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Take my last gift, thy heart hath sung my praise



「こりゃ大変だ、手伝いますよ」
「あはは……すみません、ヤマトさん」
身長よりも資料を高く積み上げ、六代目火影の元へと続く廊下を、危うい足取りで向かっているシズネ。その不憫な後ろ姿を何度も目撃しているヤマトは、今回も彼女に声を掛けた。彼女から託された資料の中に、偶然、過去に木の葉崩しを試みた忍の名を見付けた。ヤマトにとってその名は、自身の出生に強く結び付いているものであった為、シズネの眼を盗み、極秘情報に目を通した。それは、長期に渡っての監視任務であり、その担当に小雪が就いたという決定書であった。彼は詳細を読んだ。だが、読み進めるに連れて、読んでいる筈のものが見えなくなっていった。今、彼の手にあるものは一つの証拠、彼女が破滅へと繋がる道を歩んで行く事を証す信じられないような証拠だった為である。何故、このような任務を彼女は受任したのか。しかし、幾ら信じる事が出来ないと言っても、下方にあるサインが彼女自身の筆跡である事は疑いようがなかった。シズネは明るい声で話し掛けた。だが、愛する人の不幸の証しを目の当たりにしたヤマトは、何を言われても大した反応をまるで見せなかった。謂わば防水服を着ているようなものであり、シズネの言葉は彼の身体の表面を滑り落ち、内側まで浸透しなかった。そもそも彼には彼女の声が碌に聞こえてもいなかった。
破滅の道──終戦し、小雪は愛する人と幸福の道をやっと歩む事が出来るというのに。大戦で削がれた忍の数、また、彼女の自己犠牲、他人から刷り込まれた性質が恐らくそうさせたのだ。特に、終わりの見えない監視任務なんぞは、現在と未来には何の関わりも持たず、里に大切なものを残して来た忍に務まる筈がない。残された我々のこの手の中に、何かを守ろうと決意した手の中に、所用する気はなく、ただ守ろうと決意した手の中に残っただけのものを再び握り締め、歩み出さなければならない。残された我々は恐怖に怯えながら、周囲にも世界の全てにも関わりなく、溢れ返る程の死に対し途方に暮れる日々へと歩み出さなければならない。救おうとする瞬間にも、死は必ず存在する。どれ程に頼りになる手の中にも、やはり死は有り余る程にある……。小雪自身が選ばざるを得なかった常夜の世界、其処に今も尚、引き込まれて行く彼女。その彼女が宝石細工のような字で書いた名を、ヤマトは指でなぞった。あの一瞥の強い魅力の前には、自分の魂なんぞ取るに足らない存在となる。あの一瞥の強い魅力の前には、何ものも。
「六代目、ちょっとお願いがあるのですが」
「へえ、お前が。珍しいね」
そうだ、とヤマトは思った──これが恋なんだ、これが情熱というものなんだ、これが身も心も捧げ尽くすという事なんだ。其処でふと思い出されたのは、いつか根の誰かが言った事である──『自分を犠牲にする事を、快く感じる人もあるものだ』。視線をカチッと固定するように、心を小雪に向けた。ほんの一瞬、彼女の手が自分の手に触れているように感じられた。僕の小雪、君の事を思うと僕の胸は張り裂けんばかりだ。小雪、君は何故そんなにも不幸なんだろうね?僕の愛する人、一体君の何処が、周りの人達に比べて劣っているというんだろうね?君は気立てが優しく、美しくて、教養もある。それなのに、どうして君はそんな不運を背負わなければならないんだろう?ヤマトはふと、自分が小雪の事ばかり考えていたのに気が付いた。身の危険を忘れてではない──寧ろその逆であった。嘗ての二人を包み込んだ温かな輝かしい陽光にも似て、彼女はいつだって彼が生き長らえた時の褒賞なのだった。六代目火影の眼前に立って話し、窓越しに木の葉が風に揺れているのを感じている間も、念頭には次から次へと思念が生まれ、精神は仕事を続け、様々な感情が湧き起こった。土壌から湿気が立ち上る手付かずの原始の庭のように、彼の心は忙しく働くのだった。

