちが私にあるだろうか。こんな私の何処が良くて、愛してくれるんだろう。それにどうして、今まで私は本当の意味でそれに気付かず、有り難いと思わなかったんだろう。サラは咄嗟に「雨が降るよ」と、スネイプの後を追った。彼の言葉通り、彼は直ぐに此処へ戻って来るだろうと思った。だが彼女は、彼女自身の事は分からなかった。彼が行った後、果たして自分が未だ此処で本を読んでいるのか、或いはあの日のように何も言わずに此処から立ち去るのか、自分でも分からなかったのである。
若々しい心を持っていると感じたら、もう何の問題になろう?スネイプが今抱いている感覚こそ、春というものではないだろうか?森の外れへ出て、斜陽の明るい光線の中に、絹の服を着、軽い足取りで白樺の老樹の傍を通り過ぎるサラの優雅な姿を認めた時、その彼女の印象は、一面に斜陽の光線を浴びている黄ばみ始めた燕麦畑と、その向こうの青々とした野末に溶けるような、黄色の斑になった遥かな古い森の、はっとする程に美しい眺めと、一つに溶け合った。彼の心は喜ばしさに締め付けられ、春の香りを味わった。もう決心が付いたような気がした。彼は決然たる足取りで、自分を追い掛けて来た彼女の方へ歩いて行った。二人は無言のまま五、六歩歩いて行った。彼女は、彼が言おうとしている事を悟った。いや、それが何であるかを察し、喜びと恐怖の興奮から、胸が痺れる思いであった。あのような境遇を味わった後では、幸福の絶頂であるように思われた。いや、そればかりか、彼女は自分が、この彼に恋しているものと信じて疑う事をしなかった。しかも、それが今にも決まってしまうのだ。彼女には恐ろしかった。彼がそれを言い出す事も、言い出さない事も怖かった。今こそ打ち明けなければ、もう二度と機会は巡って来ないだろう。スネイプもそれを感じた。サラの眼差しにも、伏せた瞳にも、全ての中に病的な期待が現れていた。彼はそれを看取し、彼女が哀れになった。彼は今何も言わなければ、彼女を侮辱する事にさえなると感じた。彼は心中で、自分の決心を良しとする一切の根拠を素早く確かめてみた。自分の求婚を表現しようと思った言葉も、心中で繰り返してみた。しかし、そうした言葉の代わりに、彼はふと、何かしら頭に浮かんだ考えにつられ、こんな事を尋ねた。「君は未だ闇祓いをしているのか」彼女の唇は、それに答えた時、震えていた。「ええ、未だね」そして、こうした言葉が口から出た途端、彼も彼女も、もう何もかもお仕舞いになった事を、言わなければならなかった事も、遂に言わず仕舞いになるに違いない、という事を悟った。それまで頂点に達していた二人の興奮も、段々鎮まって行った。「残党狩りに、これからも忙しくなりそうだな」スネイプが落ち着いた態度で言うと、サラが彼の手を取った。その行動を全く予想だにしていなかった彼は、彼女の方をちらと窺い見た。彼女は厳粛な明るい眼差しで、じっと彼を見詰めた。そして長い物思いの後、微かな微笑を見せて、囁いた。
「セブルスはどんな風に、魂の為に生きているの」
私は今の今までその事だけを考えて生きて来た。それでも答えが出せずにいたものを、彼は既に知っている気がした。彼はそういう人間であるのだ。森が二人の周囲にあった。陽の光が遮られた薄闇の中で、茶色の葉が光の褪せた流星のように落ちた。一匹の老いた兎が足を引き摺って小道を走った。兎の上にも春が来ていた。
「世の掟だ。世の掟通りに生きている」
歩き続けたまま、スネイプは息を吐くようにしてその答えを言った。 サラが魂の為に、正直に、世の掟通りに生きていると言った彼の言葉を聞くと同時に、彼女は朧げながらも意味深い思いが、群れを成して、今まで閉じ込められていた所から、急に飛び出して来たような気がした。そして、それらの思いは一つの目的を指して突進しながら、その光輝で、彼女の目を眩ませながら、彼女の念頭で渦巻き始めた。
「それだけだ」
スネイプの横顔、その闇色の目には静謐な光が走っていた──いいえ、言う必要はないわ。これは秘密。それも、私一人だけに必要で、重大な、とても言葉では表わす事の出来ないもの。この新しい感情は、私が空想していたように、急に私を変えてもくれないし、幸福にもしてくれず、そうかといって、心の内部を照らしてもくれない。矢張り、思い掛けない贈り物はなかった訳だ。これが信仰か、信仰でないかは、私にも分からないけれど、でもこの感情は、矢張り知らず知らずの内に、苦しみと一緒に、私の魂の中へ入り込んで来て、其処にしっかり根を降ろしてしまったんだわ。これからも私は相変わらず、何かに腹を立てたり、相変わらず議論をしたり、とんでもない時に自分の思想を表明したりするだろう。いや、相変わらず、私の魂の聖なるものと他人の魂との間には、例えそれが彼の魂であっても、きっと、壁があるだろう。そして相変わらず、私は自分の恐怖の為に誰かを責めたり、直ぐまたそれを後悔したりするだろう。いや、相変わらず、自分が何の為に祈るか分からないまま、祈り続けて行くだろう──しかし、今やこの私の生活は、私の生活全体は、私にどのような事が起ころうと一切御構い無しに、その一分一分が、以前のように無意味でないばかりか、疑いもなく善の意義を持っていて、私はそれを自分の生活に与える事が出来るのだ。
「セブルス、ありがとう……ありがとう」
自分を幾度となく救ったこの男の言葉は、天籟の如くサラの内に流れた。天籟の如く、彼女の魂に囁かれ、天籟の如く、彼女の傷だらけの心臓に伝えられた。灰色の瞳は漆黒のものを捉えた。彼等の頭上には無限の空と僥倖があった。死を望む事勿れ!気高き血を持った者達よ、死を望む事勿れ!

Sarah McLachlan - I Will Remember You