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Quiet consummation have, and renowed be thy grave



心の告げる事を信ぜよ、天よりの保証は既になし。サラが経験した人生の様々な境遇の内で認識した、絶えず何かを恐れている人間ほど徹底的に悲惨なものはない、という事がこの際改めて明瞭となった。人間は恐れを抱くと罠に陥るといった言葉は正に適切である。そういう生活は謂わば死の生活である。心はただただ恐怖に抑圧されてしまい、救われる見込みは失われ、血気が沈滞する。他の大抵の苦難の場合でも人間を支えてくれ、どのような危急存亡に際しても失われる事のない、生まれながらにして人間に備わっている生命力が、この場合には全て役に立つ事をしなくなる。また、この絶えざる恐怖心は、その作用として決まって凡ゆる危険を一層大きなものに見せ掛け、人間の想像力を昂らせる──しかし、例え私が死んだとて、誰が悲しむであろうか?余りにも早くうらぶれた私の生命が、時と共に嘆きで汚れ、今日この美しい日に死ぬ事を何より私自身が悲しむ事をしないのに、一体誰が悲しむのか?他人を愛さず、また他人から愛されない私である。しかし悲しい事に、この汚れのない光輝に日が沈む時、思い出だけは喜びの如く騒ぎつつ躊躇う事となるだろう。思い出は、こんな私とは異なるから。サラは友人に渡された杖、再びこの手へと舞い戻って来た杖を構えた。この世は侘しい。我が不滅の恋人よ、私はあなたなしに一人彷徨うのに疲れた。喜びは嘗てあなたの声に、あなたの微笑みの内にあった。今はそれさえも消え、軈て私もこの地で死ぬであろう。
「信ぜよ、天よりの保証は……」
栗色の双眸に差している深い翳り。晴れる見込みのないもの。放ったその言葉に想い人が振り向く。彼のあの佇まい、廊下をひっそりと歩くあの姿、そして、微かに微笑するあの悲しげな表情。嘗て私が抱いたのは、雪のような大気の白い雲の中で、若々しい暁の赤光が脈動して震えるような情動であった。心の告げる事を信ぜよ、天よりの保証は既になし。死の腕がこの自分を連れて行ってくれるように、一刻も早くこの心がこよなく愛した男の元へと連れて行ってくれるように、サラは熱が齎した出任せの言葉を幾度も唱えながら、友人を救うべく、秘めている一つの幻と共に蒙昧の道を進んだ。

人生を完成させるか、仕事を完成させるか、人間の知性は否応なく選ばねばならない。第二の道を選ぶのであれば天の宮居を拒み、暗黒の中で荒れ狂わねばならない。詰まるところどうなるか。上手くいこうといくまいと痕跡は残る。あの相も変らぬ困窮が、空っぽの魂が、でなければ過去の自惚れと夜の悔恨が痕跡として残るのみである──ホグワーツ城の外れにある小さな建物小屋、魔法を使えぬ管理人の所有物であるボートが微かに畝りを立てていた。そのような静寂さに反し、サラの首筋から溢れ出た血液は月の光を知らぬまま、黒々とした湖へと帰そうとした。闇の帝王をも欺いた簡易な一つの魔法が、散り行く主の魂と共に息を潜めて行く。今まで等閑視をしていた彼女の生命力が、最期の瞬間に有終の美を飾った為に、辛うじて色を保っている双眸を満足気に細めた。ポリジュース薬でスネイプの姿に変化し、密かに奸計を実行した彼女は、蛇に咬まれた傷を手で押さえるという事さえしなかった。彼の光る目が堕ち行くサラを見詰めた。彼は赤色を持った滑りある液体に抗いながら彼女の傷を両手で押さえ、またそれと同時に、彼女の魂が抵抗し難い力で何処か遠くの方へ引き寄せられて行くのを感じた。どうする事も出来ないように彼には思われた。最も忌まわしく最も恐ろしい悪夢の中での如く、物事は全く言う事を聞かず、心ばかりが苛立たしくもがき苦しむのであった。