ヤマトは窓辺に近付くと、同僚と話を交わしていた間中、しっかりと利き手に握り締めていた小さな紙切れを広げて、弱々しい月光を頼りに目を通した。『明朝六時に、私は公園のベンチのところで待ってるわ。あるとても重大な件について、貴方とお話ししなければならないから。だから逃げようなんて考えないで。それは直接貴方に関係した事柄よ』その手紙は走り書きで、間違いなく小雪が任務へ出掛ける直前に、慌てて折り畳まれた物らしかった。驚きに似た、何とも言い難い心の動揺を覚えながら、ヤマトは再び紙切れを固く握り締めながらポケットに入れた。だが、彼はまた直ぐに取り出して、それにキスをした。
明朝。ヤマトはふと、何処からか姿を現した小雪が、自分の方に近寄って来た事に気が付いた。彼は相手の顔を眺める勇気はなかったけれども、その瞬間、相手が自分の方を見詰めている事を、恐らくその眼差しは厳しく、その黒い瞳の中にはきっと怒りの色が燃え、頬は幾分か紅に染まっているであろう事を、全身で感じ取ったのであった。開口一番、挨拶もなしに彼女が言ったのは例の任務の事であった。特殊任務の担当から外された報せを受け、彼女は不審に思ったのだった。そして、自分の代わりに犠牲となる人物が昔からよく知っている人物であると分かると、その人物が何故交代を申し出たのかという事を彼女は即座に理解したのだった。
「どうしてって、分かるだろう?」
冷たい空気と温かい空気の流れが、さっとヤマトの顔を撫でた。彼の念頭には小雪のならず、彼女を彼女とたらしめる恋敵の存在があった。その恋敵はいつだって彼に快活と炯眼の影響を与え、彼女から愛される所以を知らしめた。彼女に手を差し伸べた人、掴んだ彼女の手を決して離そうとはしない人。彼女の英雄であり、彼女を光あるところへと導く同志。小雪がガイさんを愛している程、ガイさんが彼女を愛していらっしゃるなら、彼女の事を見てあげて欲しいんです。彼女は今、古びた形をした自己犠牲に痛め付けられているからです。離れていなければならないものが、彼女の近くにあるんです。試練に耐えるといっても、彼女の力には限りがあります。そして、絶え間なく滴る水は石でも、いや、それどころかダイヤモンドでも擦り減らしてしまうでしょう。ですからしっかりと、彼女の魂を掴んで離さないでいて欲しいんです。貴方達は幸せにならなければいけない人達なんです。必ず、必ず……。
「ナルトは見事に成長してくれたし、当分僕はお役御免だ。この任務は、僕のような忍には打って付けだよ」
「『僕のような』って?」
「僕は君達とは違う。君達には愛すべき人があり、この里から離れてはいけない理由がある。でも、僕は違う。そんなものはないんだよ」
それは人体実験の治療後、根での最初の年の事であった。当時、ヤマトは未だ全く廃り人同然の状態で、碌に話も出来なければ、他人が何を求めているのやら時にはさっぱり理解出来ない事さえあった。ある太陽の輝いている晴れた日に、任務の合間を縫って彼は山へ登り、ある悩ましい、とても言葉では表現出来ない考えを抱いて、長い間あちこち徘徊した事があった。目前には光り輝く青空が広がっていた。下の方には湖があり、四方には果ても知らぬ明るい無限の地平線が連なっていた。彼はこの風景に見惚れながら、苦しみを味わっていた。彼は自分がこの明るく果てしない空の青に向かって両手を差し伸ばしながら、さめざめと泣いた事を思い出した。彼を苦しめたのは、これら全てのものに対して、自分が何の縁も所縁もない他人だという考えであった。殆ど記憶のない、ほんの子どもの時分からいつも自分を引き付けている癖に、どうしてもそれに加わる事を許さないこの饗宴は、このいつ果てるとも知れぬ永遠の大祭は、一体如何なるものなんだろうか?毎朝毎朝これと全く同じ明るい太陽が昇り、毎朝毎朝滝の上には虹が掛かり、夕べともなればあの遠い大空の果てに聳り立つ一番高い雪の峰は、紫色の炎のように燃え立っている──僕の傍で、輝かしい陽光を浴びて唸っている蠅は、どれもこれもこの自然の一員で、自分のいるべき場所を心得、その場所を愛し、幸福なんだ。