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Though leaves are many, the root is one



*FIRST CLASS

冬の満月の下、柔らかな白銀が庭の夜々に煌めき滴る時、黒色の嘲笑者、死がやって来て我々に囁く。昔を忘れない美しい友人のように。夏の薔薇の花の下、かの燃える真紅が強烈な赤い花びらの暗い奥に潜む時、小さな手を持つ愛がやって来ては一人の男に触れる。数多くの思い出の中で、そして男に尋ねる、美しい、答えようもない問いを──裂かれた肉の割れ目から、赤色の液体がその姿を見せた。一臂の恵まれし力を添えると、その液体は丸い粒となった。血管から流れ出た瞬間、次々と液体は小さな個体へと変わり、手首へ滴り落ちる事なしに、空中に舞い始めた。それらは灰色の瞳と青色の瞳の間を舞い、また、大きな手が小さな手を握り、すうっと指から手首までをなぞった皮膚の周囲にも舞った。客間には薪が燃えていた。暖炉の光に導かれるままに、サラは昔の事をあれこれ思い出した。眼前のレーンシャーの心は、益々氷に閉ざされていくような気がしていた彼女だったが、その氷を暖炉の炎が解かしていった。彼の青い目は冷たい炎に輝いていた。彼女は、この瞬間の彼が極めて美しく見えたのを、後々まで覚えていた。
「君は恐れているな」
「何を?」
「他人に触れられるのも、触れるのも」
我々が生きている正にこの世界は轟音と欺瞞、戯言があるばかりであり、良心もなければ意義もない。無常の亡霊が、無邪気な生の受容者の体内を、それは煙のように通り抜けて行く。我々、在るがままの我々、漂い止まぬ者として我々はしかしそのまま、永遠に留まる宇宙の諸力の下で、神の必要としての価値を失わぬであろうか──レーンシャーは物憂げな、しかし男らしい声で答えた。その英語は完全なものに近い。長い間、文明の愉楽を味わった人間の平静とゆとりさえ備えていた。彼はサラの顔から燃えるような目を離さずに、言葉を続けた。
「俺は初めて幸福というものを知った」
「此処へ来て?」
「君と出会って」
レーンシャーは幾度も、自分が第一歩を踏み出す時の様子を想像した。誰の束縛も受けず、完全な自由の身の他に、彼には、既に知られているように、勇気と忍耐、持続と完全な孤独と、そして秘密がある。 孤独──これが最も肝心である。彼はごく最近までどのような折衝も、他人との交際も恐ろしく好まなかった。総じて、理想への第一歩は必ず一人でやると決めていた。これは絶対条件であった。人々がいると彼は重苦しくなる、そうなると心の平静が失われるであろうし、それは目的を阻害する事になろう。しかも大体において、今までのところでは、どのように人々に対処しようかと、頭の中であれこれ空想している分には、いつも酷く賢明に思われるのだが、それが実際となると──いつも決まって酷く愚かしい事になってしまうのである。彼は自分に対する怒りを込め、その度に心底からこれを自身に告白するのである。彼はこれまでいつも気が急いて、他人と分かり合えるかも知れないといった詰まらぬ事を考えて自分で馬脚を露わして来た、だからこそ人々との交際を切り詰める事を決意していた。しかもその利得は独立と心の平静、また目的の明澄であった。レーンシャーは宙を踊り舞っている赤色の粒に、指先で触れた。血の通った指がサラの血液を拾うと、忽ちそれは液体となって潰れ、指先に一つの薔薇を咲かせた。畢竟、美しかった。静まり返った冬の湖のような灰色の瞳には、到底似つかわしくない、真っ赤に燃え上がる赤色。
「君の眼にはどう見えている、俺の血は」
サラは突然、直々に、青天の霹靂の如く目の前に姿を現した二人の男によって、自分の定めを知ったのだった。他人の脳を覗く男と金属を操る男。突然変異体の身体の作りは常人とは異なり、特に血液の流れが一定ではない。二人の男は常人の振りをし、周囲に溶け込みながら近寄って来た。彼女は特に後者の男が気掛かりだった。常人を等閑視しており、此方が孤独の深淵から救いの手を差し伸べても決してその手を取らず、昂然と悟性に満ち、魂が無意識の内に弄する奸計に振り回されている男。サラは、他人を信じる事をしない目、だが急に優しい純真さを現す事もあるこの目を真面に見やった。レーンシャーは忽ち、あの頃最初に彼女に見せたあの突き放すような表情に顔を歪めて、問うた。どうしても忘れる事の出来ない、あれ程に彼女を狂気にしたあの顔である。一見すると如何にも素直そうだが、よく見ると其処にあるのは全てが深い嘲笑だけであるような、その為に彼女は時々どうしても彼の顔を読む事が出来なかったような、あの表情である。
「その澄んだ目の青さとは違って、その下には誰にも触れられないものが流れているけど──貴方はそれに、誰にも触れさせない」
世間には、自分の苛々した怒りっぽい性質の中に異常な快感を見出す人間がいるものである。その快感は憤怒が絶頂に達する時、取り分け強く感じられるのである。そういう瞬間には侮辱された方が、侮辱されないよりもずっと気持ちが良いのではないかと思われる程である。こうした怒りっぽい人間は、後で慚愧の為に恐ろしく苦しめられるものであるが、これは勿論彼等が聡明な人間であって、自分が必要以上に十倍も腹を立てた事を悟る事が出来る人々の場合に限っての話である──静謐さの血管の中に蔓延る、燃え盛らんばかりの血。その影に潜んでいる忿懣と呻吟。そして、それらがいつ溢れ出すか分からない脆さ。常に穏やかな声で語ろうと努める鉄の自制心の中に、怒りがある。変化する表情の強張りの中に。自己嫌悪と一体になった怒り。生来の凡ゆる高潔な性格に反して、やらなければならなかった事の悍ましさに対する怒りである。
どうしてレーンシャーが急に熱くなり出したのか、サラには分からなかった。彼は口にした彼女の言葉に些か呆気に取られたように、幾らか鈍い目でまじまじと彼女を見詰めていたが、不意に顔中が崩れて、如何にも楽しそうな、狡そうな笑いが広がった。洗礼の子は、牛飼い達のところで湿った薪が燃えついた時に、初めて焚火が強く燃え出した事を思い出した。つまり、彼の心が燃え出して、初めて他人の心に火を移したのであった。「手を」と、彼が再び呼び掛けた。しかし、彼女は恐怖の影から蒼褪めた笑いを見せただけであった。この日々、夜も昼も考え続けたのは、この瞬間の事だったのかも知れない。だとしたら今、その瞬間が来たのだ。無限の空を仰いだ時、文書を目で追った時、怒りに目を背けた時、過去を振り返り冴えた目で未来を見据えた時、サラのちらつく顔の間に、起こり得る幾つもの破滅的状況を思い浮かべた。レーンシャーは自分に破滅を呼ぶ素質がある事を知っていたのだった。幸福ではなく、破滅を……。彼女が部屋を辞した今、もう疾うに酔いが覚め、一日の時間から離れてしまった人間となってしまった。しかし、心中に深く食い込んでしまっている、彼女を眼前にした時の彼の憂愁を、特に──幾夜も眠られなかった程の、彼に自制する力がなく、自分で自分に謎を掛け過ぎた為に起こった未の事なのだが、不安な熱病的な状態にまで彼を追い込んだ、この心の動揺を、どのように描出したら良いだろうかと考えた。しかし、全てが無と思えた。彼女が自分を愛さない限りは。

David Kushner - Daylight