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EVERYBODY LOVES SOMEBODY



明るさを調節され、本来の猛威を揮っていない照明の下にある幾つもの男女の影。戦場より生還した兵士と、そんな彼等を直向きに待っていた女子が互いに手を取り合い、流れる音の調子に合わせて身体を揺らす。爽やかな香水に酒や煙草の香りが纏い、恋に落ちた男女の一夜の楽しみ。ただ自らの内に存在する一つの生命と対話し、戦場から持ち帰った魂を安らげる事に専念する夜。兵士にとっては正にこの光景が夢であり、一方で戦場で見る惨憺な光景が現実であった。彼等は戦友と語り合い、戦友を失った悲しみから逃れ、異性との交流を果たしていた。騒がしくも若人の活気に満ちたその場所の前を通ったオーベルシュタインは、ふと其方に瞳を転じた。中央には薄暗い光を浴びた踊り場があり、その奥には数人の演奏者、そしてそれらを囲むようにして兵士が立っていた。生きてこそ夢は見る事が出来る。その場を辞そうとしたオーベルシュタインであったが、踊り場に向けていた視線を遮るようにして立っていた兵士がふと移動すると、彼の視線は真っ直ぐ、ある影に辿り着いた。踊る男女をルッツの隣で傍観しているケスラーが其処にいたのである。グラスを片手に雑談をしながら、赤味掛かった照明の下に立っていた。音楽が終わり、踊り場にいた男女がそれぞれ別れたり、そのまま二人で人混みに紛れたりする中、ルッツがケスラーの持っていたグラスを取り上げ、何か言いながら、ケスラーの背中をポンと押した。その拍子で一歩前に踏み出した途端、一人の女子がケスラーの手を取り、踊り場へと連れ出した。その際に上がった黄色の歓声は、外の通りにいたオーベルシュタインの耳にも聞こえる程であった。あの男は断る事をしない。早速音楽が始まって慌てたのか、ケスラーの大きな右手が女子の腰に当てられた。
『パウル』
柔和だが、一度耳にすると忘れる事が出来ない声。若く星のような輝きを持った女子はケスラーを見上げ、あの深い色をした双眸に婉然と微笑した。ケスラーの左手を取っている右手は皺一つなく、汚れを知らないものであった。オーベルシュタインはケスラーの唇が僅かに開き、動くのを見た。あのやや厚みのある唇が、オーベルシュタインの名を口にする時のものとは異なる動きをした。ケスラーの格別響きの高い、上低音の声。ケスラーの顔立ちに現れている、あの幻想的な明かり。それらは速度の緩やかな音楽と共に、オーベルシュタインの胸にすとんと落ちた。

「随分と早い退散だな」
「なに、長居する程の事でもあるまい」
オーベルシュタインは庭に出ていた為、車道に停車する地上車の音も、屋敷の扉が開く音も耳に届いた。彼は椅子に座ったまま、いつもケスラーがしているように、何もない庭一面と夜空を眺めていた。暖かな明るい夜であった。右手には利鎌のような新月が高く掛かっていた。月と反対の方には、彼が胸の内で自分の幸福と結び付けている、かの彗星が輝いていた。地面を叩く革靴の音が一定の速度で近付いて来る事が分かると、オーベルシュタインは振り返って言葉を発した。既に軍服を脱いでいたケスラーはグラスを二つとウィスキーの瓶を手に持っていた。開けていた扉を潜り庭へと出たケスラーは、そのグラスに半分ずつ注いだ。白いシャツから覗いている肌は僅かに赤く染まっており、二つの目からは気力が抜けていた。オーベルシュタインを見て微笑した唇に、透き通ったグラスが触れると、彼の目と同様の色をした液体がその開けられた隙間へとゆったり流れた。浮き出た喉が大きく上下した後に、ケスラーは何を思ったのか、ある音楽を口遊んだ。最初は音のみであったが、その内に歌詞も思い出したのかすらすらと誦じ始めた。僅かに乱れたケスラーの前髪が揺れた。
「この曲、知ってるか?」
「いや」
「皆と行った酒場で流れていた」
「私の事は気にせず、長居して良かったものを」
「君がいたら長居したよ」
そう笑って見せたケスラーが、座っているオーベルシュタインに手を差し伸べた。誰しもいつかは誰かと恋をする。誰もが恋に落ちる。オーベルシュタインはウィスキーを一口飲むと、腰を上げた。ケスラーは自らオーベルシュタインの手を取り、自身の腰に彼の左手を導いた。君が僕にそれを教えてくれる。僕のいつかは今なんだ。ケスラーの鷹揚とした声が、オーベルシュタインの頬をそっと撫でた。
「外でダンスぐらい出来たら良いのにな」
明るさを調節され、本来の猛威を揮っていない照明の下に、その身を捧げる帝国の鎧を纏った二人の軍人。決して若くはなく、しかし静謐さの中に毅然さを合わせ持つその四つの目。目が覚めるような愛を前にしては、迫り来る啓示も再生の兆しも身を潜める。ケスラーは天が照らすオーベルシュタインの顔や手に瞳を転じた。この悲しげな美しさは、宇宙創造の神の下にのみ讃えられる。青白い手を持ち上げるだけで良い、そうすればそれを見た俺の心は騒ぎ、夜空に上った星の明かりも、ただ君の足元のみを照らす事であろう。
「私は此処で十分だ」
我が愛しき人よ、君も御身を包み込み、私の胸の内に滑り込み、私の中に溶け入らん事を。濃藍の大海に異なる色をもって流れた一つの光芒。炯炯と存在を顕にしているその彗星は、ケスラーの心臓の鼓動と連動しているかのように、オーベルシュタインの義眼にきらきらと映った。

Dean Martin - Everybody Loves Somebody