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Where are the songs of Spring?



正にこれが美、この二人の仲を劈くものは神以外に有り得ない。二人の視線が合わさる時、また肩が並んだ時、二つの心臓の鼓動が嚠喨と互いの耳に届き、次に踏む歩調が血となって抹消にまで流れ、考えずとも身体を動かす事が出来る。他の誰と組ませても、このような完璧な美、各々の魅力が溢れ漲る美を見る事は出来ない。複数の画面に映るハートとサラの姿を見て、マーリンの胸にはある種の憧憬が滾々と湧き上がった。この二人の仲を劈くものは神以外に有り得ない。彼は再び胸の内で呟いた。二人の視界から得る事の出来る情報は、ハートは眼鏡から、サラはブローチからが源であった。戦闘となると絶えず視界が揺れ動き、真面に情報を汲み取る事は出来ない。マーリンはその間、如何なる状況へ変容しても二人の助けとなるように、異なる作業をするのが常であった。しかし、彼はすっかりその画面に釘付けになっており、二つの手には強い力が込められていた。ハートの視線の先にあるサラの姿、彼女は時折彼の存在を目視してはいるが、これといった感情の現れはない。一方で、サラの視線の先にあるハートは異なっていた。ハリー・ハートという人間が持つ表情、その目は笑みを含んでいるものの、マーリンもはっと我に返る程に他人を寄せ付けぬ厳しさがある。しかし、今、ある種の内心の感慨を抑える事が出来ないといったような、茶色の目がきらりと光り、口元が不意に重々しい、感に堪えぬような微笑に綻びていた。長年、ハートの様々な側面を見て来たマーリンにとっては、それは疑う余地のない事実であった。彼は数学の如く明晰に意識をした。この二人はまるで魂が引っ付いて離れない、そんな存在であると。また、自分がこの世でただ一人の女性として崇めている彼女を、戦友も同様に認識している事を。正にこれが美、この二人の仲を劈くものは神以外に有り得ない。先程繰り返したこの言葉は、唐突に、何とも名付ける事の出来ぬ感情へと変化し、マーリンの心の中で沸騰した。ハリー・ハートという存在を心中に置かぬ女性が、今まで一人としていただろうか?魂が悲痛の声を上げる因であるとしても変わらず彼を内に置き、彼の名を唱え、彼が自分一人だけのものとなるよう祈った女性の中に、サラはいないと一体誰が断言出来る?すると忽ちあの輝かしい憧憬は消えてしまい、その彫りの深い顔は生気を失い、眉の間には皺が刻まれた。他でもないハートの名をその胸に刻んでいるのであれば、私は彼女に対し、自分の存在を忘れる事をこの口から、彼女を愛すると誓ったこの口から言わねばならない──君は私という人間を信頼してくれた。だが君には、もう私の事をすっかり忘れて欲しいのだ。マーリンには殆ど恐れる事は何もないように思われ、絶え果て掛けた望みと共に彼は物憂げに、視界に映るサラの横顔、何千回と夢見た魂を見詰めた。それは寧ろ肉体的な痛みでさえあった。しかし、彼女が未だハートのものになっていないという現を思い起こすと、それは酒の酔いの如く、少しずつマーリンの身体を回り始めるのであった。二人との通信を終えると、彼は暫く物思いに沈んでいたが、軈て浮かび上がって来た興奮と期待により、再び仕事に向かう事が出来なかった為、部屋の中を隅から隅へと歩き始めた。彼の手元には任務に於ける報告書があり、其処にはサラのコードネームと顔写真が並んでいた。数分も経たない内、彼はふと何やら思い出したように突然辺りを見渡しながら、明かりに近い窓辺へ寄り、ヘレネーの写真を眺め始めた。彼はその顔の中に秘められており、自分の心を打って止まないものの謎を何としても明らかにしたい気持ちに駆られた。彼女に対するその印象は、初めて出会った時からずっと彼の心を去らなかった為に、彼はたった今急いで再びそれが何であるかを確かめようとしていた。その美しさの為ばかりでなく、更に何かしらあるものの為に、世の常のものとも思われぬその顔は、以前よりも一層力強くマーリンの感動を誘った。まるで量り知れぬ矜持と、殆ど憎悪に近い侮辱の色が、その顔に現れているように思われた。しかしそれと同時に、何となく人間を信じ易いような、驚く程に飾り気のない素朴さといったものがあった。この二つの対比は、この面影を見る人間の胸に一種の憐れみの情とさえ言えるものを呼び起こすように思われた。この眩いばかりの美しさは、見るに耐え難いようにさえ感じられる。蒼白い顔と、痩せた頬と、燃えるような瞳の持つ美しさ。いや、これは全きの不思議な美しさだ……。マーリンは一分程度眺めていたが、軈て再び辺りを見渡すと、急いで写真を唇へ近付け、それに接吻した。元のいるべき椅子に腰を下ろした時、彼の顔はすっかり落ち着いていた。私は君に金より貴重な愛を与える。私は君に説教や法律より前に私自身を与える。君は私に君自身を与えてくれるだろうか?我々がこの世に生きている限り、我々はしっかりと互いに結び付いているべきである。彼は報告書にペンを滑らせながら、彼女には届く事のない心臓の音に耳を傾けた。君は私という人間を信頼してくれた。だが君には、もう私の事をすっかり忘れて欲しいのだ。しかし何故、このように君に告白する事になったのか、私には自分でも分からない。ただ、君に、是非とも君に、私の存在を時折思い出して欲しいという抑え難い希望が私の心にあるのだ。キングスマンの面々は私にとって必要な方々であると幾度私は思ったか知れない。しかし、私はその中でも君の事ばかりを考えて来た。君は私にとって必要な人なのだ。非常に、必要な人なのだ。私は自分の事については何も話す事はない。いや、そんな事をしたいとも思わない。ただ君が幸福である事だけを切に望んでいる。君は今、幸福だろうか?君は彼と共にいて、幸福だろうか?私が尋ねたかったのはこの事だけだ。マーリンは抒情を続けた。だが私は……私は幸福ではない。