サラは僅かに閉心術を解く事をした。一度も開く事をせず生きて来た為に、硬化したと思われていたそれは、スネイプの心中に言葉を淡々と放った。それら以外のものは何一つ彼に見せるまいと努めた彼女であったが、今だけは、自尊心と自己愛という美しい感情を持つ事が出来た。ハリー・ポッターは事実を知らなければならない。でなければ、闇の帝王は滅ぶ事はない。あなたはダンブルドアを非情だと思ったに違いないが、嘗てあなたが愛した人の仇を打ちたいのであれば、ハリーの死は退けるべき事柄ではない。分霊箱の一部である事を知らなければ、全てが、全ての死が無に帰する。スネイプの顔は忽ち生気を失い、戦慄の影が刻まれた。
「烏滸がましい。君の言葉に左右される私ではない」
サラはスネイプの持つ凡ゆる性質を理解しようとした。如何にその固い自尊心を破り、過去の過ちをハリーに見せるかを考え、またそれに加え、彼女自身の命をどう終えるかという事も考えなければならなかった。長年の、たった一つの目的である闇の帝王の滅亡。その為には彼の内にある事実を見せなければならない。それを知るのはこの世にたった三人であり、その内の一人は、彼に杖を向けるよう指示を促して死んだ。しかし彼は容易に見せる事をしないだろう。その引き金として、自分の死が作用してはどうだろうか──その時、朦朧とした意識の中でサラはスネイプの真摯な言葉を聞いた。また、彼女が出会ったのはじっと自分に注がれる不安な、痛々しいまでの気掛かりげな彼の眼差しであった。其処には愛があった。今や彼を生き永らえさせ、呼吸をさせている程の大きな愛が、偉大なる目的に取って代わるが如く、一切の闇を払うが如く、その心の内に燦然と存在していた。やはりあなたは私を愛していたのだ、私が彼を愛したように。私が、あの人を愛したように──心静かに終焉を迎えたまえ、我が友の墓に名声あれ。心静かに終焉を迎えたまえ、あなたの墓に名声あれ……この賢い質朴な男が、彼と同様、感覚も心も満たされぬまま墓に入る事を私は望まない。サラが遂に目蓋をひっそりと閉じると、スネイプの視界にはある情景が広がった。
闇祓いであり追跡者であるサラはもはや追跡する事は出来ず、そして遁走者である死喰い人はそれ以上サラから逃げる事は出来なかった。そしてその地で天上の大いなる光が、過ぎ行く一日に最低の位置にて燃える時、荒れた不毛の地にそれぞれ一行は集まった。未だ嘗て彼等は、朦朧とした不可思議な戦闘に似た戦いをした事がなかった。死者宛らの白い霧が地や海の上に眠っていた。その冷気はそれを呼吸する者に対して血潮と共に流れ下り、最後には心臓全体が得体の知れない恐怖で冷え切った。そして彼等にさえ混乱が生じた。戦う相手が分からなかったが故にである。 味方と敵が霧の中では影の如くとなり、味方が味方を殺めるのだった、誰を殺めるかも分からぬままに。そして黄金色に輝く青春時代の幻を持つ者もいれば、昔の亡霊共の顔が戦闘を覗き込む様を見る者もいた。そして霧の中では幾多の気高い行為もあれば、幾多の卑劣な行為もあり、一騎討ちでは運や技や力が明瞭に示されるのであった。そして時折、軍勢と軍勢の激突、折れて飛ぶ杖、死の破片、魔法と魔法のかち合う音、将又魂を打ち砕く戦慄の凄まじい音、そして神を求める悲鳴こそ、転倒して天を見上げたものの、ただ霧だけしか見る事の出来ない人々の悲鳴があった。更に異人種や反逆者の騎士達の叫び声、誓言、侮辱、罵詈雑言、そして言語道断の冒涜、発汗、身悶え、苦悩、肺の喘ぎなどが、この息詰まるような霧の中に存在した。