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With one sweet look you may of torment ease me



朝。ローゼンフィールドは、昨夜のドーナツとコーヒーを胃に流し込み、直ぐに保安官事務所へ出向いた。クーパーとトルーマンに報告する検視結果が、全て揃っているかを今一度確認しながら、彼等の到着をロビーで待っていた。すると、サラが漸く来た。その姿を見るとローゼンフィールドは不意に胸が締め付けられた……彼女は少し疲れた足取りで歩いて来た。頬には幾分か赤みが差し、眼がいつもより明るく光っていた。ライトコートが肘の辺りまで落ちている事に構わずに、野草の細い茎をくるくると回していた。彼女は、何だか上の空な様子で彼に挨拶をすると、傍を通り過ぎてトルーマンの部屋の方へ入って行ってしまった。クーパーは後から歩いて来た。いつもと変わらぬ、矜持に満ちた清々しい態度で、白い歯を見せ、「おはよう!」と挨拶をした。表情は楽しそうで、柔和にさえ見えたが、ローゼンフィールドには気に入らなかった。おはようだって?彼は考えた。今朝はもう挨拶したじゃないか。朝に強いクーパーは、既に先にローゼンフィールドに会っていたのである。
「彼女、今日は機嫌が些か悪い。寝不足かな?」
「俺の知った事か」
クーパーはサラがいる部屋の扉を見ながら、ローゼンフィールドの耳元で囁いたが、クーパーのその目付きには何か特別なものが感じられ、ローゼンフィールドをはっとさせた。その素直そうで、だが危うさを併せ持つ大きな双眸には、彼女に対する想いが燦然と宿っていた。それは欺瞞なんぞではなく、心から彼女への想いを信じて止まない真摯な眼差しが、其処にはあった。正に、恋する人間の"美しい目"であった。異論はない。異性を幾人も射止め、将又元相棒の妻でさえも魅了し、挙げ句の果てには現相棒のサラまでも落とそうとしている、無垢且つ罪を知らぬ目。ローゼンフィールドはそれらから視線を外し、彼女の方へ行くように促した。ローゼンフィールドの心の弦は、調子が狂い掛けようとしていたのである。
「サラ……じゃなかった、バラデュール捜査官、──昨夜、ホテルに戻っていないな?」
「ええ、 病院にいたの」
検視報告を一通り終えたローゼンフィールドは、保安官事務所の外で部下を待っていた。報告書にサインする事を拒まれ、些か機嫌を損ねているように窺える彼を、クーパーはちらと盗み見た。徹夜でやり遂げたとは到底思う事が出来ない、精度の高い検視。そして『俺の知った事か』と言った、あの突き放した眼差し。彼は今一つ、よく考えてみた。アルバート・ローゼンフィールドという人間を、大概の人間は気に食わなかったり、大嫌いだったり、将又殴ってしまったりする。しかし、たった一人、彼を眼前にし、大して気分を害していない人間がいる。灰色の、水晶のように澄んだ眼。善良そうな慎ましい眼差し。クーパーは、何とも形容出来ない気持ちだった──アルバートは信頼出来る男だ。あの気難しい性格さえどうにかすれば、非の打ち所がない男だ。だが、彼は仕事以外、何の興味もないように見える。異性、そもそも他人に対して優しい演技すら見せず、自ら他人の機嫌を損ね、進んで殴られに行っている。ある時はそうさせ、ある時はそれを打ち砕く。それは、アルバートが彼と戦おうとする相手に最初に何を言ったかによるが、何れにしろ人気者とは言い難い。例え、何らかの奇跡が起き、異性に対し興味を持ったとしても、アルバートはそれをどう示せば良いのか分からないだろう……今思えば、先程のアルバートは、饒舌に証拠の説明をしながらも、サラの事は殆ど見ていなかった。トルーマンには『無い知恵を』と突っかかっていたが、彼女には一瞥すら与えなかった。奇妙な行動だが、それが彼なりの無意識による方法で、興味を示しているのかも知れない。誰かに興味を持つ事は良い事だ。興味なしに人間関係を築く事は出来ない。だが、何故、選りに選って彼女なのだろう?彼女はあと何人の男を虜にするのだろう?丁度その時、彼女はローゼンフィールドの元へ向かっているところだった。クーパーはぎくりと身を震わせた。心臓が凍て付く思いであった。しかし、彼は驚きながらも彼女の後ろ姿を見詰めていた。あの彼女が、もう疾うに一人前の女性である事に気付き、妙な気持ちがした──いいや、アルバートがサラを愛しているかどうかは分からないが、サラは違うと信じたい。そうだ、彼女は私の活躍を、事件解決や救出劇を幾度となく目撃している。最初から最後まで立ち会い、溺れた子の服を咥えて現われた私の一挙手一投足を誇らしく見守っていた事もある。サラ、サラ!私の生涯の一瞬一瞬が、言葉にならぬまま、ひたすら君に捧げられている事を知っているのか!私は君の手を引き、君が転んだり迷ったりしないように、君が歩く道を先導したい。クーパーの心は幸福を求める傾きが非常に強く、何か不都合な事態に見舞われても、必ず其処に喜びの芽を探すのだった。だが、今回ばかりは探す事が出来なかった。彼の心はそんなに幸福ではなかった。彼女を追い掛けようとした時、トルーマンに話し掛けられた。殺された少女の葬儀についてだった。