「その任務にはヘレネーを就かせる。彼女を此処へ呼んでくれ」
「分かりました」
「中々の美人だ」
「はい?」
「それだけではない。彼女は何か測り知れぬ、懐奥深くに大切に仕舞っているものがある。君はこういう女性が好きなのかな?」
「ええ……そういう……」
画面に映し出されたサラの写真。不幸、というよりも殆ど狂気に近いものが看取出来る美しいその顔。それは幾度も男の心を乱し、脳梁を震わせ、甘美な夢から悪夢まで見せたその顔。マーリンは自分の女神の姿を見上げざるを得なかった。どうか覚えていて欲しいのだ、私は君に恋焦がれる男の一人だという事を。私は今何も言う事が出来ない、恐らく君が誰のものにもならないと分かった時、いつかの時に言うだろう。私は君より美しいものを知らなかったのだ。白光が今宵の霜を輝やかせる、静謐な西空の月宛らの虹彩。二度と見付ける事はないであろう、君より素晴らしいものは。アーサーの鷹揚な問いに、マーリンはやっとの事で答えた。途端、彼の顔がさっと明るく輝いたのをアーサーは見逃さなかった。静かな男だが、その聡明な胸に彼女を住まわせ始めたのは、何も昨日や今日の事ではないだろう。彼は一体何を待ち望んでいるのか。彼女の口からある日突然、勝手に許しの言葉が出て来ると思っているのであろうか。マーリンは躊躇する素振りを見せ、何かを言おうとしたが僅かに口籠っただけであり、一言も言葉にはならなかった。彼は暫く黙っていたが、軈て寂しそうに微笑した。
「それはまた何故に?」
「この顔の中には、実に多くの苦悩がありますから……」
あの顔は人に苦しみを呼び覚まさずにはおかない、人の心をしっかり掴まずにはおかない顔だ、あの顔こそは……と、急に突き刺すような苦しい思い出がマーリンの胸を掠めた。如何にもそれは苦しい思い出だった。彼は初めてサラの中に悲痛の兆候を認めた時、自分が如何に煩悶したかを思い出した。彼は殆ど絶望とも言える気持ちを味わった。自分は彼女とハリーが一緒になったという知らせを、他人から聞かされるのを待つべきではない。彼女の元へ、ただ彼女の方へのみ、自分は行かなければならない。マーリンはふと顔を僅かに顰めた。まるで何か心臓の中でぴくっと振動したような気がした為であった。彼は相手の問いに答えるのではなく、まるで独り言でも言うかの如く不意に口を滑らせた。
「しかし、それは君が単なる幻を見ているだけかも知れない」
この顔は哀れな一人の男の心を転倒させた。彼は其処に自分の運命の現われを見た、春の歌を聴いたという訳である。アーサーはそう決断を下すと、画面へと再び瞳を転じた。二人共黙ってしまった。静かな池の中ヘポチャンと小石を放り込んだような会話であった。その数秒後、サラが部屋に入って来た。春の風が、彼にとっての異国の瑞々しい馥郁たる香りがやって来た。白光が今宵の霜を輝やかせる、静謐な西空の月宛らの虹彩。マーリンは親しそうに微笑を浮かべ、自分の感情を隠すように努めながら話を切り出した。

Daft Punk - Fragments of Time