また光を求める叫びや死に瀕する人々の呻き、そして死者の声また声が。最後に、死に瀕する人間の床の傍で悲痛極まる慟哭の後に、或いは死の為か、或いは死の如き失神の為か、沈黙が続くように、かくてその浜辺一帯に泡立つ大海の囁くような潮騒を除き、死の静謐が覆った。しかし、その悲しみの一日が黄昏に向かって落ちつつ、更に荒涼の様を強くする時、北方から冴え冴えと厳しい風が吹いて来て、霧を傍へ吹き散らし、その風と共に潮が高さを増した。生き残ったサラは戦場を見渡した。しかし其処には誰一人動く者はなかった。また其処では神への叫びもなかった。ただ青白い波が死者の顔また顔の間で砕け、あちこちに自由を失った手が揺れていた。そして倒れた者の髪や、嘗て大勢の敵と戦った杖の、今は砕けた破片を上へ下へと揺さぶっていた。そして暗鬱な海辺を彼方まで轟かせるのは、昔日の声や、来るべき日々の声であった。此処では闇祓いは死喰い人に勝利した訳であるが、終日戦場に漂っていた霧よりも更に彼女の顔は蒼白であった。
そしてもう一つ、サラの心中に秘めていた事柄が情景として新たに広がった。其処は全ての人間の魂を蝕む戦場ではなく、見慣れた、ホグワーツ城の大広間であった。神が牧歌的好天を齎し、その強烈で暖かな日差しがステンドグラスを通して全体を照らしていた。スネイプの眼前には、深緑色と灰色のネクタイをきちんと締めた生徒が座っていた。痩せ細った身体に茶色の髪。彫りの深い目元、聡明な眉、そして髪と同様の色をした双眸。こざっぱりとした、上流階級らしい、品のある怜悧な顔立ちをしたクラウチ・ジュニアはサラに向かって、カメラを構えている彼女に向かって僅かに微笑していた。彼等は、許される限りの清らかさで澄み渡っている中に存在していた。
『誰のだ?それ』
人生という名の深淵を未だ知らぬその顔立ちには、その目には、清らかな感情が一面を覆っていた。それは彼の心中のみならず、そんな彼を捉えている彼女の心中にも存在していた。爪先から心臓にかけて伝導する一種の電気宛らのものが、彼等を見ているスネイプの身体にも走った。それは彼にとっても覚えのある、いや、知り尽くしている感覚であった。彼は憂愁の念に駆られ、自分の無力を自覚し、世界全体から疎外されたような何か異様な気分を味わいながら、ただその場所に佇立していた。この追憶が終わると同時に、私の世界も終わりを告げるのだろうか──船酔いにも似た精神的な嘔吐感が彼の心を捉えていた。サラは奴のいない天よりも奴のいる地獄を選び、また、死を選んだのだ。死、それこそ一切を解決する唯一つの考えであったのだ。
『写真は嫌いなんだ。それ、貸せよ』
多くの入り混じった叫び声がスネイプの脳裡に響いた。自由、希望、死、勝利。遂にそれらは大空に消えて行った。すると一つの音が頭上に、周囲に、或いは下より動いていた──それは「愛」の魂であった。それは他ならぬ希望であり、この男に始まり、この男に終わる予言であった……。二重の喜びの為に、二重の日が生まれるのだろうか?一日が沈み去る前に、早くも新しい一日が立ち現れる。輝かしい香油に塗れた壮麗な半神の如く、記憶を持たぬ一日は庭と海を凝然たる光耀で覆い尽くす。そして馴染み深い樹は気疎くなり、吹上は気疎く煌めき。気疎い暗い力は外部から彼等の中へ押し入ろうとするが、敵う事はない。此処での暮らし、共に恋をした頃の事を語っていた。幸福な緑の地、実質的には全ての人間に、感情の上ではこの二人に、惜しみなくその恩恵を与えてくれていたのであった。二人はずっと、青々とした陽の良く当たる、彼等の思い出の中に生きていたのだった。