どんな草もすくすくと成長し、幸福だ。全てのものに自分の進む道があり、全てのものが自分の道を心得、夜と共に去り、朝と共にやって来る。それなのに、ただ僕一人だけは何にも知らず、何にも理解出来ない。僕は全てのものに縁のない赤の他人であり、除け者なんだ。ヤマトにはこの考えが未だに染み付いており、結局はそれを振り払う事が出来なかった。次に発した言葉は、愛する人を忘れる為に、想いを告げれば良かったと後悔しない為に、言ったものであった。
「僕はただ心から君を慕い、君を強く、強く、心を込めて愛しているだけなんだ。でも、僕の定めは厄介なものだから……僕は人を愛する術を知っていて、愛する事も出来る。でも、ただそれだけの事で、何か良い事をしてあげる事も、君の恩に報いる事も出来ない」
星空を見上げると僕にはよく分かる。星がどう言おうと、僕は孤独に生きて行くんだって。敵を恐れる事も自分を恐れる事も、この地上ではどちらにしろ変わりはない。報いる事が出来ない程の情熱で、星々が輝くのを見る事は素敵だ。星と同じ程の情熱を持てないまでも、せめて今より愛する事の出来るものになりたい。僕がどんなに星を賛美したところで、星にとっては取るに足らない事なんだ。もしも凡ゆる星が消えてなくなったとしたら、僕は星のない虚ろな空を眺める事になり、暗黒を崇高なものと感じるようになるだろう。それには少し、時間が掛かるかも知れないけど……いや、僕には、殆ど無理な事かも知れないね。君は無垢な人だ。そして、その無垢の中にこそ、君の完全な点がそっくり含まれている。この事だけは覚えていて欲しい。君に対する僕の恋情など、君にとって何だというんだろう?僕はもう君のものだったから、僕は一生君の傍を離れる事はないと思っていた……僕は君の傍で死んで行くものと思っていたんだ。
「いいえ、だって貴方は……」
「今直ぐ、今直ぐだから黙ってて。何も言わないで、ただじっと立っていてくれ……僕は君の目を見ていたいから、そのまま立っていて。僕は本当の《人間》と別れを告げるんだから」
君は花の盛りだ、本当に、いま花の盛りなんだよ。何しろ今の僕は、もし君を助ける事が出来ないのなら、寧ろ死んでしまった方がマシだ。君を助ける事が出来なければ、小雪、僕は今まで無駄に生きて来た事になる。全部君の為だったんだよ。でも、悲しいかな、君を助けてしまえば、君は小鳥が巣立って行くように僕の手元から飛んで行ってしまう。これが、この事が僕を苦しめている。ヤマトは沈んだ優しい色を顔に表した。沈黙の数秒が過ぎた。彼はまるで何か恐ろしく重いものがその胸を圧しているかのように、何か言い出そうと努めるのだったが、何一つ口に出来なかった。無限月読で見た夢想は今でも覚えているし、今でもその面影に縋っている。君と一緒にいる事が出来て、こんな僕でも幸せになれた。本当に幸せだった。君がこんな僕を愛してくれたから。小雪、君はもう闇を見なくて良い、君はもう人を殺めなくて良いんだ。ただ幸せの道を歩めば良いんだよ。其処には彼がいる。凡ゆる闇を払ってくれる彼がいるから、何も心配する事はないんだよ、僕の、僕の愛した人。ただ、僕の事を今少しは思って欲しい。君に心を差し出した一人の男の事を──未来永劫に渡って讃え続けられるであろう人々、忍と里の人々によって眺められて来たこの空。それは彼等の目によって永続するものとなるであろう。この美しい空とその風、その青い風。そして風の後の斯くも深く、斯くも力強い静寂、それは満ち足りて眠りに入る神のようだった。今こそ出来る限りは為し尽くした。運命に僕の魂を要求しよう──無言のまま、胸に込み上げて来る悲しみを小雪に悟られまいとして、故意に笑顔を作りながらヤマトは立ち去って行った。振り返りはしなかった。

The 1975 - I’m in Love with You