サラはモルグで眼を覚ました時から、酷い当惑を感じていた。それは、自分こそ秘密を守る事が出来るんですよ、と他人に見せ付けたがっている人間に通有の、控え目な磊落の仮面などではとても隠し仰るものではなかった。ローゼンフィールドには些かの心の乱れも見られず、無造作に彼女を迎えたが、座って眠っていた為に、何処か痛まなかったかと聞いた。彼女の折角の控え目な磊落さも、物々しい態度も、その瞬間に消し飛んでしまったばかりか、それと同時にうじうじとした当惑の感覚もなくなった。勿論彼女は、何も特別な事を期待していた訳ではないが、兎に角彼の落着き払った態度に衝突し、まるで頭から冷水を浴びせ掛けられたような体たらくだった。自分は、この人の目から見れば、ほんの赤ん坊なんだな──と、サラはしみじみと思い知り、酷く辛い気持ちがして来たのだった。「捜査官だろう、コートぐらいちゃんと着ろ。そんな植物も捨てろ」と素早く指摘し、気のない無表情を浮かべて見せた。とはいえ、彼の思いが何処か遠くにある事は、彼女には見て取られた。一層の事、私の方から昨夜の話を持ち出してみようか、と彼女は考えた。そして、勇を鼓して切り出した。
「昨夜、私にキスした?」
サラは動揺を悟られないよう、必死に取り繕っていた。今や二人を隔てるのは一歩のみ。彼女は道を塞いだまま、ローゼンフィールドを通る事をさせず、立ちはだかっている。二人は互いの顔を見詰め合う。不意に彼女は眼を伏せ、脇に退き、狼狽の表情を浮かべつつも微笑んだ。彼も暫く黙っていたが、軈て余り響かない、冷ややかな声で、出任せの、別に大して意味のない言葉に故意に力を入れながら喋り出した。
「あれ、違うの?」
「君の頭、開いて見てやろうか。本部も真っ青、正に異常だ」
ローゼンフィールドは、自分がサラに恋をしているという事を認める訳にはいかなかった。"恋"という恐ろしい言葉を一旦口にしてしまうと、彼には全てが明らかになってしまう為であった。この数ヶ月来、彼の心を覆っていた曖昧さは雲散霧消していた。だが、丁度薄暗い場所に慣れた人が急に太陽の下に連れ出された時のように、彼は強烈な光に目が眩んだ。何故かもう一度闇の中へ戻ろうとは思わなかった。寧ろ、直ぐにでも何か手を打ちたいと思ったのだが、どうすれば良いのか、彼には皆目見当が付かなかった。ただ、彼女の視線は、彼にその美を浴びせ掛けるのであった。
「時折、君は変な事を言い出す。流石、あのクーパーと組んでいるだけの事はあるな」
ローゼンフィールドは終夜眠らず、服も脱がず、朝方まで仕事をし続けた。途中、短時間の仮眠を取ろうとしたものの、矢張り片時も寝付けず、目蓋さえ閉じようとはしなかった。手を頬の下に敷いて眠っていたサラが、一瞬身動ぎをしたと思えば、彼女はじっと闇を見詰めていた。彼の脈は狂ったように打ち、重い溜息が一度ならずにその胸を高まらせた。ローゼンフィールドは、落ち着かぬ妙な気持ちでその場を辞した。彼は、今更のように自分が忌々しく、自分の許すべからざる軽率さ、子供っぽさに我と我が身を非難するのだった。犯した愚を悟る程切ない事はない、と誰かの言葉にもあったが、正にその通りである。後悔が彼の心を苛んだ──クソ!忌々しい、 と彼は吐き出すように心中で囁いた。 何だって俺は彼女を追い払わなかったんだ?上申書なんぞ拵えずに、さっさと引き上げてさえすれば良かったんだ。全く詰まらぬ考えを起こしたもんだ。異常なのは、この俺の方だ……。彼の心無い言葉は、全て彼自身に言った言葉なのであった。

Sabrina Carpenter - Feather